イスラエルの子孫とエサウの子孫との歴史的展開
創世記 36章1節~43節
シャローム宣教会
創世記36章にはエサウの系図とそこにかかわったセイルの系図(アマレクを産んだ母ティナムがセイルの長ロタンの妹に関連して)が記されています。子孫の名前(部族)が記されているだけの系図ですが、イスラルエの歴史とどのようなかかわりをもっているかを見てみたいと思います。
1. エサウの系図(エドムはエサウの子孫の総称)
エドムの子孫
エサウの子孫の中で、特に注目すべきは、黄色でマーカーした「アマレク」です。アマレクは父エリファズの正妻の子どもが5人もいる中で、父のそばめであった母ティムナから生まれたことになります。こうした家庭環境がアマレクに対して与えた影響は大きかったのではないかと推察します。エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒野ではじめて戦ったのがこのアマレク人でした。アマレクの母ティムナはセイルの長子ロタンの妹に当たります。つまり、このアマレクが「エサウの子孫」と「セイルの子孫」とを結ぶつなぎの役をしているのです。
画像の説明
そもそもエサウの長子のエリファズがなぜテイムナを自分のそばめとしたのか、その説明は記されていませんが、セイルとの政略的なかかわりを持つためであったのかもしれません。
ちなみに、「首長」ということばは「アッルーフ」אַלּוּףで、「族長」とも訳されます。族長からやがて王制へと移行していきます(36:31~39)。
また、エサウとヤコブの子どもと孫の数を比較してみると、ヤコブの方が圧倒的に多いことがわかります。ヤコブの子どもの数はエサウの子どもよりも1.4倍。孫の数は5.4倍です。
2. 歴史におけるイスラエルとアマレクとのかかわり
以下の図に見られるように、アマレク人はイスラエルとのかかわりおいて、常に、敵対関係にありました。
イスラエルとアマレクとのかかわり
3. 新約聖書の幼子イエスを殺害しようとしたヘロデはイドマヤ出身
エドム=イドマヤ
旧約聖書で「エドム」と称された地名がギリシヤ語に音訳すると「イドマヤ」となります。その地名は、ユダヤおよび死海の南方、主としてエサウの子孫であるエドム人が居住した山岳地帯を指します(参照ヨシ15:1,21)。従来、エドム人はイスラエルと仲が悪く、南王国ユダの滅亡(前586年)のときはそれを喜んだのです(詩篇137:7、エゼ35:15/36:5)。
中間時代にローマのユリウス・カイザルの支持を取りつけたイドマヤ人アンティパテル2世は行政長官としてユダヤ、サマリヤ、ガリラヤを統治します(前47年以降)。その後、彼の息子はユダヤの王に任じられて、ヘロデ大王と呼ばれるようになりました(前37―4年在位、参照マタ2:1~22、ルカ1:5)。彼は幼子イエスの殺害を図った王です。
【新聖書辞典】(いのちのことば社)参照。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?