神の愛
- ヨハネの福音書3:16
[イマヌエル 上巻.1-02]
[ヨハネ福音書3:16)「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
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「その大いなる神の愛、言葉では言い表せない、あの高く高い星を越えて、この低く低い地に、罪を犯した者を救うために、そのひとり子をを与え、和解のいけにえとなり、罪の赦しを得るために、神の大いなる愛は、測り尽くせない、永遠に変わらない愛、聖徒よ賛美せよ。」
1. 世に現れた神の愛 - 「神は、世を愛された。」
(1) 愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(ヨハネ第一4:7-8)
(2) 神の愛が私たちの心に注がれている。
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ書5:5)
(3) 神の愛から、私たちを引き離すことはでききません。
「高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ書8:39)
2. 神が与えになった愛の贈り物 - 「神は、ご自身のひとり子をお与えになった」
(1) 神が私たちを愛し、そのひとり子を世に遣わしてくださった。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネ第一4:9)
(2) アブラハムが神を恐れ、自分のひとり子さえ惜しまないで神にささげた。
「神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22:2)
「御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」」(創世記22:12)
(3) マリアは貴重な香油をイエスの頭に注いだ。<参考; ヨハネ福音書12:3-7>。
「ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。」(マタイ福音書26:7)
「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイ福音書26:13)
3. 救いを与える神の愛 - 「御子を信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一4:10)
(1) イエスが私たちの罪のために和解のいけにえとなりました。
「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ書5:10)。
(2) イエスが私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53:5)
(3) イエス・キリストを信じる者には永遠の命を与える。
「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ福音書3:36)
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ福音書6:40)
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[ヨハネ第一4:11-17]「11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。」