「聖徒のまじわり」
使徒言行録2章41節―48節
はじめに
ニュースを見ておりましたら、聖書のお話が出ていました。アメリカの次期大統領のオバマさんが、1月の就任式のときに、リーンカン大統領が使った聖書に手をおいて、宣誓をすると伝えていました。オバマさんは、黒人初の大統領になりますが、黒人奴隷解放をしたリーンカン大統領をとても尊敬しているそうです。通常、大統領就任式においては、大統領になる人の家で代々使われてきた聖書を使って宣誓するのが通例のようですが、オバマさんは、黒人奴隷解放をしたリーンカン大統領が就任式のときに使った聖書をぜひ使いたいということだそうです。聖書はいろいろなところで話題になります。
それで、わたしたちも、礼拝において、神の御言葉である聖書を、みんなで学んで、本日も豊かな祝福を受けたいと思います。さて、本日は、主題説教をいたします。今年、いくつかの主題を取り上げ、みんなで学ぶことになっていまが、「聖徒のまじわり」、すなわち、信者のまじわりについてのお話が残っていましたので、これからお話いたします。できるだけ平易にお話したいと願っています。
1.「聖徒のまじわり」とは、わたしたち信者のまじわりのことです
「聖徒のまじわり」という言い方を、初めて聞く方々もいるかもしれませんが、意味は、この世から召し出された信者のまじわり、信者の交流を意味します。「聖徒のまじわり」という言い方は、一般社会では、あまり使わない言い方でしょう。だいたい「まじわり」という言葉そのものも一般社会では、そう多くは使わないでしょう。教会では、まじわりをしましょうとか、礼拝後、お茶を飲みながらのまじわりは楽しいですねなどとよく使いますが、一般社会であまり使わないでしょう。そこで、「まじわり」という言葉を、国語辞書で引いて見ましたら、付き合いとか、交際のことと出ていました。確かに、「聖徒のまじわり」は、信者の付き合い、交際のことですが、信者の付き合い、信者の交際というと、少し、違った感じになるかもしれません。
「まじわり」という言葉は、教会では、信者の交流、信者の共なる歩み、信者の親しいかかわりを表すものとして定着しているので、そのまま「まじわり」という言い方を使うのがよいでしょう。それで、「聖徒のまじわり」の「まじわり」とは、信者の交流、信者の共なる歩み、信者の親しいかかわりを表すことがわかりましたが、では、「聖徒のまじわり」の「「聖徒」とはどういう意味でしょう。すると、聖徒とは、言葉そのものの意味は、聖なるやから、すなわち、聖い者たちという意味で、信者の別の言い方です。クリスチャンの別の言い方です。この世から召し出されて、キリストにより罪赦され、救われ、聖霊により罪を聖められている者たちを意味します。
ですから、まとめると、「聖徒のまじわり」とは、この世から召し出されて、キリストにより罪赦され、救われ、聖霊により罪を聖められている者たちの交流ということになります。そして、広い意味では、「聖徒のまじわり」は、地上の信者だけでなく、天国にいる信者たちも入るし、さらに、これから生まれて後に信者となる人々も入ります。ですから、広い意味では、信者の全体になりますが、狭い意味では、今、地上にあって生きているわたしたち信者の交流を意味します。
それで、これからお話するのは、狭い意味で、今、地上にあって生きているわたしたち信者の交流を意味します。では、今、地上にあって生きているわたしたち信者の交流は、どのような特色があるのでしょう。また、信者の交流にには、どのような祝福があるのでしょう。それらを知るため、地上に成立した初代の教会の「聖徒のまじわり」、すなわち、信者のまじわりに目を向けたいと思います。
2.「聖徒のまじわり」は、洗礼を受けることから始まります
そこで、本日の箇所に目を向けましょう。すると、本日の箇所は、初代教会の信者たちの生活を記しています。すなわち、ペンテコステ、聖霊降臨において、ペトロの説教を聞いて、キリストを信じた人々の信仰生活が描かれています。その流れの中で、初代教会の信者たちが、どのように「聖徒のまじわり」、すなわち、信者のまじわりをしていたかがわかりますので、見て生きたいと思います。
すると、「聖徒のまじわり」、信者の「まじわり」は、イエス・キリストが救い主メシアであることを説教で聞いて、信じて、洗礼を受けることから始まるまじわりです。41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」とありますが、これは、ペンテコステ、聖霊降臨日の出来事でした。
すなわち、イエス様は、十字架で死んだ後、お墓に納められました。しかし、3日目に、お墓から復活し、40日間にわたり、復活の姿を弟子たちに現しました。そして、天にお帰りになり、今度は、天から聖霊を弟子たちに降臨させてくだいました。そのため、弟子たちは、習ったことのない1世紀の地中海各国の言語でキリストのよる救いを語ったので、人々は驚きました。でも、中には、それを認めず、弟子たちは、朝から強いぶどう酒を飲んで酔っ払って、わけのわからないことを叫んでいるのだとあざけりました。そこで、弟子たちを代表し、ペトロが、説教をして、習ったことのない言語で語ったのは、聖霊によることを明かしました。同時に、人々が、イエス様を救い主メシアと信じないで、十字架につけて殺した罪を悔い改め、イエス様を救い主メシアと信じて、救われるように力強く説教したのです。
ですから、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」というのは、ペンテコステ、聖霊降臨日のペトロの説教を聞いてキリストを受け入れ、信じて、洗礼を受けて、教会に加わった人々が、三千人もいたことを意味しています。考えてみれば、三千人はすごいですね。これは、キリスト教信仰の勝利を意味しています。イスラエルの中心地エルサレムは、無実のイエス様を十字架にかけて殺した敵の中心地ともいうべきところです。民衆が、イエス様を十字架につけろ、十字架につけろと騒いで、十字架につけたところです。
しかし、今、それから50日後に、ペンテコステ、聖霊降臨が生じ、ペトロが弟子たちを代表して、説教したとき、その日1日だけで、三千人もの多くの人々が、心を刺され、自分の罪を悔い改め、イエス様を信じて、洗礼を受け、教会に加わったことは、キリスト教信仰の勝利、福音の勝利を意味します。キリスト教信仰は、キリストを十字架につけて殺した敵の中心地であるエルサレムにおいて、勝利したのです。そして、イエス様を十字架につけて殺した故に、伝道が最も難しいはずの敵の中心地のエルサレムでも勝利したのであれば、これからさき世界のどこでも勝利できることを意味しています。
現に、異教の地のわたしたち日本においても、キリスト教信仰、福音は、日本の固い異教の岩盤を打ち破って、あなたとわたしをこの世から召し出し、キリストのあがないによって罪より救い、聖霊によって罪を聖め、「聖徒のまじわり」、信仰のまじわりに入れてくださっていることにより、勝利しています。こうして、「聖徒のまじわり」、信者のまじわりは、イエス様が、人類のただひとりの尊い救い主メシアであるとの説教を聞き、受け入れ、信じ、洗礼を受け、教会に入ることにより始まるものです。そして、「聖徒のまじわり」、信者のまじわりは、誰に対して開かれています。オープンです。
3.初代教会の信者たちの信仰生活には、4つの特色がありました
さて、では、初代教会の信者たちの信仰生活の特色は、どのようなものだったのでしょう。すると、ここでは、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」と言われて、4つのことに熱心であったと、すなわち、4つの特色が挙げられています。そして、その特色のひとつに、「聖徒のまじわり」、すなわち、信者のまじわりが出てくるのです。そこで、初代教会の信者たちの信仰生活の4つの特色を見ていきましょう。すると、第1の特色は、使徒たちの語る教えに熱心に耳を傾けたことです。「使徒の教え」とありますが、「使徒」というのは、もともと、使者、大使、特別な使命を帯びて派遣された者という意味で、あてはめれば、キリストの使者、キリストの大使、キリストから特別な使命を帯びて遣わされた者ということになりますが、具体的には、ペトロやヨハネやアンデレやヤコブなどの弟子たちのことです。
地上には、もうキリストはいません。天にお帰りになりました。そこで、今度は、キリストから弟子として召され、寝食を共にし、絶えずキリストのそばにいて、キリストの説教を直接聞き、キリストの奇跡を直接見た弟子たちが、キリストから遣わされた者、すなわち、使徒とされて、信者たちを指導することになりましたので、信者たちは、使徒たちの語る説教に、熱心に耳を傾け、自分たちの信仰の養いとしたのです。今日もそうです。キリスト教信仰は、教会で語られる説教を通し、聖書の教えにより養われていくのです。
では、初代教会の信者たちの信仰生活の特色の第2は何でしょう。すると、「相互の交わり」です。すなわち、キリストによる救いを共有している者としての交流を熱心にしたことです。「相互の交わり」とありますが、「交わり」という言葉は、もともと、コイノニアという言葉です。どっかで聞いたことがあると思うかもしれません。キリスト教の雑誌や機関紙などにつけたりします。また、教会の名前にもつける場合もあります。南越谷コイノニア教会という教会もあります。コイノニアとは、もともと、共有する、共通に持つという意味です。では、信者は、何を共有しているのでしょう。いろいろな言い方ができるでしょう。神の大きな愛を共有しているでしょう。罪の赦しの恵みを共有しているでしょう。永遠の生命を共有しているでしょう。その他、いろいろな言い方ができるでしょうが、一言で言えば、キリストによる救いを共有しているといえるでしょう。
そして、キリストによる救いを共有している者としてのまじわりは、実は、これこそ、愛と喜びと真心があるまじわりで、人を真に豊かに生かすまじわりなのです。そこで、使徒言行録を書いた著者ルカは、初代教会の信者たちの信仰生活の特色を記すとき、わざわざ「聖徒のまじわり」、信者のまじわりを落とさずしっかり入れたのです。キリストによる救いを共有している者としてのまじわりが、どんなに愛と喜びと真心に満ちているかは、もう少し後の44節から47節前半に記されていますので、もう少し後でていねいにお話します。では、初代教会の信者たちの信仰生活の特色の第3は何でしょう。すると、「パンを裂くこと」、すなわち、聖餐式と食事を熱心に守ったことです。「パンを裂くこと」とは、聖餐式と食事を含んだ言い方と考えられます。
聖餐式は、わたしたちも、折々にあずかるように、わたしたちの罪を赦して救うため、十字架で主イエス・キリストの肉が裂かれたことを記念し、信者が、パンを裂いて食べ、また、十字架でキリストの血が流されたことを記念して、信者がぶどう酒を注いで飲む大切な儀式で、礼典といわれるものですが、初代教会においては、信者たちが一緒に食事をして、パンを裂く聖餐式を行ったと思われます。食事と聖餐式がまだ分離していなかったと思われます。そこで、信者たちは、一緒に食事をし、また、聖餐式を行って、自分たちの救いのためのキリストの十字架の死を繰り返し覚えて感謝したのですが、キリストの十字架の死を覚える聖餐式を守ることは、もちろん、初代教会の信者のたちの生活のひとつの大きな特色でした。
今日もそうです。わたしたちも、聖餐式を繰り返し行って、自らの救いと永遠の生命を確信していますが、聖餐式は、わたしたちが思っている以上に、わたしたちを救いと永遠の生命にしっかり、そして、豊かに結びつけているでしょう。では、初代教会の信者たちの信仰生活の特色の第4は何でしょう。すると「祈ることに熱心であった」ことです。すなわち、初代教会の信者たちは、熱心に神に祈っていたのです。でも、祈ることといえば、当時のイスラエルの一般民衆だって、熱心に神に祈っていたではないかと、それゆえ、別に、初代キリスト教会の信者の信仰生活の特色とはいえないのではないかと、わたしたちは、思うかもしれません。
確かに、当時、キリスト教信者でなくても、イスラエル民も、神に熱心に祈りました。でも、キリスト教信者の祈りとイスラエルの一般の人々の祈りは、根本的に違っていたのです。どこが違っていたのでしょう。すると、キリスト教信者は、キリストの御名により、熱心に祈っていたのです。ここが根本的に違うのです。そして、キリストが天にお帰りになったからの神への真の祈り、そして、神に聞かれる祈りは、キリストの御名を通した祈りだけとなりました。
ヨハネによる福音書16章23節、24節で、「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。・・・願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」と、キリストは力強く約束されました。それゆえ、キリストの御名を通さずに、どんなに熱心に祈っても、その祈り、は神から聞かれません。でも、キリスト教信者の祈りは違います。キリストの御名による故に、しかも、熱心な祈り故、神に喜ばれ、そして、必ず、神に聞かれる祈りであったのです。今日も同じです。神に対するわたしたち信者の祈りは、神が遣わしてくださったキリストの御名を通す故に、神から喜ばれ、必ず、聞かれるのです。ですから、わたしたちは、これからも、確信をもって何でも祈りましょう。
4.神は生まれたばかりの教会を保護してくださいました
以上のようにして、初代教会のキリスト教信者たちの信仰生活の特色が、4つ挙げられていますが、では、イスラエルの1世紀のエルサレムの人々は、キリスト教を、どのように見ていたのでしょう。本来であれば、激しく圧迫、迫害してもおかしくなかったのです。なぜなら、エルサレムの多くの人々は、イエスを十字架につけよ、十字架につけよと叫んで、イエス様を十字架の死に追い込んだ人々です。それゆえ、極悪人にのみ課せられる極刑である十字架で死んだイエスなど救い主メシアであるはずがないとして、イエス様を救い主メシアと信じる信者たちを激しく圧迫、迫害しても少しもおかしくないのです。ところが、天の神は、ペンテコステ、聖霊降臨によって今地上に生まれたばかりの世界の希望である教会と信者たちに、イスラエルの民が手を出さないように、ちゃんと守り、保護し、育てて、成長させてくださるのです。
「使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」とありますが、「不思議な業」というのは、もともと、「驚き」、「驚嘆」、「不思議」という意味ですが、ペトロやヨハネなどの使徒たちが行う多くの奇跡を見て、エルサレムの人々が、驚き、驚嘆し、不思議と思ったことを意味します。また、「しるし」というのは、ペトロやヨハネなどの使徒たちが行う多くの奇跡を見て、エルサレムの人々が、それらの奇跡は、神の力が働いているしるし、証拠、保証と思ったこと意味します。
すなわち、神は、ペトロやヨハネなどの弟子たちと通して多くの奇跡が行われるようにしてくださったので、エルサレムの人々は、使徒たちの行う奇跡を見て、驚嘆し、不思議に思い、それら奇跡は、神の偉大な力のしるしと受け止め、キリスト教は神から出ているものとして、恐れていたので、人々は、教会と信者たちに手を出すことをしなかったのです。これは、生まれたばかりの教会と信者に対する天の神の暖かい配慮であり、守りであり、保護でした。神のこの守りの中で、教会と信者は、霊的に成長し、強くなっていくのです。そして、後に、激しい圧迫と迫害が生じるときには、教会と信者は、霊的に成長し、強くなって、激しい圧迫と迫害に十分耐えられるようにしてくださるのです。
いつの時代でも、教会と信者は、世界の希望であり、世界の宝であり、世界をこうこうと照らす明るい光です。それゆえ、神は、世界の希望であり、世界の宝であり、世界をこうこうと照らす明るい光である教会と信者を御自分の摂理の中で、ちゃんと暖かく配慮し、守り、育てるお方です。
今日も同じです。日本においてもそうです。人数は少なくても、神の目から見れば、教会と信者は、日本の希望です。日本の宝です。罪で暗くなっている日本をこうことを照らしている明るい光です。それゆえ、神の目に、ひとつひとつの教会と一人ひとりの信者は、とても価値が大きく、神は教会と信者を大切にし、大事にし、守り、育て、強くしてくださるのです。
5.信者のまじわりは、愛と喜びと真心があります
さて、では、そのような神の守りの中で、初代教会の信者のまじわりはどのようになされたのでしょう。すると、愛が豊かに表れるまじわりがなされたのです。すなわち、エルサレムの教会には、貧しい人々がたくさんいました、特に、働き手である夫を亡くしたやもめたち、未亡人たちがたくさんいました。すると、信者たちは、だれからも強制されたり、命じられたりしたわけではないのに、自発的に持ち物を共有したり、自ら土地や畑や家財を売ってお金に変え、必要な人々の間で分配し、お互いに助け合い、愛が豊かに表れたのです。
44節に「信者たちは皆一つになって」とありますが、「皆一つになって」というのは、心がひとつになっていたと理解する人もいますし、信者たちが実際に一箇所で共同生活をしたと理解する人もいます。わたしたちは、2つの理解があることを知っておけばよいと思います。それで、大切なことは、「すべての物を共有にし、 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」という事実です。すなわち、「すべての物を共有にし」とは、食べ物や衣類や日用品などを共有したのでしょう。また、「財産や持ち物を売り」というのは、土地や畑や家財を売って、お金に変え、必要な人々に分け与えたことを意味するでしょう。
これは、どのようなことでしょう。すると、キリスト教信者の愛が豊かに表されたことを意味します。確かに、神の民のイスラエルにおいては、旧約時代から、豊かな人は、貧しい人に、施しをすることを命じていましたが、今や、信者のまじわりにおいて、それ以上のことが歴史の事実となって表れたのです。すなわち、自分のもっているものの一部を施し、与えるのでなく、自分の持っている何でも自由に使ってよいですと、他の人々と共有するために差し出し、さらに、自分が正当に所有している土地や畑や家財を売って、お金に変えて、そのお金を困っている人々の必要に応じて分け与えるということは、愛が最も高度な段階で歴史の中で本当に実現したことを意味しています。
ただし、誤解してはなりませんのでお話しておきますが、ものを共有し、土地や畑や家財を売ってお金を作って、必要に応じて分けるということは、いつの時代のどこの教会もすべきものとして記しているのではありません。その証拠に、1世紀であっても、エルサレム教会以外では、このようなことは行われませんでした。現に、今、わたしたちの教会でもしていません。大切なことは、キリスト教信者のまじわりは、愛の豊かな真のまじわりであること知って、その時代の教会の中で愛を豊かに表し、実践していけばよいのです。
さて、ところで、では、どうして、そんなすばらしいことが、初代の教会の信者たちのまじわりにおいて、実現したのでしょう。すると、その理由は、礼拝と通して神とのまじわり実に豊かでしっかしていたからです。すなわち、信者たちは、毎日、心をひとつにして、エルサレム神殿に行って、キリストによる救いを与えてくださった神を礼拝し、さらに、今度は、信者の家に集まり、キリストの十字架の死を記念する聖餐式を、パンを裂いて行いました。そして、自分たちにキリストによる救いが与えられていることをお互いに喜びとして、お互いに真心、すなわち、裏表のない誠実な心で一緒に食事をし、みんなで神を賛美していたので、そのような豊かな愛が実践できたのです。すなわち、初代教会の信者たちが、そこまでできたのは、礼拝を通して神とのまじわりが豊かでしっかりしていたからです。
わたしたちは、まじわりというものには、縦と横のまじわりがある。横のまじわりは、信仰の仲間とのまじわりであり、縦のまじわりは、キリストを通した神とのまじわりであると言います。そして、それは、ちょうど、十字架に縦の木と横の木があるのに似ている。縦の木は、キリストを通した神とのまじわりと意味し、横の木は、信仰の仲間とのまじわりを意味すると言いますが、本当にそうです。両方あって、まじわりがなりたつのです。横のまじわりは、縦のまじわりにより豊かにしっかり支えられるのです。「神殿に参り」とありますが、当時は、まだエルサレム神殿がありましたので、キリスト教信者たちも、神殿で神礼拝をしました。エルサレム神殿は、紀元70年、ローマ軍の総攻撃により、陥落し、破壊されますが、陥落するときまでは、キリスト教信者も、キリストを遣わして、救いの道を開いてくださった神を、エルサレム神殿で礼拝したのです。
しかし、パンを裂く聖餐式をエルサレム神殿ですることはできませんので、エルサレム神殿での神礼拝が終わると、今度は、信者の家に集まって、そこでパンを裂いて聖餐式をしました。また、救われた喜びと「真心」、すなわち、お互いに裏表のない心の誠実さをもって一緒に食事をして、信者のまじわりを深めたのです。ですから、初代教会の信者たちの横のまじわりは、キリストを通した縦の神との豊かでしっかりしたまじわりに支えられていたのです。今日も同じです。わたしたち信者の横のまじわりは、礼拝を通した神との縦のまじわりによって、崩れずれないようにしっかり支えられているのです。そして、礼拝を通した神とのまじわりが豊かでしっかりすればするほど、横のまじわりも豊かでしっかりするのです。
以上のようにして、初代教会の信者たちは、救いの喜びと真心がお互いに感じられるよいまじわりをしました。それゆえ、外からその様子を見ていた1世紀のイスラエルの一般民衆全体が、初代教会のキリスト教信者を敵視しないで、逆に好意を持ちました。そのため、キリスト教の伝道が、さらに、エルサレムで進展し、復活して天にお帰りになった主イエス・キリストは、その後も救われる人々を日々起こして、仲間に加えてくださいました。こうして、キリスト教は、イエス様を十字架にかけて殺した敵の中心地と言うべきエルサレムにおいて、勝利したのです。そして、エルサレムで勝利したキリスト教は、異教の地のわたしたちの日本でも、必ず勝利できるのです。
結び
こうして、初代教会の「聖徒のまじわり」、すなわち、信者のまじわりを見ますが、今日のわたしたちも、礼拝を通した神との豊かなまじわりにしっかり支えられる、愛と喜びと真心のある、人を真に生かすよいまじわりを、21世紀の日本の地で、みんなで力強く築き、みんなで喜んで歩んでいきましょう。
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