苦しみによって学んだ従順
- ヘブライ書5:8-9 -
シャローム宣教会
[ヘブライ書5:8-10]「8. キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、9. 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、10. 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」
序言.
神の子であるわたしたちにも、また苦しみがあるのです。その苦しみには、わたしたちを完全にさせようとする神の御心と御計画があります。わたしたちの父なる神は善良で、正義であります。そして、彼の子供になった私たちを本当に愛しています。
[ローマ書8:18] 「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」
本文講解.
イエスは御子として、父なる神に従われました。彼は十字架につけられた苦しんで死ぬまで父に従った(ピリピ2:8)。苦しみによって従順を学び、完全になったというのは、特に彼の人性に該当する言葉です。彼の神性は、本来、完全ました。しかし、彼の人性は、十字架の苦しみを通して完全性が証明できていました。このように、イエスは苦しみによって従順を学び、完全な者とされので、イエスは「彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者」になりました。イエスはメルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
[ローマ書6:17-18]「17.神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、18.罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」
= 「心から服従し」(ローム6:17)という御言葉は、心で信じて従う者は罪から解放され、救われることを意味します。このような人々のために、イエスは「永遠の救いの根源」になりました。イエスは自分を信じて従う者たちに永遠の救い、すなわち、永遠に失われない救いを、彼を信じて従う人々に与えてくださるのです。
1. 神の御子でさえ、苦しみから除外されません。
(1) イエスは神の御子ですが、苦しみから除外されませんでした。
[本文, ヘブライ5:8]「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみに…」
(2) 神の子供に与えられた特権が、苦しみを免れるようにしませんでした。
[ピリピ1:29]「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。」
2. 苦しみには正しい神の御心と御計画があります。
(1) イエスが受けた苦しみには、神の御心と御計画がありました。
① イエスが受けた苦しみは、聖書に預言されたことでした。
[コリントⅠ15:3]「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと」
② イエスは、彼の受けられた苦しみによって、世を救われました。
[ヨハネ福音3:17]「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」 <參照; イザヤ書53:5-9>
③ イエスは預言者と彼の苦しみが神の御心であることを証拠しました。
[マタイ福音17:12]「エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」
④ イエスの苦しみは彼の弟子たちに永遠の救いを遂げる根源となりました。
[本文, ヘブライ5:8-9)「...多くの苦しみによって従順を学び、9.完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、」
⑤ イエスは苦しみに遭いましたので、試みを受ける私たちをよく助けることができます。
[ヘブライ2:18]「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」
⑵ 神の子供である私たちが受ける苦しみには神の御心と御計画がありました。
① 私たちの苦しみは神の権能を体験するきっかけになります。
[マタイ福音14:24-33]「24.舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。... 33.イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。」
② 私たちの苦しみは救いを得ること、報いを受けることになります。
[マタイ福音10:22]「わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」 <參照; 黙示録2:10>
③ 私たちの苦しみはキリストの苦しみにあずかれることです。
[ペトロⅠ4:13]「キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。」
④ 私たちの苦しみは、私たちがキリスト・イエスのりっぱな兵士になる証拠です。
[テモテⅡ2:3]「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」
⑤ 私たちの苦しみは福音を伝えるためです。
[テモテⅡ1:8]「... 私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」
⑥ 私たちの苦しみは、他の人の慰めと救いのためです。
[コリントⅡ1:6]「私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。..」
結言.
私たちは、御父の御心と計画に従って苦しみを受けましょう。そして信仰の先祖のようにキリストの苦しみに喜びで参加しましょう。モーセは成人したとき、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。(ヘブライ11:24-26)
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+神は苦しみを通して自分の民たちの過ちを正して(詩篇119:67)、信仰と従順を試します(創世記22:1-2;ペトロⅠ1:7)。また、お祈りをさせて(士師記4:3;詩篇107:4-6;ホセア5:14-15)、罪を悟るように(ルカ15:16-18)、おら、神に帰るようにするために(レビ記26:21-39;歴代記下6:24-31;エレミヤ31:18-19)、神の栄光を表すために(ヨハネ9:1-3)、苦しみをくださいます。また謙遜して(歴代記下7:13-14;コリンドⅡ12:7)、忍耐強くして(ローマ書5:3;ペトロⅠ2:20)、報いをいただくために(コリンドⅡ4:8-15;デモテⅡ2:12)、苦しみを許してくださる時もあります。