心を尽くして祈れば
- エレミヤ書33:1~9 -
[インマヌエル 下巻.7-18]
[エレミヤ書33:3] 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
*** 私たちの父となられる生ける神は、私たちの祈りを聞き、私たちが知らない大きな秘密の御業を行って示してくださる。
* 神の子どもとなった私たちは、聖書に記された神のすべての御言葉を信じ、心を尽くして祈ろう。
◎ 「心を尽くして祈る」という表現は、心と意志と誠意をすべて注いで祈るという意味で、神への完全な献身と集中した心を表す。
「あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(エレミヤ書29:13)
「私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。」(詩篇9:1)
1. 父なる神はどのような方か?
◎ 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。」(エレミヤ書33:2)
(1) 地を造られた主
(2) それを形造って確立させた主
(3) その名は主である方(出エジプト記3:14)
2. 神に心を尽くして祈れば、何が起こるのか?
(1) 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ書33:3)
(2) 「見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。」(エレミヤ書33:6)
(3) 「わたしはユダの捕われ人と、イスラエルの捕われ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。」(エレミヤ書33:7)
(4) 「わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。」(エレミヤ書33:8)
(5) 「この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」(エレミヤ書33:9)
3. 神に心を尽くして祈り、その祈りの答えを受けた人々
(1) ダビデ:「2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。」 (詩篇51:2~3)
(2) ヒゼキヤ:「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。」 (列王記下20:5)
(3) エレミヤ:「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。」 (哀歌2:19)
(4) イエス:「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル書5:7)
(5) 十二年の間長血をわずらっている女:「20 見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。21 お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。」(マタイ福音書9:20~21)
(6) 中風の人:「人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。」(マタイ福音書9:2)
(7) 初代教会の聖徒たち:「5 ペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。... 17 彼(ペトロ)は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言って、ほかの所へ出て行った。」(使徒行伝12:5~17)
(8) パウロ:「9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」(ローマ書1:9~10)
*** イスラエルの民が神に心を尽くして祈るとき、神は彼らにとって不可能に見えることを可能にしてくださる。神は彼らをバビロン捕囚から故国へ帰らせ、国を回復させてくださる。それゆえイスラエルの民はそのために神に願い求めなければならない。
神は滅ぼされたエルサレムの都を癒やし、回復させ、イスラエルの捕囚たちを帰還させる。このようなことは人の考えでは不可能だが、救い主なる神にはできないことはなく、またこのことはただ神の完全な憐れみと恵みによるものである。