聖書は語るー貴方は愛されているから

目に見えない神は、私たちを様々な形で愛しています。多くの場合は、私たちはその大きな愛に気づくことさえしないで、過ごしているのです。神の愛はちょうど空気のようなものでしょうか。空気を吸う時に意識している人はいないでしょう。空気があって当たり前だと思っているからですね。仮に、「明日から空気がなくなりますよ」と発表されたら空気の重要さに気づくかもしれません。排気ガスやPM25で汚染されている空気でさえ、私たちにとってはなくてはならないものです。空気がなかったら数十分で地球の生物はなくなってしまいますね。

しかし、人間はこの愛に渇望しているのも事実でしょう。震災以来、愛や絆が叫ばれています。人と人を結びつけるもの、それは愛なのです。しかし、人間の愛は常に条件付きです。自分に都合の良い「愛の形」です。たとえ、犠牲を払った愛だとしても、何らかの形で見返りを期待します。ギブ・アンド・テイクの愛とも言えます。  しかし、創造主なる神は、私たちに一方的な愛を与えてくださりました。私たちが頼んでもいないのに、神は一人子である方をイエス・キリストとして生まれさせ、私たち人間の罪の贖いのために十字架に付けたのです。人間のほうで頼んでもいないわけですから、「大きなお世話」とも言えますね。でも唯一の神は、人間が罪によって苦しみ、悲しでいるのを見てほっておけないのです。
罪は様々な形で人間を苦しめます。自分自身を苦しめます。思い悩んだり、ノイローゼになったり、本人にとっては死ぬほどの苦しみにもなるのです。最終的に自殺を選ぶ人もいるでしょう。悲しいことです。そして、人間の罪は、他の人々を苦しめるのです。最近も、アメリカのボストンでテロ事件が発生しました。このような悲劇はとめられないのでしょうか。人間がこの世に生きている限り無理なのです。私たち一人ひとりが、罪悪という大きな渦巻きの中にいます。また、この渦巻きの一部として動いているのです。私たち人間にはどうする事も出来ないのです。   

しかし、朗報もあります。神が私たち人間を愛してくださっているという事実です。貴方と私を愛してくださっています。生まれた時からづっと私たちを見守ってくださっている神がいらっしゃいます。私たちは、ただ単にこの方に応えればいいのです。罪悪の渦巻きから救ってくださるのです。自分自身では抜け出せない渦巻きから、神であるイエス・キリストが救ってくださいます。私たちは、素直に「あなたを信じます。私を助けてください。」と言えばいいのです。この方に人生の全てを委ねてみませんか。 

 

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