隣人に聞くには早くあれ

ヤコブ1章16-21節

 

 先週は、「神に聞くに早くあれ」というテーマでしたが、今日は「隣人に聞くには早くあれ」というテーマを見てみたいと思います。実は、神に対しても隣人に対しても、〈聞くには早く、語るにおそく〉というのは、そう簡単なことではありません。なぜなら、それを邪魔する心理が働くからです。「語るに早く、聞くにはおそく」なければならない、いろいろな理由があるからです。神にも人にも多くを語って不安を払拭しようとしているかも知れませんし、自我防衛のための壮絶な試みかも知れません。

 このような「語るに早く」という衝動は、「対話型の証し」にとっては、寡黙であることと同程度の障害になると思われます。ただし、多くを語っていても、「対話」が成り立っている場合や、寡黙でありながら「以心伝心」するという日本的なコミュニケーションがあることを否定しているわけではありません。問題なのは、相手の立場を無視して一方的に語って、語れば語るほど「対話」の障害となるよう場合です。実は、「自分のことを語りたい」という衝動が地下のマグマのように内に秘められていて、それを吐き出す機会を求めているのです。それが何かの出来事を契機に、一気に吹き出してしまうのです。ですから、最初に、この衝動から癒される方法があるかどうかを見てみたいと思います。それから、本題に入って、〈(隣人に)聞くには早く〉というテーマを見てみたいと思います。

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http://www1.bbiq.jp/hakozaki-cec/PreachFile/2012y/120422.htm