キリスト教における議論
進化論を否定する立場でも創造科学を使用するとは限らない。創造と進化論、科学について、アブラハム・カイパー、ウォーフィールド、コーネリウス・ヴァン・ティルら改革派神学者は、非再生知性しか与えられていないノンクリスチャンについて、聖書を理解する能力だけではなく、世界を理解する能力も限定されたものであるととらえるため、キリスト教から離れた科学者の信頼性について議論がある。神は人間をクリスチャンとノンクリスチャンの二種類に分けるため、再生者の学問と非再生者の学問の「二種類の学問」があり、科学は宗教的な中立性を持たず、前科学的確信と前提によって決定されるとみなされている。すべての人間はアダムの犯した罪により、全的に堕落し、堕落の影響は知性にも及んでおり、また堕落前の世界と堕落後の世界そのものが異なっているため、一様性の原理を前提とする近代科学が、堕落前のことを理解することはできないと指摘される。コーネリウス・ヴァン・ティルは前提主義弁証論において、「前提は結論を決する」と断言する。
奥山実
教父学の専門家であるトーマス・トーランスは『科学としての神学の基礎』において「科学は神学に基礎づけられるべきだ」と主張したが、奥山実はトーランスを引用しつつ、初代教会は『聖書を真理の最高の規範』としていたのであり、初代教会においては聖書と科学は一つであってプラトン、アリストテレスの哲学を排除したのに、中世のローマ・カトリックはアリストテレスを受け入れ、聖書と科学を分断する罪を犯してしまったが、宗教改革は再び、ギリシャ・ローマ的異教を一掃し、聖書と科学を一つに戻したのであり、創造科学もその立場である、とする。
奥山実は以下のような理解のしかたを提示した。
初代教会 - 聖書と科学は一つ。プラトン、アリストテレスを一掃
中世ローマ・カトリック - 聖書と科学の分断。
宗教改革 - 聖書と科学は一つ。ギリシャ・ローマ的異教の要素を一掃し、科学が誕生する
近代主義 - 聖書と科学の分断。
創造科学 - 聖書と科学は一つ。啓蒙主義と進化論を一掃
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