聖書には、他人に仕えるように教えている箇所が度々登場します。ところが具体的にどのように身を処するのか分かりづらいのも事実です。何かを為そうとすれば、まずはその心構えが必要となります。そこで他人に使えるにあたって必要な心構えとは何かをパウロの言葉から学びましょう。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ書2:3-5)

私たちは何かを為そうとすると、兎角打算的な行為に陥りがちです。おそらく相当意識しない限り、自己中心的行為や虚栄心からの行動から誰も自由にはなり得ないでしょう。必要なのは、自分にそういう弱さがあるという事実を知っておくことです。未然に弱点を知っていれば、対処し...得るからです。

次に、そのような利己的な性質が暴れ出さないように抑制する方法を見てみましょう。パウロは「へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」と教えています。自分を律し、全ての出会いに感謝して、そこから何かしら学び取ろうとする人に共通している姿勢が正にこれです。凡人は自分可愛さが祟って高慢になりがちです。お互いに自分が第一だと思っているのですから、話が噛み合わず、建設的な話が出来ないのは当然でしょう。しかし、人間の利己的な性質をよく理解している者は、頭を垂れて教えを乞うかの如く身を呈する事で、自らの利己的側面が露出するのを防ぎ、円滑な対話、延いては、お互いに利益になる合意を取り付けるのに成功します。相手を自分よりも優れた者と看做して尊敬する事は、非常に大切な事なのです。

最後に、「自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。」とあります。相手の立場に立って考える習慣が大切です。もし自分が相手の立場だったら何を望むであろうかと考えて見ることです。そうすれば為すべき事が自ずと見えてきます。

これまでパウロの言葉を順を追って見てきましたが、結局、共通点は、私たち人間が恐ろしいほど利己的だということです。その利己的性質を暴走させないように意識して他人の事を第一に思い、行動を為せばこそ、隣人に仕える事ができるわけです。隣人に仕えるとは、自分の欲との闘いを意味するのです。

最後に、キリスト者は、自力でこれらを全うできると思い上がってはいけません。自分の弱さを知っているが故に、その弱いところに神に働いていいただくように祈り、御霊の導きにより、歩むことを忘れないようにしましょう。