エサウとの再会
創世記 33章1節~22節
シャローム宣教会
ヤコブが伯父ラバンのもとを逃げるように離れ、自分の故郷に帰ろうとしたとき、兄エサウのことを恐れたことは言うまでもありません。二人の再会はヤコブがエサウのもとに自分が故郷に帰ることを知らせたことによって、はからずも実現することになります。
32章では、エサウが知らせを聞いて、ヤコブを迎えるために四百人の者を引き連れてやってくることは異常とも言えます。なぜそんな大勢の者を引き連れてきたのか、自分の力を誇示するためのものか、あるいはヤコブと一戦を交えるようになった場合に備えてのことなのか、聖書はそのことについて沈黙しています。ただ、イサクがエサウについて預言したとき、「おまえはおのれの剣によって生き・・」(創世記27:40)と語っていますから、エサウが戦い(武力)によって今を築いてきたことの象徴的表現とも言えます。その点ではヤコブは対照的です。ヤコブは剣で戦ったことは一度もありません。その意味では父イサクを受け継いでいます。父イサクと異なる点は、ヤコブが自分の知恵と力によって富を築いたということです。エサウとヤコブは20年の歳月の流れの中でそれぞれ異なる歩みをしてきたのです。
32章ではエサウとの再開に恐れたヤコブが、もものつがいをはずされた後で、ある人に「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と言います。ここの「去らせません」と「祝福してください」の二つの動詞が32章の強意形ピエル態でした。33章でその神の「祝福」が兄弟再開の場面でどのような形で表わされるのか、その例証とも言える出来事に見ることができるのです。
いつものように、33章でもヘブル語聖書が記している強意形を手繰ってみたいと思います。33章では三つの動詞が強意形で使われていますが、その三つの強意形の動詞を手繰ることで、この章で言わんとすることが見えてくるように思います。
1. エサウに対して地に伏して「おじぎをした」ヤコブ
3, 6, 7節の「おじぎをした」と訳される「シャーハー」שָׁחָהの強意形ヒットパエル態です。この動詞は本来「ひれ伏す」という意味ですが、再帰態のヒットパエルで使われると「おじぎをする」と訳されます。ヤコブをはじめとして、ヤコブの妻も子どもみなエサウに対しておじきをしたのです。ヤコブの場合は七回も地に伏しておじきをしています。これは、兄エサウに対する謝罪と和解のための行為ではなく、兄の怒りをなだめるための「恐れ」から出た行為と言えます。
「七回も」というのは、当時、王に対する礼拝の行為だと言われています。そんな行為を兄に対してしたのは、異常とも言える不自然な行為です。それほどにヤコブは兄を恐れていたことが分かります。この恐れから解放されることを願って、ヤコブは夜通し神の祝福を求めたのでした。
しかし「案ずるより産むが易し」で、実際はヤコブが心配していたことには至りませんでした。ヤコブがひとり相撲をとっていたのです。一人でとりこし苦労をしていたのです。しかしここに神の祝福があったと言えます。伯父ラバンのもとを去る時には、神が追跡するラバンに夢の中でヤコブと善悪を論じないように警告を与えましたが、ここではエサウに対して神の介入があったという記述はありません。とはいえ、ヤコブにとっては想定外の展開でした。
2. ヤコブを迎え、「抱きついた」エサウ
4節にエサウがヤコブを迎えに走って来て、ヤコブをいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いたとあります。「いだく」と訳されたヘブル語の「ハーヴァク」חָבַק(chavaq)が強意形ピエル態です。このことばは旧約で13回使われていますが、創世記では3回です。最初はヤコブが両親のもとから離れて伯父のいるパラン・アダムへ行きますが、その時、伯父のラバンがヤコブを迎えようとして「抱いて」、口づけしています(29:13)。そして33:4では兄エサウに抱かれています。もう一箇所、こんどはヤコブ(イスラエル)が最愛の息子ヨセフの二人の息子を抱きしめたことを48:11で記されています。そしてこれら3回とも強意形ピエル態が使われているのです。
兄のエサウはヤコブとは違って単純率直、明快な人です。それだけに、長子の権利も祝福を奪い取られたことをすでに忘れてしまっているようです。それが神の救いの担い手としてふさわしい者とされなかったと言えますが、性格的には単純なのかもしれません。弟のヤコブに対してなんら一切、過去のことに触れていませんし、わだかまりのあるような発言もみられません。ただ懐かしさだけが前面に出ています。ここにヤコブの思いとは裏腹な姿を見ることができます。
3. 自分の「旅を続けよう」とするヤコブ
三つ目の最後の強意形は、14節の「私は、私の前に行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、ゆっくりと旅を続け・・ます。」にある「旅を続ける」という「ナーハル」נָהַל)で、創世記では初めて登場する動詞です。本来は、「導く、伴う」という意味ですが、ここではヒットパエル態で用いられています。「自分の群れをやさしく、ゆっくりと引き連れて行く」という意味で、羊を買う羊飼いの働きを意味する動詞です。やがて神がエジプトから贖われた民を(出15:13)、またバビロンから帰還させる民の群れを優しく導く(イザヤ40:11)意味で用いられています。ちなみに、有名な詩篇23篇の2節の「主は私を・・いこいのほとりに伴われます」の「伴われる」は「ナーハル」נָהַלのピエル態(強意形)で用いられています。
エサウが自分の住むセイルに向かって先頭に立って進んでいこうとする申し出も、さらには、護衛として自分の部下を提供しようとする申し出もヤコブはうまく断わりました。それはヤコブが自分の歩みを続けていきたいと強く思っているからです。自分を兄の保護のもとに自分を置くのではなく、自分の歩むべき旅を自分と自分が引き連れている者たちのペースに合わせて責任をもって導いていく、彼らにあわせてゆっくりと進んで行くことを表明したのが、「ナーハル」נָהַלの強意形ヒットパエル態です。
一度は、ヤコブはエサウにセイルへ行くことを述べていますが、おそらく、まだエサウのことを信頼できなかったという面も隠せません。そのため、エサウとのつながりを極力避けたとも言えます。結局、ヤコブはエサウの住むセイルには向かわず、スコテへ行き、そこで自分と家族のために家を建て、家畜のためには小屋を作りました。ヤコブはパラン・アラムを出て、ここにはじめて自分の居場所を定めたのです。さらにヤコブはシェケムに移動し、そこに宿営し、その一部を代金を払って買っています。おそらくここに長期間滞在したと思われます。このことが何を意味するかはこの時点では見えて来ません。
おわりに
33章にある三つの強意形の動詞を手繰ることで、この章が私たちに語りたいことが見えてきます。それはエサウとの間にあったわだかまりが神によってここで修正され、ヤコブが本来歩むべき道へと導いたということです。
ヤコブの神との信頼関係の取り扱いはこれからも続いて行きますが、32章と33章の出来事は、ヤコブの最も深い所にある「恐れ」を克服する道は、神への信頼しかないことをヤコブ自身に気づかせることでした。神の恩寵的介入があったことを知ったヤコブはシェケムにおいて祭壇を築き、「エル・エロヘ・イスラエル」(神はイスラエルの神である)と名付けています。イスラエルはヤコブの新しい名前です。したがって、神は「ヤコブの神」という意味とあり、ヤコブの信仰告白的なあかしとしての祭壇を築いたと言えます。
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