教会と宣教活動
- マタイ福音書28:18-20 -
[インマヌエル 下巻.10-28]
[マタイ福音書28:18-20] 「18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」」
*** 初代教会は主の指示に従い、宣教活動に全力を尽くした。その結果、イエス・キリストの福音がアジア、ギリシャ、ローマにまで広まった。私たちにまでその福音が伝えられたのも、このような宣教活動の結果である。
今日の教会は、宣教すべき国や民族が数多くあることを認識し、その使命をしっかりと果たさなければならない。
1. 宣教とは?
(1) キリスト者の真の信仰の願いである。(使徒行伝16:14-15)
「14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。」 (使徒行伝16:14-15)
(2) 弟子たちに対するイエス・キリストの指示である。(マタイによる福音書28:19)
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」 (マタイ福音書28:19)
(3) イエス・キリストの教会の根本的な使命である。(マルコ福音書16:15、使徒言行録13:1-3)
「それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ福音書16:15)
(4) 教会指導者の使命である。(ローマ書16:19-27)
「25 私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、26 [前節に合節] 27 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。」 (ローマ書16:25-27)
2. イエスの宣教活動
(1) 失われた者を探し出し、神の国を築かれた。(ルカ福音書15:4)
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」 (ルカ福音書15:4)
(2) あらゆる病を癒し、その魂を救われた。(マルコ福音書10:52)
「するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。」(マルコ福音書10:52)
(3) 弟子たちを教育された。(マタイ福音書28:19-20)
「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ福音書28:20)
(4) 神の御心を行い、その御業を完全に成し遂げられた。(ヨハネ福音書4:34、6:38)
「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ福音書4:34)
3. 宣教のための教会の活動
(1) 宣教師の養成(マタイ福音書28:19-20、マルコ福音書16:15)
① 使命のある者を招かなければならない。
② 適格な者を教え、訓練する。
③ 主の御心に従って宣教地に派遣する。
(2) 宣教のための祈り(第一テモテ2:1-7)
① 神の御心を知り、信仰をもって祈る。
② 宣教師と信仰の交わりが築かれるよう祈る。
③ 宣教する地域とその国のために祈る。
(3) 宣教のための献金(第二コリント8:2-5)
① 宣教のための基金を準備する。
② 宣教献金の割合を高める。
③ 信仰の捧げ物として神にささげる。
(4) 宣教のための行政
① 宣教のための行政機関を教会内に組織することが必要である。
② 総合的な宣教センターを設立することが望ましい。
③ 行政は神の国の法に従い、神の義を行う。
*** キリストが神と私たちとの間のとりなし手となられたように、私たちもキリストとすべての人との間で、キリストを信じて従うように導く働き人とならなければならない。このような働き人たちの集まりこそが教会である。したがって、教会はキリストの体として、キリストの残りの苦しみを自分の体に満たすこと(コロサイ書1:24)、すなわち宣教のための機関でもある。
