ウェストミンスター信仰告白解説

 

                    第33章「最後の審判について」

 

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はじめに

 

 第33章では何が教えられているのでしょう。すると、「最後の審判について」です。すなわち、キリストが世の終わりに再臨したときに、万人は復活するのですが、復活した後、何があるのでしょう。すると、最後の審判があるのです。そして、第33章も3節で短いものです。

 

第1節 

 第1節は、何を教えているでしょう。すると、スコットランドのマックファーソンは、ウ告白の解説書で「ここで強調されている要点は、審判の現実性(リアリテー)、審判の確実性(サーテンテー)、そして、審判がなされる原理である」と述べています。その意味は、最後の審判は、空想でなく、現実であること、確実で必ず将来生じること、また、審判がどのような原則でなされるかが教えられているという意味です。
 また、同じスコットランドのロバート・ショーは、ウ告白の解説で「第1節は5つのことを教えている」と言っています。1.最後の審判の確実性を宣言している。
2.最後の審判の施工は、イエス・キリストに委ねられていると断言している。
3.イエス・キリストの裁きの座に現れるグループ(parties)を表している。
4.審判されるべき事柄を語っている。
5.判決が宣言されることを語っている。
 その通りです。最後の審判は、神がお定めになったもので確実であり、神からキリストに委ねられており、神に背いた天使だけでなく、万人がキリストの前に立つのであり、思いと言葉と行いが裁かれるのであり、各人にふさわしい判決が宣言されるのです。
 なお、岡田稔先生は、ウ告白解説で、第1節は4つのことが告白されていると述べています。
1.イエス・キリストは唯一の審判者でいますこと。
2.世界審判の日が定めれていること。
3.その審判の規準は「義」であること。
4.そのとき、審かれるのは悪魔と悪霊と全人間であること。
 本当にその通りです。わたしたちも、キリストの前に立つことを覚えて、思いと言葉を行いに気をつけて歩みたいと思いますが、わたしたちは、第1節を5点から学びましょう。

第1点 最後の審判が行われる理由
 なぜ、最後の審判があるのでしょう。すると、神がその日をお定めになったからです。人が定めたのでなく、主権者なる神御自身が定めた最後の審判の日があるので、最後の審判が確実です。最後の審判の確実性が明言されています。

第2点 最後の審判の基準
 最後の審判の基準は、神の義です。すなわち、人間の正しさでなく、神の義、神の正しさが基準です。

第3点 最後の審判の執行者としてのキリスト
 最後の審判は、父なる神からキリストに委ねられています。ヨハネ5:22、27、「また、父はだれも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。・・・また、裁きを行う権能を子にお与えになった」と証拠聖句を挙げています。

第4点 最後の審判の対象
 最後の審判の対象は、神に背いた天使たち、すなわち、悪霊だけでなく、人間がすべて裁かれます。また、人間の思い、行い、行動のすべてが裁かれます。すべての人は、主イエス・キリストの裁きの座の前で自分の思い、言葉、行いを申し述べるのです。コリント二5:10で、「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」と言われている通りです。
なぜなら、わたしたちは皆、まえいまえい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」 

第5 各人にふさわしい報い 
 自分のしたことについて申し述べた後、審判者キリストが判決をして、人は各々自分にふさわしい報いを受けます。善をすればそれにふさわしいよい報いを、悪をすれば、それにふさわしい罰の報いを受けます。ローマ14:10で、「 それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」と言われている通りです。


第2節 最後の審判の目的

 第2節は何を教えているでしょう。すると、ここは、最後の審判がなされる目的および最後の審判がなされた結果、どのようなことが起こるかを教えています。
 最後の審判があるのは、神の栄光が表れるためと言っても、信者の場合はと不信者の場合は意味が違って、信者の場合は、救いが完成して、神のあわれみの栄光が表され、不信者の場合は、神の正義の栄光が表されて、永遠の滅びで罰せられることになります。

第1点 神のあわれみの栄光
 最後の審判の目的は、選ばれた信者において、神のあわれみの栄光が表れるためです。すなわち、神のあわれみによって永遠に続く救いが完成されるときです。「選民の永遠の救い」とは、完成して、永遠に続いていく救いのことです。「神のあわれみの栄光」とは、神のあわれみという属性、御性質が最も輝くときです。すなわち、神のあわれみによって、永遠に続いていく救いが完成するのです。信者に関しては、最後の審判で、神のあわれみという属性が輝き出るのです。

第2点 神の義の栄光
 最後の審判は、神を信じない不信者においては、神の義の栄光が表されるためです。すなわち、彼らの罪と不従順に対して、神の義によって、刑罰が宣言されるときとなります。「邪悪で不従順な捨てられた者」とは、神を信じなかった人々を表しています。
 「捨てられた者」とは、通常は、永遠からキリストによる救いに選ばれていなかった遺棄された人々を表しますが、ここでは、永遠からの遺棄でなく、この世の歩みにおいて、神を知らず、罪を犯しながら生きたすべての人々を表しています。彼ら自身の罪が根拠となって、神から捨てられることを意味しています。

第3 信者の祝福
 では、キリストを信じて救われた人々は、最後の審判の後、どうなるのでしょう。すると、信者は、永遠の生命を受け、また、神と共にいることから来る喜びの充満と慰めを受けるのです。「義人」とは、キリストを信じて、罪赦されて救われ、神から義と認められた人々のことです。「主のみ前から来る満ち足りた喜びと慰めを受けるが」とは、直訳すれば、「主の臨在から来る喜びの充満と気分をさわやかにすること(refreshing)を受けるが」となりますが、「喜びの充満と気分をさわやかにすること」では日本語としてピンと来ないでしょう。そこで「満ち足りた喜びと慰めを受けるが」となりました。

第4点 不信者の裁き
 他方、義人とは対称的に神を信じなかった人が、永遠に続く苦しみの中で滅びることが述べられています。「神を知らずイエス・キリストの福音に服さない悪人」と表現されています。神を知らずイエス・キリストの福音に服さない人が「悪人」と呼ばれています。真の神を知らず、イエス・キリストを救い主として服することもせず、罪を犯しながら生きたすべての人は、自分の責任で、最後の審判で、キリストから裁かれ、永遠の滅びを受けることになります。
 「永遠の苦悩」とは、体と霊魂に対する永遠に続く刑罰のことです。また、「永遠の破滅」とは、永遠の滅びのことです。神との喜びに満ちた交わりに生きるように造られた人間が、最後的に永遠的に、神から分離されることで、これは、人間として破滅、滅びになります。「主のみ前とみ力の栄光とからの永遠の破滅」という表現は、テサロニケ一1:9「彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう」を基にして作った表現です。
 また、信者と不信者の分離は、マタイ25:31-46でも、主自ら、羊飼いが羊を右に、山羊を左により分けるように、より分けることを厳かに語っています。


第3節 最後の審判の日に対する備え

 第3節は何を教えているでしょう。すると、最後の審判の日に対する姿勢を教えています。すなわち、最後の審判は、第2節で、神のあわれみの栄光、また、義の栄光のためということがわかりましたが、神の栄光のためと共に、わたしたち人間が、最後の審判を恐れて罪から離れ、信仰的に目を覚まして備えて歩み、また、苦しみにある信者が最後の審判で、永遠の祝福を覚えて慰められるためにあるのです。第3節を2点から学びましょう。

第1点 きよい恐れ
 最後の審判があることを確信させる目的は、最後の審判によって裁かれるというきよい恐れを抱かせて、すべての人を罪から引きとめ、罪から離れさせるため、また、苦しみに置かれている信者は、最後の審判で、自分が永遠の生命を受けることを覚えてより一層慰められるためです。
 「すべての者に罪を犯すことを思いとどまらせるためにも」とは、信者だけに限らず、広く、すべての人々が、最後の審判をきよく恐れて、罪から離れることをキリストが望まれていることを伝えています。
 「逆境にある信者の大いなる慰めのためにも」とありますが、すべての人というのでなく、イエス・キリストを信じている人々、しかも、特に、逆境、すなわち、苦しみに置かれている信者が、やがて最後の審判で、自分が永遠の生命を与えられることを覚えて、忍耐し、一層大きな慰めと励ましを受けるためという意味です。

第2点 信仰的な目覚め
 最後の審判が確実にあることを確信することをキリストは望みます。しかし、再臨の日は、隠されています。そして、再臨の日を隠しておく、目的は、信仰的に常に目を覚まして再臨に備えるためです。
 「一切の肉的な安心を振り捨て」とは、神の御心に適うことをしていないのに、再臨が来ても自分は大丈夫と自分勝手に安易に思うことを意味します。でも、それではだめです。再臨は、いつ生じてもよいように、信仰的に、霊的に常に絶えず目覚めていることが大事です。
 最後の文章は、黙示録22:20、「アーメン、主イエスよ、来てください」を基にして作った文章です。聖書の最後の御言葉で、ウ告白も終わります。

 


結び 

 以上のようにして、第33章「最後の審判について」の解説を終わります。世の終わりのキリストの再臨による終末は、創造、摂理、あがない、そして、それらの完成で、教会とクリスチャンの希望です。終末の完成を目指して教会とクリスチャンを歴史の中を日一日と希望をもって歩んでいます。再臨の主イエス・キリストに、大きな喜びと感謝をもってお会いできるように、教会と自分の信仰を日々整えましょう。

 


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