日本でのキリスト敎の現狀 

 

  日本人の多くは、統計上は仏教徒/神道信者として数えられていますが、実際は多くの人が宗教に無関心であるといえるでしょう。多くの人は、仏教の教えや習慣に文化的に慣れ親しんでおり、神社の祭りやお参りに行くけれど、特に神の存在について、あまり考える機会を持ったことがないというのが、現状だと思います。日本のクリスチャンの数は、全人口の1.5%程度と予想されており、キリスト教のメッセージを世界中に伝えることを目標とするJoshua Projectは、日本をキリスト教が(ほとんど)伝わっていない国(unreached/ least-reached people group)とカウントしています。また日本のキリスト教会の課題として、高齢化の克服が挙げられています。アメリカの高校や大学には、どこでもほぼ必ずクリスチャンのための集まりやクラブが存在しますが、日本には、高校のクラブはほとんど皆無、大学レベルでも、キリスト教のクラブを立ち上げるほど、クリスチャンが集まらない大学が数多く存在します。こうした状況を変えて、特に10−20代の人にキリスト教について知ってもらいたいという気持ちが、このウェブサイトの立ち上げのきっかけとなりました。 

http://JapaneseChristian.net/ より  


日本の教会の現状 

 イエスのガリラヤ伝道以来、今迄に全人類の約7割の人々に福音が伝わり、そのためにおよそ7400万人が殉教したと言われています。現在238ヶ国、約13億人のクリスチャンが存在しており、南米、中国、インドでは初代教会時代を彷彿とさせるリバイバルが起こっています。  
 今、毎日7万人近い人々が救われ、今でも毎年約16万人の霊の戦士が殉教しています。1970年には世界に10しかなかったメガチャーチは、今では約650存在し、ウガンダやフィジー等、国全体を神に捧げる国が登場しました。2000年間にわたる教会時代は、今やラストスパートに入っているのです。  
 そのような教会時代の只中にあって、世界には未だ福音が伝えられていない約60のアンリーチドカントリーが存在しています。そのほとんどは、共産国とイスラム教圏ですが、その中に、宗教も思想も自由な先進国、誰もが教会で結婚式を挙げ、神学校もある日本がその一つに数えられています。ある著名な心理学者がこう語りました。「日本は非常に病んでいる。しかし、我々は答えを持っていない。」と。  
 日本の交通事故による年間死亡者約1万人に対して、自殺者は年間3万人以上。未遂や、メディアに掲載されなかったものを含めますと、おそらくその数は十倍近いと思われます。自殺による遺児は、交通事故の5倍。日本では、毎日100人以上の人が自殺し、1万人の殺人(胎児殺害は年間300?万人/毎日7秒間に一人が堕胎/4人妊娠して3人が中絶)が行われています。これは届け出のない類推ですが、この殺人は、どの戦争の犠牲者よりも多いことは確かです。  
 現代は、生命の操作や管理(精子銀行/お金で生命を買う)が、何の罪悪感もなく行われている人類史上、嘗てなく荒廃した時代です。このような現在日本中にはびこる様々な深刻な問題に対して、唯一答えを知っているのは教会だけであるはずにも係わらず、一般に人々が教会に対して抱いているイメージは、未だ3K(固い-暗い-厳しい)のままです。  

 日本のキリスト教会、とりわけプロテスタン教会はリバイバルを目指して、日夜伝道に励んでいるものの、その結果は日本にあるプロテスタント教会の数は、伝道所等を含め、全国に約7800(17000人に一つの教会)。日本の教会が公表している平均教会員数は30人ですので、7800X30=約23万4千人。日本の総人口12600万人中23万4千人は、全体の0.2%以下です。 
 確率上、全体から認知される最低限の数字は3%と言われています。つまり、日本のクリスチャン人口が、全体からその存在を認知されるに至るためには、現在日本にいるクリスチャンの数が、およそ20倍に増加しなければなりません。  
 「一千万人救霊」のスローガンが叫ばれて久しいですが、もし、この計画を本当に実現に至らせるのであれば、私達は毎年7200の新しい教会を生み出して行く計算になります。しかし、現実には毎年およそ100近い教会が日本から消えているのです。  
 1950-60年代、世界から日本に派遣された宣教師達の働きによって、日本の教会数は約2000から5000に飛躍的に急増し、それ以降、日本のクリスチャン人口は僅かながらも増加を続けて来ました。しかし、その数は1999年を境に少しずつ減少し始めています。  
 また、多くの日本の教団は、教会数よりも牧師・伝道師の数の方が多いという、欧米の教会にはほとんど例のない日本特有の現状が存在しています。これは、貴重な献金が宣教よりも、教団・教会運営のために使われていることを意味します。 

http://goodnewsstation.com/ より