お母さんのためのキリスト教入門

 

どうしたらクリスチャンになれるの?
こんな質問を受けることがよくあります。それで分かりやすく説明します。
クリスチャンになる方法は、真面目になることでも、勉強して知識を増やすことでも、急に良い行いをすることでもありません。

信じるだけでいいのです。

ものすごく簡潔に言うと次のようになります。

1 天地を造られ神がおられると信じる。
2 自分に罪があると気づいて、「ごめんなさい」と神に言う。
3 私の罪の身代わりに死なれたイエス・キリストを信じ受け入れる。

 

1、天地を造られたまことの神がおられると信じる

 

 「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)

 聖書の最初のページは、こんなふうに始まります。

 同志社大学を設立した新島襄は、この言葉に衝撃を受け、やがてクリスチャンになりました。神がおられる。まがいものや、人間が考え出したカミではなく、本当の神がおられると分かったのです。それは今までの人生がひっくり返るほどの衝撃を意味していました。

  子供を生んだ女性と、子供を生むことができない男性との差はとても大きいです。出産の長いプロセスに関わった女性は、自分を超えた偉大な神という存在を無 意識に感じています。男は子供時代のおもちゃのミニカーが実物の車に変わっただけの生活しかしていないので、命の神秘に目覚めることがなく、俺がお前を食 わせてやっているんだという程度のことしか言えません。(失礼!)

女性は、自分の弱さを感じながらも、文字通り命がけで赤ちゃんを産みます。だから、いつのまにか、祈っています。神に助けを求めています。神を身近に感じ始めています。

聖書は、まことの神がいると明確に語っています。1600年間に渡る神と人との歴史を中心に聖書は神がどんな方か語っています。

一人静かに、神を見上げてみて下さい。

神は生きておられます。神はあなたを今まで守って来られました。どんな時も、つまり、あなたが弱っていても、あなたが失敗した時も、あなたが自暴自棄になった時も、神はあなたを愛しておられたのです。

「 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章4節)

 

2 自分に罪があると気づき、「ごめんなさい」と神に言う

 

 人間にとって一番大事な言葉は、「ありがとう」と「ごめんなさい」です。 
 死を目の前にした人が、身近な人に言い残す言葉がこの二つだから、そう言い切れます。今までありがとう。自分の至らぬ点をゆるしてほしい、すまなかった、苦労をかけたね、と私たちは人生の最期に言いたいのです。

神に「ごめんなさい」と言いましょう。それが人生の再スタートになります。

結婚式場を普段着で通り抜けると、なんとなく自分がみすぼらしく感じられるように、神という絶対的にきよい方の前に立つと私たちはとたんに自分の本当の姿が見えてきます。自分に罪があると分かります。

「すべての人が迷い出て、
みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない、ひとりもいない。」(ローマ3章12節)

不思議なものですね。過去に犯した罪が現在の私たちの心を傷つけます。時間がたてば解消するのではありません。

おそらく、人間が口にする言葉で、「ごめんなさい」という言葉ほど美しいものはないでしょう。そして、多くの人が一番身近な人から聞きたい言葉は、「ごめんなさい」なのです。

たいていの人は、「ごめんなさい」という言葉が喉まで出ているのですが、言えません。「ごめんなさい」は、自分の正直な自己像を認める大切な言葉です。

神は、あなたが「ごめんなさい」と言うのを待っています。神は、あなたの罪をゆるし、解決したいとずっと待っているのです。

「立って、父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。』」(ルカの福音書15章18節)

 

3 私の罪の身代わりに死なれたイエス・キリストを信じ受け入れる。

 

 子供が踏み切りに飛び出し、電車を視界に入れながら中に飛び込んだ母親が、子供を跳ね除けて自分が身代わりに犠牲になったニュースを私は覚えています。母の愛は深いです。

子供の命が助かるなら、血液でも骨髄でも、一つの腎臓でも肝臓の一部でも与えるという覚悟ができている母親が多いです。

神も同じです。

神は私たちを愛しているので、私たちが罪のために滅びることを願いません。けれども神はいい加減な方ではないので、私たちの罪をそのままにすることもできません。

神のなさったことはこうです。

神 のたった一人の子をクリスマスの日に地上に送られました。それがイエス・キリストです。イエス・キリストは罪のない生涯を送り、多くの人を愛し、神が何を 願っているかを教えました。私たちの罪を身代わりに背負い十字架につき、罪の罰を受けてくださいました。三日後によみがえり、罪の解決が完了したことを示 されました。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(第1ペテロ2章24節)

 

あなたも主イエスを信じてください。イエス・キリストをあなたの救い主と信じましょう。神にこう祈って下さい。

神よ、今まで私を愛し、守り導いてくださって感謝します。
 私は罪びとです。私は罪を犯しました。ごめんなさい。
 主イエスが私の罪のために十字架で身代わりに死んで下さったことを感謝します。
 今、イエスさまを救い主として信じ、私の心にお迎えします。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

そんなに簡単なのですかと言われてしまいます。そうです、あまりにも簡単で良いニュースだから、福音(グッドニュース)と呼ばれるのです。

 

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