ヤコブ - 神と戦って勝った力
- 創世記32:28-29 -
[インマヌエル 下巻.9-03]
[創世記32:28-29] 「28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」 29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。」
[ホセア書12:3-4] 「3 彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。4 彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。」
*** ヤコブは孤独な人であり、さらに人々の足の下で容易に踏み潰される蛆のような人生(イザヤ書41:14)であったが、神と戦って勝った。ヤコブが神と戦って勝った不思議な力について考えてみよう。
1. このような力はどこから生まれるのか?
(1) その力は主の恵みから生まれる。
○ 神は私たちの悲しみと弱さを見て、黙って見過ごされない。(詩篇34:8、23:6)
「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(詩篇34:8)
(2) その力は神の約束から来る。
○ 神は信じ頼る者に、約束されたことをすべて成し遂げてくださる。(第二コリント1:20)
「神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。」(第二コリント1:20)
(3) その力は恵みの関係から生まれる。
○ 神である父は、まことに御子たちの声を聞いてくださる。(マタイ福音書7:11、第二コリント6:18)
「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイ福音書7:11)
(4) その力は主の選びから生じる。
○ 神がご自身の民を選ばれたのは、彼らを祝福するためである。(ヨハネ福音書15:16、使徒行伝22:14)
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」 (ヨハネ福音書15:16)
2. このような力をどのようにして得ることができるか?
(1) 自分の弱さを深く悟らなければならない。(第二コリント12:10、創世記32:7)
「私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」 (第二コリント12:10)
(2) 神を信じる純粋な信仰を持たなければならない。(ヨハネ福音書14:12, 創世記32:26)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」 (ヨハネ福音書14:12)
(3) 神の御心に従って忠実に従順でなければならない。(ヨハネ福音書9:31、使徒行伝10:2、31)
「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。」 (ヨハネ福音書9:31)
(4) 私たちの心全体を注ぎ出して捧げなければならない。(ホセア書12:4、詩篇51:17)
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)
3. このような力をどこに用いるのか?
(1) 私たち自身のために
① ヤコブ(意味:かかとをつかむ):(創世記25:26)「そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。...」
② イスラエル(意味:神が戦ってくださる):(創世記32:28)「… 、本文」
③パウロの証言:(ピリピ書4:13)「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
(2) 他の人々のために
①ヤコブの家族はその力によって守られた。(創世記33:5)
②エサウの心はその力によって和らげられた。(創世記33:11)
*** ヤコブは大きな危機に直面した時、落胆せず、独りで神に泣きながら切に祈った。それによって神から力を得て、その願いを成し遂げた。また私たちの主もそうされた(ヘブル書5:7)。したがって私たちもそうすることが当然である。
{ヘブル5:7] 「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
