<山上の説教>


 ガリラヤで開始されたイエスの神の国運動の噂は、やがてガリラヤを越えて各地に広まり、イエスの教えと病気なおしの奇跡を求めて、ユダヤの各地から集まる群衆が日を追って増えていきました。
多くの群衆が、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊にとりつかれた者、てんかん、中風など、あらゆる病人を連れてイエスのもとにやって来ました。


 ガリラヤに向けてデカポリス(*2)やエルサレム、ユダヤの地から大勢の群 衆が集まり、イエスに従ったといいます。 イエスはこのような群衆を見て山に登り、腰を下ろして教えはじめました。

 

-幸い-(マタイ5章1~10節) “心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。 柔和な人々は幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ 義に飢え渇く人々は幸いである、 その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。 心の清い人々は幸いである、 その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は幸いである、 天の国はその人たちのものである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”

 

-地の塩、世の光-(マタイ5章13~14節) “あなたがたは地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって 塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏 みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることが出来ない。 また、ともし火をともして升の下に置くものはいない。燭の上に置く。そうす れば家の中のものすべてを照らすのである。そのようにあなたがたの光を人 々の前に輝かしなさい。 人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるよう になるためである。”

 

-律法について-(マタイ5章17~18節) “わたしが来たのは律法や予言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止 するためではなく、完成するためである。 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の 文字から一点一画も消え去ることはない。”

-姦淫してはならない-(マタイ5章27~29節) “あなたがたも聞いているとおり、「姦淫するな」と命じられている。しかし、わ たしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、すでに心の 中でその女を犯したのである。 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。 体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。”

 

-復讐してはならない-(マタイ5章38~40節) “あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。 悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬を も向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせな さい。”

 

-敵を愛しなさい-(マタイ5章43~45節) “あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。 しかしわたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降 らせて下さるからである。”

 

-天に富を積みなさい-(マタイ6章19~20節) “あなたがたは地上に富をつんではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付 いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさ い。 そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、また盗人が忍び込むことも盗 み出すこともない。”

 

-思い悩むな-(マタイ6章25~29節) “何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着よう かと、自分の体のことで思いわずらうな。 命は食物にまさり、体は着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくこ とも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。だが、あなたがたの天の 父は彼らを養っていてくださる。あなたがたのうち、だれが思いわずらったか らとて、自分の寿命をわずかでも延すことができようか。また、なぜ、着物のこ とで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えてみるがいい。 働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華を窮めたときの ソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾ってはいなかった。”

 

-求めなさい-(マタイ7章7~8節) “求めよ。そうすれば、与えられるあろう。捜せ。そうすれば見出すであろう。 門をたたけ。そうすれば、あけてもらえるであろう。”

 

-狭い門-(マタイ7章13~14節) “狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っ て行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出すもの が少ない。”

 

-実によって木を知る-(マタイ7章15~16節) “偽予言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってやって来るが、その内側 は貪欲な狼である。その実によって彼らを知るべし” イエスは語り、群衆は聴きました。すべてを語り終えたとき、群衆はイエスの 教えに驚きました。律法学者のようにではなく、権威あるもののように教えた からです。 ここにはイエスの神の国運動を中心として形づくられつつあった、最初の共 同体の運動方針や生活の仕方が明確な形として示されています。 この「山上の説教」はイエスとその弟子たちに、絶えず攻撃をしかけて来るユ ダヤ教の律法主義者から小さな群れを守り、敵対者との論争に打ち負かされな いための、理論武装を行う必要性に迫られて弟子たちによって編集され、現在 の形になったと考えられています。 

 

http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou10.html