救いの喜び
- ルカ福音書19:1~10 -
[インマヌエル 上巻.2-15]
[ルカ福音書19:9~10] 「9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
++ イエスはエリコで取税人のかしらで金持ちであったザアカイに出会った。イエスはザアカイの家に泊まることになり、その家に救いを与えてくださった。ザアカイが何をしたからその家が救われ、イエスを喜ばせることができたのか考えてみよう。
1. イエスを知ろうとした。
[ルカ福音書19:3~4] 「3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。」
(1) 神はすべての人が救われ、真理を知るようになるのを望んでおられる。
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」 (第1テモテ2:4)
「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」 (第二コリント4:6)
「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」 (ルカ福音書10:22)。
(2) 神と神の遣わされたイエス・キリストを知ることが、永遠の命を得ることである。
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」 (ヨハネ福音書17:3)
(3) 私たちはイエス・キリストの恵みと知識において成長しなければならない。
「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」 (第二ペテロ3:18)
2. イエスを受け入れた。
[ルカ福音書19:5~7] 「5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。」
(1) イエスは受け入れる者のところにはいって、彼とともに食事をする。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」 (黙示録3:20)
(2) イエスを受け入れることは、父なる神を受け入れることである。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」 (ヨハネ福音書13:20)
(3) イエス・キリストを受け入れた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
「11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」 (ヨハネ福音書1:11~12)
3. イエスに悔い改めた。
[ルカ福音書19:8] 「ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
(1) イエスは罪人を招いて、悔い改めさせるために来られた。
「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」 (ルカ福音書5:32)
「そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」 (使徒行伝5:31)
(2) 主は、罪人が悔い改めることを本当に喜んでおられる。
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」 (ルカ福音書15:7)
(3) 今日も、主は私たちが悔い改めることを望んでおられる。
「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」 (使徒行伝17:30)
++ イエス様はザアカイのことで、本当に喜ばれた。イエス様は「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」と言われた。私たちもイエス様を知り、イエス様を受け入れ、救いを受けよう。そして、悔い改め、イエス様に褒められる人になろう。