求めるものは何でも
- 第一ヨハネ3:21~24 -
[インマヌエル 下巻.7-10]
[第一ヨハネ3:21~23] 「21 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、22 また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。23 神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」
*** 神の子どもが神の御言葉を守り、神の心にかなうことを行いながら祈るなら、望むことは何でも成就される。
1. 神に求めるものは「何でも」受ける。- その条件は?
◎ [第一ヨハネ3:22] 「求めるものは何でも神からいただくことができます。」
(1) 私たちの心が私たちを責めることがあってはならない。(第一ヨハネ3:21)
「自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、」 (第一ヨハネ3:21)
(2) 主の戒めを守り、御前で喜ばれることを行わなければならない。(第一ヨハネ3:22~23)
「私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。」 (第一ヨハネ3:22)
「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」 (第一ヨハネ3:23)
2.神に求めることは「御心にかなうもの」でなければならない。
◎ [第一ヨハネ5:14] 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」
(1) イエスの御名によって父なる神に求めなければならない。(ヨハネ福音書14:14、16:23~24)
(2) 神の国とその義を求めなければならない。(マタイ福音書6:33)
① 自分自身に - 救いの喜びを(第一ペテロ1:8~9)
② 隣人に - 神の愛を(家庭と職場と地域教会へ)
③ 未信者に - 救いの福音を
(3) 神の御心と計画を知り、行えるように求めなければならない。(エレミヤ書33:2)
① 神の計画を見る目が開かれるように(ヨハネ福音書9:39~40)
② 主が与えられた使命を悟り従えるように(マタイ福音書28:19~20)
③ 神と主イエス・キリストを知る者となるように(エペソ書1:17~18)
3. 神は今も働いておられる。
◎私たちが求めることを聞き届けるために、私たちと共におられる(インマヌエル)。(マタイ福音書28:20)
(1) 助け主、すなわち聖霊が私たちのために働いてくださる。(ヨハネ福音書14:26、使徒言行録1:8)
「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」 (ヨハネ福音書14:26)
(2) 天使と天の軍勢を遣わして、私たちに仕えさせる。(黙示録8:3~5、使徒行伝27:20~24)
(3) 私たちの足でサタンの頭を踏み砕かせる。(ローマ書16:20)
「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」(ローマ書16:20)
(4) 苦難と迫害の中でも奇跡を行ってくださる。(エレミヤ書33:3)
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ書33:3)
4.私たちは常に神に求めることができる。
(1) 神の御心を行い、その業を完全に成し遂げるために(ヨハネ福音書4:34)
「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」 (ヨハネ福音書4:34) <ヨハネ福音書15:7>
(2) 試練と患難を信仰と希望と愛をもって打ち勝つために (第一テサロニケ1:3)
「絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」 (第一テサロニケ1:3)
(3) 互いに協力して主の御業を成し遂げるために (マタイ福音書18:19~20)
「19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 (マタイ福音書18:19~20)
*** 戒め(Commandment)とは?
宗教的、道徳的に守るべき規定を指す。旧約では律法と十戒(創世記26:5; 出エジプト記15:26; レビ記22:31; 27:34)を指す言葉として用いられた。新約では「愛せよ」というイエスの命令(マタイ福音書22:36~40; マルコ福音書12:28-34)を指す際に主に用いられたが、福音書では十戒だけでなく律法の他の規定も指している(マタイ福音書5:19)。
イエスはすべての戒めの核心として、神と隣人への愛を新しい戒めとして語った(マタイ福音書22:36~40; ヨハネ福音書13:34)、パウロは戒めを律法と結びつけて解釈した(ローマ書7章)。