少しも疑わずに信じて願いなさい

ヤコブ1章5ー12節

 

 先週は、みことばを自分の生活や人生に適用し実践するには、〈知恵〉というプロセスが重要であることを見てみました。この〈知恵〉は、神のみこころを具体的に見分ける〈識別力〉を含むことにも触れました。イエスは、山上の説教の中でこの〈識別力〉を〈目〉と表現されました。先ず、このことを付け加えることから、始めさせていただきたいと思います。マタイ62223をご覧ください。〈目〉は〈見分ける〉ための感覚器官です。私は近眼ですが、メガネなしでは遠くはボヤけていて、はっきり識別することができないのです。それでメガネなしには道を間違えたり迷ったり、さらには危険を事前に察知して避けることもできないと思います。同様に、心の〈目〉である〈識別力〉が〈健全〉に機能しているかどうかは、その人の歩み全体、人生全体に影響すると言っても良いでしょう。だからこそ、〈知恵〉の重要性が強調されているわけです。

 このような〈知恵〉は、神に求めれば必ず与えられるもので、それがデボーションの重要な要素であることにも触れました。また、このような〈知恵〉は、証しや伝道にだけ有効であるというわけではありません。様々な問題に解決の糸口が得られるように、〈知恵〉をいただくことができると思います。このようにデボーションにおいて〈知恵〉をいただいて、生きていること自体が証しとなるのです。このような〈知恵〉を求めれば必ず与えられるということでしたが、ヤコブは〈少しも疑わずに、信じて願いなさい〉と、この「求め方」についても語っています。今日はこのことをテーマにしたいと思いますが、最初にこの真逆に当たる〈疑う人〉についての話から始めたいと思います。

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http://www1.bbiq.jp/hakozaki-cec/PreachFile/2012y/120520.htm