悔い改めの実を待つキリスト
ルカ伝13章1ー9節
先週は、裁判所に連れて行かれる途上の人の喩えで、ユダヤ民族に「審判の時」が迫っているという危機的な状況があって、神との和解を優先的に考えるべきだという教えを見てみました。今日の箇所は、その流れを引き継いで、「審判の時」が迫っているというユダヤ民族の危機的な状況を教える二つの段落からなっています。前半は1-5節で、ここにはエルサレムで最近起こった二つの事件についてのイエスの解釈があります。ここでは、「審判の時」を他人事と考えていた民衆と普遍的になものと考えていたイエスの認識の差が浮き彫りになっています。後半は6-9節の〈いちじくの木〉の喩えです。ここでは、ユダヤ民族への神の忍耐の完全さが教えられ、その完全な忍耐が報われないキリストの無念さと悲しみが描かれているのです。
この教えは、ユダヤ民族だけに向けられたものではありません。人間世界全般に向けられたものと受け取るべきだと思います。人はいつまでもこの平穏な暮らしが続くものと思って生きています。まさか、危険が自分に迫っていようなどとは夢にも思わないものです。しかし、イエスがユダヤ民族の未来にかなり大きな危機感を抱いておられたことは、福音書のいろいろなところからはっきりと伺うことができます。しかし、それとは対照的に、人々の眠っているかのような安閑とした様子が描かれているのです。
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http://www1.bbiq.jp/hakozaki-cec/PreachFile/2012y/120715.htm