新約聖書における方言(2/2)
- 第一コリント12:28~29 -
[インマヌエル 上巻.4-24]
[第一コリント12:28~29] 「28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。」
[使徒行伝2:4~6] 「4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。」
3. 第一コリント12-14章
パウロの手紙において、方言に関する代表的なカ所は「聖霊のたまもの」について記した第一コリント12-14章である。
(1) 第一コリント12章
+ この章では、聖霊のたまものの豊かな多様性と統一性の中で方言が扱われている。
① その背景として、聖霊による生活を誤解したコリント教会の熱狂的な人々が、方言をたまものの中で最高のものだと自慢する傾向があったと考えられる。
② こうした傾向に対し、パウロはたまものの多様性を強調し、方言は聖霊のたまものの一つであると述べている。(12:28)
③ 誰であれ霊的な人は方言を話すべきであるという主張に対して、神の主権的な導きを強調しながら反論を提起している。(12:29、30)
(2) 第一コリント13章
+ この章では、互いの愛に欠如があったと考えられるコリントの教会の人々(第一コリント8:1~3)に対し、聖霊の導きと支配によって、この地上において真に霊的に生きる道を示している。
① 主イエスによって明確に示された愛によって生きることは、聖霊のたまものを持って教会の徳を築くために不可欠であり、聖霊のたまものと聖霊の果実(ガラテヤ書5:22、23)の深い関係が暗示されている。
② パウロが指摘する愛と聖霊のたまものは、互いに対立するものではない。キリストと生きた結合の中で生きるキリスト者、教会の豊かな生活、人生の全体像の中で、パウロは方言が占める位置を語っている。
③ パウロは、「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(第一コリント14:1)と要約している。
(3) 第一コリント14章
+ この章では、方言の性質について述べている。
① 方言は外国語ではなく(14:2)、神秘的な言語表現であるという見解がある一方、他の節(14:10)を根拠にそれを否定する者もいる。
② すべてのケースで解釈が必要である。方言は解釈なしでは理解が困難である。(14:27~28)
③ 特に教会外の人々から方言を巡って誤解を受けやすい。(14:21~23)
④ 方言の不可解性を不信者へのしるしとして、また旧約の預言の成就として受け入れている。(14:21、イザヤ28:11、12)
⑤ パウロは、この不可解さのため教会が批判を受けている事実を認めている。(第一コリント14:23)
⑥ 方言と預言は明確に区別され、方言は自己の徳を築き、預言は教会の徳を築くとされている。(第一コリント14:4)
⑦ パウロは、自分が方言のたまものを受けていることを認めつつ(14:8)、教会の徳を築くことを重視し(14:5、12、17、26)、教会の秩序の重要性を強調し、(14:39、40)のようにするよう促している。
4. その他の書簡
方言に関する言及かどうかで意見が分かれる節には、ローマ書8:26、エペソ書5:19、コロサイ書3:16、ヘブライ書2:4などがある。
[ローマ書8:26] 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」
[エペソ書5:19] 「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい」
[コロサイ書3:16] 「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
[ヘブライ書2:4] 「そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。」