苦しい病気を癒すには
- マタイ福音書8:1~4
[インマヌエル 上巻.3-05]
[マタイ福音書8:1~4] 「1 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。2 すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」 3 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。4 イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
++ らい病は本当に苦しくて恐ろしい病気である。らい病にかかったある人が、神の御子である救い主イエス・キリストに会ってきれいに癒された。
1. イエスに会えば、すべての苦しい問題が解決される。
(1) らい病人が癒されてきよめられた。(マタイ福音書8:3)
「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」 (マタイ福音書8:3)
(2) 盲人が癒されて見えるようになった。(マタイ福音書9:28~30)
「28 家にはいられると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と言った。29 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。30 すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」と言われた。」 (マタイ福音書9:28~30)
2. イエスに会う機会を逃してはならない。
(1) 一人のらい病人は、イエスに従う人々の中に入った。(マタイ福音書8:1) <参照; 第二コリント6:2>
「イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。」 (マタイ福音書8:1)
「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」 (第二コリント6:2)
(2) 自己中心の信仰は恵みを受けるのに障害になる。<例;ナアマン将軍(列王記下5:1~14)>
「9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」 11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」 14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」 (列王下5:9~14)
3. 切実で確かな信仰を持たなければならない。
(1) 一人のらい病人は、イエスの力を確信した。(マタイ福音書8:2)
「ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」 (マタイ福音書8:2)
① 「ひとりのらい病人がみもとに来て」 - 命を賭けて群衆の中に入ってきた。
② 「ひれ伏して」 - 信仰でイエスを畏敬した。
③ 「主よ。お心一つで」 - 切実な願いを嘆きながらイエスに懇願した。
④ 「私をきよめることがおできになります」 - イエスの力を確信し、告白した。
(2) イエスが「信じる者には、どんなことでもできる」と言われた。(マルコ福音書9:22~23)
「22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」 23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 (マルコ福音書9:22~23)
4. 恵みを受けた人が当然すべきことがある。
「イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」 (マタイ福音書8:4)
(1) 「自分を祭司に見せなさい」
- 証を受け、自由な者となりなさい <参照; レビ記14:3>
(2) 「モーセの命じた供え物をささげなさい」
- 恵みを悟り、感謝する者になりなさい。 <参考;レビ記14:7>
(3) 「人々へのあかしのために」
- 祭司たちと一緒に神に栄光を捧げる者になりなさい。
++ もし私たちに苦しい病気や問題があっても、イエス·キリストに祈れば解決されるという事実を信じよう。そして過度な心配に捕らわれないように注意しよう。