聖書の教え
- ローマ書15:4-7 -
シャローム宣教会
「4.昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。5.どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。6.それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。7.こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」(ローマ書15:4-7)
序言
パウロは、旧約聖書はこの時代の聖徒たちを教えるためのものだと言う。旧約聖書は決して古いものではない。使徒たちも旧約聖書から学んだ。旧約聖書は新約聖書と共に私たちに教えている。その教えの内容は何であり、その結果はどうなのか。
「31.イエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32.そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ福音書8:31-32)
1. 私たちは聖書から何を学ぶのか?
(1) 忍耐を学ぶ。- 聖書は絶えず忍耐について教えてくれる。
+ 神の御心が成就するのを待てという。
「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブライ書10:36)
= ヨブ - 「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」(ヤコブ書5:11)
= モーセ - 「モーセは、... 信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」(ヘブライ書11:24-27)
= ダビデ - 「主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。主はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。」(サムエル上26:23)
+ すべての迫害と患難とに耐えてという。
「それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。」(テサロニケ第二書1:4)
+ 互いの重荷を負い合いなさいという。<參照; ルカ福音書10:33-36>
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ書6:2)
(2) 慰めを学ぶ。- 神が私たちを慰めてくださることを繰り返し教えてくれる。
+ すべての心配を避けるように命令する。
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)
「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」」(創世記15:1)
+ 世の中の変化に対して騙されないようにと勧告する。
「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」(ヤコブ書1:17)
+ 神の中で私たちの喜びを見つけるように命じる。
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」(ガラテヤ書1:10)
= オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell); 彼は<ピリピ4:11-13>を大声で読んで次のように言った。「私のかわいそうな赤ちゃんが死んだその日、この聖書は私の命を救った。」
「11.乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。12. 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。13.私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ書4:11-13)
2. その結果、私たちが持つものは何か?
(1) 希望を持つようになる。
+ 救いの望みを持つようになる。
「私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」(テサロニケ第一書5:8)
+ 「祝福された望みを持つようになる。
「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。」(テトス書2:13)
+ 復活という望みを持つようになる。
「... 兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」」(使徒行伝23:6)
結言
私たちは、この一節の御言葉の中に多くの重要な内容が含まれていることを知りました。神のことばは生きていて、力があり、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブライ書4:12). 私たちは、聖書が教える忍耐と慰めをしっかり学び、真の希望を持って何事にも勝ち抜く者となりましょう。(ローマ書15:5-7)
「1.こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。2.信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブライ書12:1-2)