死が訪れる前に
- ルカ福音書16:19~31 -
[インマヌエル 下巻.6-24]
[ルカによる福音書16:19~24] 「19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。22 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』」
*** 人は一度死ぬことと、その後で裁きを受けることが定まっている(ヘブル書9:27)。では、私たちは死が来る前に、残された日々の中で何をすべきでしょうか?
1. 救いを受けなければならない。
[ルカ福音書16:26] 「そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」
- 神の国は、イエス・キリストを信じる信仰によって救いを受けなければ入ることができない。
(1) 「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ福音書14:6)
(2) 「イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネ福音書3:5)
2. 福音を宣べ伝えなければならない。
[ルカ福音書16:27~28] 「27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』」
(1) 福音とは何か?
「この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、」(ローマ書1:2)
① 罪と咎によって死んでいた人を、イエス・キリストがよみがえらせた。
「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(第一コリント15:22)
② イエス・キリストを信じて受け入れ、救いを受ける。
「12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ福音書1:12~13)
③ 永遠の命と神の国を相続として受ける。
「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」(ヤコブ書2:5)
(2) 真の愛は福音の伝道によって現れる。
① イエス・キリストの愛は福音の伝道によって現れた。
「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」(マタイ福音書4:23)
3. 善い行いに励まなければならない。
[ルカ福音書16:20~21] 「20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。」
- 善行は救いの条件ではないが、報いと罰の基準となる。
(1) 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ書2:10)
(2) 「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」(テトス書2:14)
(3) 「ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」(使徒行伝10:38)
(4) 「むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」 (第一テモテ2:10)
*** 私たちは、この世の一時的な富や栄華を楽しむよりも、死後の備えをしながら残りの日々を生きるべきである。すなわち、イエス・キリストを信じることで救いを受け、家族や隣人に福音を伝え、善行に励む者となるべきである。