神の選び・予定について

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イエスを救い主として信じる事は、どうやら難しいようです。宗教的バックグラウンドを知らない人たちにとっては、約二千年前、宗主国ローマへの反逆罪のかどで十字架で処刑されたユダヤ人イエスが、あなたの救い主であると言われて、「はい、そうですか」とすぐに信じるのは至難の技でしょう。死刑囚が救い主というのですから、遠慮したい宗教だと思われても不思議ではありません。

しかしそのようなおっかなびっくりな宗教を信じているキリスト者がなぜいるのでしょうか。

その理由は、信じることそれ自体も神が与えてくださるからです。逆に言うと、神が信じる心を私たちに与えて下さらなければ、信じ得ないのです。この信じる心、つまり信仰が与えられた者が、イエスを救い主と信じるキリスト者になります。そして、このような神の救いの計画をカルヴァン派では、一般的に「神の選び」だとか「予定」と呼んでいます。

パウロはこの神による選びを次のように紹介しています。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ書1:4)

こうして世界の基が置かれる前、つまり天地が創造される以前から、神は、イエス・キリストを通して救うことを予定しておられたわけで、その予定に入っている人たちが上でも述べたように、イエスを救い主として信じることができるように信仰が与えられ、キリスト者になるのです。
 
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