イエスとの論争
http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou10.html
-清めの論争-
(マルコ7章1~13節)
第一幕
あるときイエスの弟子たちの中に手を洗わないで食事をしているもの がいるのを見て、パリサイ派の人々と数人の律法学者がイエスに尋ね ました。 「なぜあなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従わず、汚れた手 のまま食事をするのですか」
第二幕
これに対してイエスは予言者イザヤの言葉をひいて答えました。 「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えをかたくなに 守っている。あなたがたは自分の言い伝えを大事にして、神の 掟をないがしろにしている・・・・・・・・・。皆、わたしの言うこと を聞いて悟るがよい。外からの人の体に入るもので人を汚す ことのできるものは何もなく、人の中から出てくるものが人 を汚すのである・・・・・。」 イエスはこう言うと群衆を離れて家に入りました。
第三幕
イエスのあとについてきた弟子たちがイエスの言葉の意味を尋ねる とイエスは言いました。 「あなたがたも、そんなに物分りが悪いのか。すべて外から人の 体に入るものは、人の体を汚すことが出来ないことが分から ないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り 、そして外に出される。こうしてすべての食べ物は清められる」 弟子たちは真意をはかりかねて呆然と互いに顔を見合わせるばかり でした。 それを見てイエスが続けます。 「人から出てくるものこそ人を汚す。中から、つまり人間の心か ら<悪い思い>が出て来るからである。」 ここまで言ってもなお合点のいかぬ面持ちの弟子たちに向かって、 イエスはとどめの言葉をつきつけました。 <悪い思い>とはこうなのだ、と 「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、 悪口、傲慢、無分別など・・・・・これらの悪はみな中から出てきて 人を汚す・・・・・。」 イエスは外側(外面)の汚れから内面(心)の汚れへと人々に注意を 喚起したのです。
-安息日の論争-
(マタイ12章1~8節)
第一幕
ある日のこと、その日は安息日だったのですが、イエスと弟子たちは 麦畑を歩いていました。弟子たちは空腹のあまり、麦の穂を摘んで食 べ始めました。 断食の日、にしてはならない事をしてしまいました。
第二幕
パリサイ派の人々が、早速これを見咎めてイエスに言いました。 「あなたの弟子たちは、安息日に、してはならないことをしている」 そこでイエスは言います。 「ダヴィデが自分も供の者たちも空腹だったときに、何をしたか 読んだことがないのか。神の家に入り祭司のほかには食べては ならない供えのパンを自分も供の者たちも食べたではないか。 <安息日に神殿にいる祭司は安息日の掟を破っても罪には ならない>と律法にあるのを呼んだことはないのか・・・・・・・。」 イエスはたたみかけるようにパリサイ派に迫ります。その気迫にお されてか、もはや反論するものはいません。状況は逆転し、そこから 新しい意味の世界が開かれようとしています。
第三幕
イエスの最後のとどめの言葉は新しい意識を目覚めさせます。 「人の子は安息日の主である」 〔人の子〕はここではイエス自身のことで “安息日は人のためににある。人がそのためにあるのではない” という意味です。 このように共同体の敵対者への理論武装が準備されていきます。
-取税人や罪人との食事-
(マルコ2章15~17節)
第一幕
ガリラヤ湖のほとりの取税人レビの家で、イエスは食事の席につい ています。沢山の取税人や罪人も、イエスの弟子たちと同席してい ます。取税人とはローマ帝国の徴税を請け負うユダヤ人、罪人とは 汚れた病気を抱えた者でいずれもユダヤ社会の被差別民でした。
第二幕
その光景を目撃したパリサイ派の律法学者が弟子たちに言いまし た。 「どうしてイエスは取税人や罪人と一緒に食事をするのか」 第三幕 これを聞いてイエスは言いました。 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わ たしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招 くためである。」
-癒しの論争-
(マルコ2章1~12節)
第一幕
ガリラヤ湖の北西岸のカファルナウムの町。イエスが家に居ることが 知れ渡ると大勢の人がやってきて、戸口のあたりまで隙間もないほど です。 イエスが話しをしているところに、四人の男が中風の病人を運んでき ましたが、群衆に阻まれて、イエスに近づくことが出来ません。 そこで屋根をはがして穴をあけ、イエスの頭の上から病人の寝ている 床を吊り下ろしました。
第二幕
イエスはその人たちの熱意に動かされるふうに 「子よ、あなたの罪は赦される」と言いました。 ところがそこにユダヤの律法学者が数人座っていて、あれこれ思案し ていました。 “この人がなぜ、こんな言い方をするのか。神を冒涜している。 いったい神以外のだれが、罪を赦すことができるのか” イエスは彼らの心の中を見抜いて言いました。 「なぜ、そんな考えを抱くのか。中風の人に“罪は赦される”という のと“起きて、床を担いで歩け”というのとどちらが易しいか。 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」 と言い中風の人に向かって言いました。 「起き上がり、床を担いで家に帰るがいい」 第三幕 すると皆の見ている前で、その人はすぐに床を担いで出て行ったの で、人々は大変驚き 「こんなことは今まで見たことがない」と言って神を賛美しました。