豊かな報いがあるように

ルツ2:1~12      山本 進


       私たちの人生にはいろいろなことが起こります。 そのとき、どのようにして生かされるのでしょうか。 不幸な時、そのままだめになっていくのでしょうか。 それとも、持ち直し、再び元に戻れるでしょうか。 話は、ナオミは夫と二人の息子に先立たれました。 兄嫁のルツを連れてベツレヘムに戻って来たところです。


       ルツは落ち穂拾いに行きました。 ルツにはそれがだれの畑かわかりませんでしたが、 それは、はからずも、ナオミの夫エリメレクの一族に属するボアズの畑でありました。 ルツにとってそれは神の導きでした。(2,3) 私たちも、予期しない、それでいて良い方向に導かれるとき、 それは神の導きと感じてもよいでしょう。


       ボアズは、ルツに目を留め、好意を示します(4~8,9)。 ルツは戸惑います。彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して言います。 「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」(10)。


       ボアズは答えます。 「あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、 主から、豊かな報いがあるように。」(12)  人間的には何の当てもない、先がわからない思いの中で、 あれだけ主を信じているナオミ母さんでさえ、 全能者からひどい苦しみに会うことも知っているあなたが、 なおもその翼の下に避け所を求めて来た イスラエルの神、主から豊かな報いがあるはずだ。 そうでなければ信仰に何の価値がありましょう。 ボアズは信仰によってルツを祝福せざるを得ませんでした。 信仰によってお互いを励まし合う、これこそが私たちがこの人生で体験すべきものであります。 ボアズの信仰、そこからくる励ましを学びたいものです。


       ルツが返事します。  「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。」(13)  神さまのご計画はそのとおりになります。 それを私たちが苦労や不幸のコースをたどりつつ神のご計画に達するか、 あるいは、信仰どおりに幸せのコースをとりつつ神のご計画に達するかは 私たちに与えられた選択です。 私たちは神さまのご計画の中にいることを信じましょう。 そして、いつ幸せコースに乗るか、信仰を働かせましょう。 夫エリメレクの判断に従った妻ナオミは苦しみに遭いましたが、 本来のナオミ(快い、という意味)がしたいと思っている生活が ルツによって与えられました。


       ボアズのさらなる好意がありました(14~16)。 ナオミとルツはたいへんな苦しみと困難に遭いました。 それは神から来たもの、と受け止めました。 しかし、信仰は捨てませんでした。 元に戻り、信仰によって再出発したところ、 主の祝福にあずかる歩みとなりました。


       この聖書の話は皆様にとって重なり合うものでしょうか。 重なり合う部分があれば、 ナオミの生き方やルツの生き方は私たちにとって神の導きとなります。 ルツの名前の意味は「友」か「豊か」です。 皆様に主からの豊かな報いがありますように。


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