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自由について

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たまに残念なキリスト者に出会うことがあります。彼らは言います。自分は自由だと。そして自由だから今を楽しむのだと言います。しかし彼らは知らないようです。自由や権利には責任が伴うということを。

自分がやりたい事をやりたいようにやることが自由なのではありません。人は完全に人との交わりを絶って生きて行くことなどできません。それ故、周囲の人に影響を与えることなく自分だけで行為を完結することができないのです。ですから周囲の人に対する配慮を欠いた自由は、所詮、独り善がり行動に過ぎません。そういう人のことを最近の言葉で「自己中」だとか「K Y」(空気が読めてないの略)と言うのでしょう。

パウロは次のように語っています。

「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」(第一コリント10:23-24)

聖書ではこのように他人の利益をを心がけるように勧告しているのですから、自分の利益だけをひたすら追求する自己中でKYな人は、キリスト者として問題があると言わねばならないでしょう。

考えてみましょう。果たして私は自由を、他人の利益のために用いているのだろうか。他人のために自分がしたいことを思い留まることができているのだろうか。

自由を隣人のために用いることができるように神が導いてくださいますように祈りましょう。
 
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