私のためのイエスの苦難
- イザヤ書53:1~6 -
[インマヌエル 上巻3-22]
[イザヤ書53:5~6] 「5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
*** イエス・キリストは私たち(私)のために苦難を受けた。すなわち、私たちが持つ平安は、キリストの苦難によって与えられた神の贈り物である。しかし、私たちは以前、その偉大な神の恵みと愛を知らなかった。
1. 私たちは嘘をつくサタンに騙された。<参考; コロサイ書2:8、創世記3:1~6>
「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。」 (コロサイ書2:8)
(1) 私たちは主を尊ばなかった。(イザヤ書53:1~3)
「1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」 (イザヤ書53:1~3)
(2) 私たちは、イエスについて間違った思いを持っていた。 (イザヤ書53:4)
- イエスの苦難の意味を正しく理解しなければ、正しい信仰を持つことができない。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」 (イザヤ書53:4)
*なぜ多くの人が福音を信じないのか?」という質問に、J.ウィットンは次のように言った。
① 自らを過大評価し、傲慢に陥っているからである。
② 世の中の誘惑と欲望に捕らわれているからである。
③ 罪(悪魔)の奴隷になっているからである。
*ダグラス・パーキンスの文章に「悪魔の八つの福音」というものがある。<参照; ヨハネ福音書8:44>
① 疲れて忙しいという言い訳で教会に出ない者は幸いである。彼らは私の最も信頼できる働き手になる。
② 牧師の欠点や過ちを見て非難する者は幸いである。彼らは説教を聞いても恵みを受けられないでしょう。
③ 自分の教会でありながら、来るように勧めなくては教会に出ない者は幸いである。彼らは私の騙す言葉によく誘惑されるでしょう。
④ 他人の話が好きな人は幸いである。彼らは私が一番好きな争いを起こすからです。
⑤ 眉をひそめる者は幸いである。彼らは些細なことにも怒り、すぐに教会に出るのをやめるでしょう。
⑥ 神の事に吝嗇して献金しない者は幸いである。彼らは私の仕業を最もよく助ける者である。
⑦ 神を愛しながら、自分の兄弟や隣人を憎む者は幸いである。彼らは私の永遠の友となるであろう。
⑧ 聖書を読んで祈る時間がない者は幸いである。彼らは私の誘惑に容易に陥り、最終的に多くの人の嘲笑の対象となるであろう。
*イエスは弟子たちに真の幸福について教えられた <参考; マタイ福音書5:1~12>.
2. 神は私たちに真の事実を教えてくださった。
(1) イエスが受けられた苦難は私たちのためのものであった。(イザヤ書53:5、本文) <参考; 1ペテロ2:24>
① 「私たちのそむきの罪のために刺し通された。」
② 「私たちの咎のために砕かれた。」
③ 「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらした。」
④ 「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(2) イエスは私たちのすべての咎を負わせた。(イザヤ書53:6、本文) <参照; 1ペテロ2:25, Ⅱコリント5:21>
① 「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」
② 「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
***イエスが私たちのために受けた苦難について正しく知り、その恵みと愛に心から感謝しよう。そして、キリストの弟子として苦難を耐え忍びましょう。さらに、キリストの弟子として苦難を耐え、信仰と愛と希望を持って幸せに生きよう。<参考; マタイ福音書16:24、ルカ福音書22:28-30、1テサロニケ1:3~4>
「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」 (マタイ福音書16:24)