神様って本当にいるの?
この転地万物を創造された神の存在を証明する手がかり?
アンディ・ワインマン
神は本当に存在するのでしょうか。難しい質問です。神が存在しないのであれば私たちは自分の思うまま、好き勝手に生きればよいということになりますが、もし本当に、この全てのものを創造された神というものが存在するのであれば、私たちはその考え方を改める必要があるわけです。面白いことに多くの人は何らかの意味で神の存在を認めています。ジョージ・バーナという人の取った統計によると、成人の4人中3人が神の存在を認めているのです。疑わしく思った人がいたら誰か身の回りにいる4人に同じ質問をしてみてはどうでしょうか。
ただ神の存在の有無は、統計の結果で判断できるというものではありません。
どうすれば神が存在することを知ることができるのでしょうか。神様に電話かメールでも送れればいいんですが、もちろんそういうわけににもいきません。じつはもっと良い方法があるんです。一つ一緒に考えてみてください。神様が無限の知恵と力に満ちておられ、私たち人間が有限の世界に存在することが事実だとしたら、神様は何らかの方法でご自身の存在を私たちに示して下さらなければならないことになります。ウィンフィールド・コーデュアンはこのように言っています。「この世界のあらゆるものを見るときにその背後に働かれる神が、確かに存在することを認めざるを得ない。」ちょうど猟師が獣の残した足跡や、毛髪、あるいは折れた小枝などを手がかりとしながら獲物を探り求めるように、私たちも神様が転地万物の中に残された数々のしるしを考察することによってその存在を確かめることができるのではないでしょうか。
ここ数世紀にわたって様々な提言がなされてきましたが、ここではその中の3つの事柄について一緒に考えてみたいと思います。まず第一にこの地球が原因と効果という物理的法則に則って働いているという事実です。つまりどの効果(動作)も何らかの起因作用によってもたらされるものであり、全ての働きをはじめに起因させた何らかの存在がなければならないことになるのです。この世に存在するあらゆるものは全て何かほかのものに依存しているのです。たとえば子どもは親に依存していますし、地球は太陽に依存しています。この宇宙のことを考えてみたときに、いったい誰がその一番初めの「もの」を生み出したのでしょうか。
このことを考えるとき、全てのおおもととなる最初の存在がどうしても必要になってきます。果たしてその存在とは「神」なのでしょうか。
二番目に考えてみたいことは、意図的創造ということです。ある人々はこの宇宙の万象を観察するときにそこにはある種の目的、意図また思考が存在することを否定することはできないと言います。この考え方は決して新しいものではありません。ウィリアム・ペイリーはこう説明しています。「外を歩いているときに、道端に落ちている腕時計を見つけたとします。誰もそれが木や草のように自然に生えてきたものではなく、機械仕掛けの貴金属であることを認めるわけです。理性的に考えるなら、誰かがこの時計を意図的に開発したと考えるのが普通です。この世界は時計よりもはるかに複雑です。とするなら、この世界を設計された方が存在すると考えるのはより妥当と言えるのではないでしょうか。
最後に「道徳観」ということについて少し考えて見ましょう。C.S.ルイスはこの道徳観を「人間の法則」と考えました。もちろん世界中のすべての人が同じ道徳観を共有しているというわけではありませんが、基本的にはあらゆる人が共通の道徳観を持っているという事実を否定することはできません。たとえば、人の命を奪うことについて国や文化の間に多少の意見の相違は存在するものの、誰一人として(その人が正気であるならの話ですが)理由なく、人の命を奪うことをよしとする人はいません。この様に全ての人の中にはある種の共通した道徳観が存在することを認めざるを得ないのです。
これまで見てきた三つの検証は、常識を働かせて考える私たちにこの世界について何らかの説明を与えるものであるということはできないでしょうか。もちろんこれらの考察が全てのことを完全に説明しているとはいえませんが、この様なことを考えるとき神が存在すると仮定したほうが、神の存在を否定するよりもより説得力があると言うことになるのではないでしょうか。もし神が存在すると言う仮定が真実であるなら、このほかにも色々な方法で神の存在を確かめることができるはずです。皆さんも自分なりの推定をたて、その推定がどこにたどり着くかを探り出してみてはいかかでしょうか。
イエス・キリストとの個人的な関係を持つには
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