キリスト者は肉の欲に影響されないように努めなければなりません。肉の欲はお肉を食べたいという誘惑の事ではありません。人間はアダムの堕落により、神との関係が断絶してしまい、罪と死による恐怖に苛まれながら、この世の支配者であるサタンの支配を受けるようになりました。神との関係が断絶するや人間は他人の目を気にしつつ、いや、気にするが故に、自己顕示欲の虜にならざるを得なくなりました。こうして他人を顧みずに自分の利益の追求を生き甲斐とする歪んだ社会が我々を苦しめるようになったのですが、その苦しみから逃れんと成功という名の競争を続けるという悪循環を私たち人間は続けています。このような仏教で言うところの煩悩の類をキリスト教では、肉の欲と表現しているのです。この肉の欲、煩悩のスパイラルから脱しない限り、救いなどあり得ないのです。

さて、肉の欲がどんなものかをパウロが述べている箇所があります

「肉の行いは...明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」(ガラテヤ書5:19-21a)

今日、私たちを苦しめている諸要素が全部列挙されています。これらのものが肉の欲のおもだったものです。

パウロは、こうも言っています。

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」(ローマ書8:13)

さて、ここに御霊が登場しています。御霊は別名、聖霊とも言い、三位一体の一格をなす方です。この御霊は、キリスト者の心の内にお住まいです。

「神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」(第二コリント1:22)

そしてこの御霊の導きなしにキリスト者の信仰生活は存在しません。御霊の導きなしに真理を悟り得ないからです。

イエスはこう語っています。

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままに話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」(ヨハネ伝16:13)

ですからこの御霊により聖書の御言の真理を悟り、その導きによって肉の欲に打ち勝つことが勝利の秘訣です。御言の真理を知る事なしに御言を生きる事など出来ません。御言の真理を知れば、御言の真理の力で勝利できます。御言の真理の正しさを立証し、それに従うキリスト者がつまずく事なく勝利させる事で、神の栄光とキリストの名を顕すのが御霊の業なのです。

パウロは次のように教えています。

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」(ガラテヤ書5:16-17)

キリスト者は御霊の導きにより生きていく事が大切です。

「御霊を消してはなりません。」(第一テサロニケ5:19)

御霊に導かれて肉の欲に打ち勝ち、勝利の人生を歩めますように。

 

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