祈りについて (1-2/2)
- ピリピ書4:6~7 -
[インマヌエル 下巻.7-35, 36]
     
[ピリピ書4:6~7] 「6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
     
*** 祈りは神と人間との交わりであり、人々が神に捧げるべき感謝の本質的な表現である。私たちの祈りの対象である神は、万物の創造主であり、主権を持ち、すべてを導き、私たちの祈りに答えてくださる方である。
     
1.祈りの対象
     
(1) 祈りの対象は、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神、すなわち三位一体の神である。
(2) 自然現象、偶像、人間、死者、悪霊、サタンなどはもちろん、聖人や天使であっても祈りの対象となってはならない。
     
2.祈りの種類
     
(1) 賛美の祈り(詩篇19:1、ローマ書11:33、36)
- 神による創造の神秘、その摂理の偉大さ、贖罪の恵み、永遠の神の国の栄光などに心を傾ける。
(2) 感謝の祈り(詩篇103:2、ルカ福音書17:15、16)
- 既に受けた恵みを思い返し、今その恵みの中にある神の愛を覚え、それが永遠に変わることのないことを信じて感謝する。
(3) 罪の告白の祈り(詩篇32:5、第一ヨハネ1:9)
- 自分が犯した罪をありのままに神に告げ、赦しを請う。
(4) 願いの祈り(マタイ福音書7:11、ピリピ書4:6、7)
- 子供が父に求めるように、自分が望むことを神である父に告げ、願い求める。
(5) 他者のための祈り(ローマ書8:34、第一テモテ2:1)
- 自分自身のためではなく、他者のために祈り求める。
(6) 導きを求める祈り(創世記24:12、詩篇25:4、8、12)
- 何か決断をしなければならない場合に、神の御心にかなう選択となるよう祈る。
(7) 献身の祈り、静かな交わりの祈りなどが挙げられる。
     
3. 祈りの動機
     
(1) 人間は神によって創造され、さらに神の「かたち」(創世記1:26)として創造されたため、祈りによって神と交わりたいという本性を持っている。
(2) さらに
① 神の栄光ゆえに祈る。
② 神への愛ゆえに祈る。
③ 神の命令ゆえに祈る。
④ 人生の喜び、悲しみ、苦悩などゆえに祈る。(詩篇50:14)
     
4.祈りの姿勢
     
(1) 立って両手を天に向けて祈る。(列王記上8:22)
(2) 座って両手を天に向けて祈る。(出エジプト記17:12)
(3) 膝をついて祈る。(使徒行伝20:36)
(4) 伏して胸を打ちながら祈る。(ルカ福音書18:13)
(5) 歩きながらでも、横たわりながらでも、いかなる姿勢であれ祈るように勧められる。
     
5.祈りの時間
     
(1) ダニエルは一日三度祈った。朝、昼、夕べ、祈りの時を守った。(ダニエル書6:10)
(2) ダビデは朝の祈りの詩篇(3編)と夜の祈りの詩篇(4編)を作った。
(3) 主イエスは「夜明け前に」祈る習慣を持っておられた。(マルコ福音書1:35)、大きな出来事がある時は夜通し祈られた。(ルカ福音書6:12)
(4) 使徒たちは「午後3時の祈り」を守った。(使徒行伝3:1)
○ このように定まった時間を決めて祈りに専念することも必要だが、「絶えず祈れ」と勧められたように、さまざまな時間を祈りの時間として活用できる。(第一テサロニケ5:17)
     
6.祈りの場所
     
(1) 共同の祈りの場所
① 幕屋、神殿、教会のような「祈りの家」だけでなく、一般の家も祈りの場所となる。
② 山、川、海のような自然界も祈るのにふさわしい環境となる。(ルカ福音書6:12、使徒行伝16:13、マタイ福音書4:2)
③ 人を避けた静かな場所が理想的だが、騒がしい中でも祈りは可能である。
     
(2) 個人の祈りの場所
① 主イエスは「奥の部屋」で「戸を閉めて」祈るよう命じられた。(マタイ福音書6:6)
② その他、(1)に列挙した全ての場所が個人の祈祷の場所となる。
     
◈ 祈りの動機
     
私たちが祈るたびに常に覚えておくべきことは、神の前における私たちの真の必要は罪の赦しであるという点である。神の子となった者は、まず自分の罪の赦しを神に求めるべきである。
祈りの動機において、あらゆる祈りには何よりも神の栄光が第一の動機とならなければならない。ウェストミンスター大要理問答もまた、私たちは神の栄光のために祈るべきであると(184問答)、罪に対する深い認識と悔いる心を持って(185問答)行うべきことを教えている。
     
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祈りについて (2/2)
- ダニエル書6:10 -
     
[ダニエル書6:10] 「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。―彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。―彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」
     
*** 祈りは何よりも神が私たちに求めておられるものである。また祈りは神の恵みによって生きる者の信仰そのものである。
     
7.祈りの形態
     
(1) 祈祷文による祈り
① 礼拝における「主の祈り」、
② 洗礼や聖餐式における祈祷文、
③ 結婚式や葬儀などにおける祈祷文などがこれに属する。
     
(2) 自由な祈り
定められた形式を取らず、心に浮かぶままに祈ることである。
     
8.祈りの答え
     
(1) 答えられる祈り。
① 神の御心にかなう。(第一ヨハネ5:14)
② 主イエス・キリストの御名によって祈る。(ヨハネ福音書14:14)
③ 聖霊によって祈る。(ローマ書紙8:26)
④ 切に祈る。挫折せず、昼夜を問わず、熱心に求める。(ルカ福音書18:5、7)
⑤ 心を合わせる。一同が心を一つにして祈る。(マタイ福音書18:19、使徒行伝4:24)
⑥ 不義を捨てて悔い改める。(歴代誌下33:1~13、ルカ福音書18:13、14、ヤコブ書5:16)
⑦ 幼子のように求める。疑わず確信を持って祈る。(マルコ福音書11:23、24、ヤコブ書1:6、7)
     
(2) 答えられない祈り
① (1)に列挙した条件に合致しない場合である。
② 神の愛と全知によって、その祈りに答えず、他の最善の道へ導かれることもある。(ローマ書8:28、第一ヨハネ3:20)
     
9.聖書に記録された祈りの例
     
(1) 感謝と賛美に関する祈り
① モーセはエジプト脱出に成功した直後に主に感謝し、主を賛美した。(出エジプト記15:1~18)
② ツェルバはカナンに対する勝利の時、主を賛美した。(士師記5:1~4)
③ ハヌエルは息子サムエルを産んだ時、感謝して主を賛美した。(サムエル記上2:1~10)
④ ダビデは敵から救われた時、主を賛美した。(サムエル記下22章、詩篇18編)
⑤ マリアは聖霊によってイエスを身ごもった時、神を賛美した。(ルカ福音書1:46~55)
⑥ ペテロは救いの恵みによって神を賛美した。(第一ペトロ1:3~5)
⑦ パウロはキリストにあるすべての霊的祝福を思い起こし、神を賛美した。(エペソ書1:3~14)
⑧ パウロは苦難の時に慰めてくださる神を賛美した。(第二コリント1:3、4)
⑨ その他、頌栄、祝福などが見られる。(ローマ書16:25~27、エペソ書3:20、21)
     
(2) 罪の告白に関する祈り
① エズラは民が結婚に関して戒めを破った罪を神に告白した。(ゼカリヤ書9章)
② ネヘミヤはイスラエルが犯した罪を告白し祈った。(ネヘミヤ書1:4~11)
③ ヨブは無知と愚かさを悟り悔い改めて祈った。(ヨブ記42:1~6)
④ ダビデは、彼が犯した姦淫と殺人の罪を指摘され、その罪を告白し祈った。(詩篇51編)
⑤ イエスのたとえ話を見ると、取税人は胸を打ちながら「私は罪人です」と告白した。(ルカ福音書18:13)
     
(3) 願いと心を一つにした祈りに関する祈り
① アブラハムはソドムが滅ぼされずに済むよう祈った。(創世記18:22~33)
② ヤコブは兄エサウと再会する前に、心を尽くして主に懇願した。(創世記32:9~12、24~29)
③ モーセはイスラエルの民が金の子牛を作って礼拝した後、彼らのために命を懸けて心を一つにした祈りを捧げた。(出エジプト記32:31~34)
④ モーセは、イスラエルの民が不信仰のために約束の地に入ろうとせず反逆したため、神が彼らを滅ぼそうとされた時に、彼らのために祈った。(民数記14:13~19)
⑤ ギデオンは、自分がイスラエルを救うために備えられた者かどうかを確認する証拠を求めて、二度祈った。(士師記6:36~40)
⑥ ハヌエルは子を授かるよう切に祈った。(サムエル記上1:10、11)
⑦ ダビデは王位を継ぐ子を授かり、その王国の王座が永遠に確立されるという神の約束を受けた時、その実現を願い祈った。(サムエル記下7:18~29, 歴代誌上17:16~27)
⑧ ソロモン王は王として即位した後、知恵を求めて神に祈った。(列王記上3:6~9)
⑨ 預言者エリヤはカルメル山で天から火が降るように祈った。(列王記上18:36、37)
⑩ ヒゼキヤ王はアッシリア王サンヘリブの脅迫状を受け取った時、それを神の前に広げて祈った。(列王記下19:14~19、イザヤ37:14~20)
⑪ ネヘミヤは民のために心を合わせて祈った。(ネヘミヤ記1:4~11)
⑫ ヨブは自分が苦難を受ける理由を教えてほしいと祈った。(ヨブ記10:2-22)
⑬ ダニエルはネブカドネザル王の夢とその解釈を求めて友人とともに祈った。(ダニエル書2:17~19)
⑭ ヨナは大きな魚の腹の中で神に叫びながら祈った。(ヨナ書2:1~9)
⑮ ハバククは神に問いかけながら祈った。(ハバクク書1:2~4、12~14)
⑯ 主イエス・キリストは ⓐ 弟子たちのために祈られた。(ヨハネ福音書17章)、 ⓑ ゲッセマネの園で苦しみもがいて切に祈られた。(マタイ福音書26:39~44, マルコ福音書14:35-39, ルカ福音書22:41~44)、ⓒ 十字架の上で赦しの祈りを捧げられた。(ルカ福音書23:34)
⑰ ステパノは、自分に石を投げて殺そうとする者たちのために祈った。(使徒行伝7:59、60)
⑱ パウロはクリスチャンの目が開かれ、あふれる祝福を受けるように祈った。(エペソ書1:17~19、3:16~19)
     
(4) 導きを求める祈り
① アブラハムのしもべは、イサクの妻となる処女へと導いてくださるよう祈った。(創世記24:12~14)
② ダビデは戦いの最中、たびたび神の導きを求めた。(サムエル記上23:2、4、11、サムエル記下5:19、23)
③ エズラはバビロンからエルサレムへ無事に帰還できるよう祈願した。(ゼカリヤ書8:21~23)
④ エステルは死を賭してでも神の導きに従えるよう祈った。(エステル書4:16)
⑤ パウロは伝道の道が開かれるよう懇願した。(ローマ書1:10)
     
+ その他にも聖書にはさまざまな形態の祈りが多く記録されている。すなわち聖書は祈りの書でもある。
     
*** 祈りは神の子らの生きた信仰の表現として、神との親密な交わりである。
父なる神が祈りを聞き応答され、御子が御名によって執り成し、聖霊が神の啓示された御心を知らせる神の記録された御言葉をもって、私たちの祈りを活性化してくださる。それゆえ私たちは祈りを通して、三位一体の神を知る知識が深められるのである。
     
