「幸いへの選択」
先日、私は長年住み慣れた大阪から、お隣の奈良県に引っ越しをしました。新しい住まいの環境は実に素晴らしです。川が流れ、山がすぐそばにあり、緑が溢れ、小鳥がさえずり、朝の空気がとてもすがすがしいのですね。田舎好きの私には申し分のない環境です。でも一つ問題があります。それは、花粉の量が大阪よりも多いことなんです。ひどい花粉症の家内にとって、これは大変なことです。朝から晩までくしゃみと鼻水に悩まされているんですね。私は、医者に行くように勧めましたが、忙しいのか、なかなか病院には行きません。そしてその結果、涙と鼻水に今も苦しめられているのです。病院へ行けば全て解決とはいきませんが、少しは楽になると思うのです。

さて、私たちの人生は、選択によって決まります。過去の選択が、今の私を造っています。ある時私達は、人生の岐路に立ちます。右に行くのか、左に行くのか、どちらの道を選択するのも自由です。しかし忘れてはいけない事が一つあります。それは、道の選択は、自由ですが、それを選ぶことによって、その道で起こるすべての事を引き受けなければならないという事です。家内は、医者に行く自由も、行かない自由も持っています。どちらでも選択できます。しかし、行かないという選択をすれば、涙と鼻水に苦しむという結果も引き受けなければならないのですね。私達が、もし、でこぼこの道を選択したら、その道を歩くのに苦労します。もし行き止まりの道を選択したら、はじめは良くても、いずれ進むことができなくなります。これは、選択の結果です。逆に、一見危なそうな道でも、ちゃんとした『道しるべ』がある確かな道なら、その道を選択する事によって、安全に目的地につく事が可能になるのですね。
日常生活の中での「選択」
私達は人生の岐路で選択するだけではありません。実は、もっと日常的な事でも多くの選択をしています。例えば「腹を立てるか立てないか」という事も一つの選択だといいます。私達はある時イライラさせる出来事や不愉快な事に出会います。すると腹を立てます。でもこれは、「選択」だというのですね。「そんな選択はした覚えがない。条件反射の様なものだよ。」と言われるかもしれませんね。確かに不愉快と思う感情は、反射的なものかもしれません。でも腹を立てるという行動に出るか否かは、相手によって選択をしています。もし相手が会社の得意先の方なら腹を立てるでしょうか?しかし、それが、自分の夫や妻や子供なら、私達は簡単に腹を立てる事を選択するんです。一見感情の領域に思える事も、自分の意志によって、どちらにするかを選択しているというのです。その選択によって、生れる結果は大きく変わってしまうのです。もし、誰かの言葉に「怒り」を選択したら、その後に険悪な空気が流れます。「怒らない」という事を選択したら「平和」な空気が保たれます。私達は自分の未来を変える事ができるのです。過去の選択をやり直す事はできません。しかし、これからの選択によって、未来は変わるのです。自分の意志によって決断し、道を選択すれば、間違いなく未来は違ったものになるのですね。
自分の選択によって未来を変えた男
祝福を用意して待っておられる創造主
希望のメッセージを選択する
この時まで、この男性は、自分の出生を恨み、嘆き、過去に縛られ絶望して生きていました。しかしイエスに出会って、彼は生まれて初めて、自分の未来に目を向ける事ができたのです。そして自分の人生に、「祝福の神が素晴らしい事をしてくださる」というメッセージを生れてはじめて、聞いたのです。それは暗闇の中に座っていた彼にとって、希望の光、希望のメッセージとなりました。彼は肉体の目が開かれるその前に、心の目が開かれていたのです。希望のメッセージを聞きそれを信じる事。その選択が彼の未来を大きく変えました。聖書には希望のメッセージが溢れています。あなたも、ぜひこの希望溢れるメッセージを聞き、信じる事を選択してみてください。あなたの未来は、変わります。
http://biblegospel.org/zen2/z631.html