心配を神に委ねなさい
- マタイ福音書6:25~34 -
[インマヌエル 下巻.6-29]
[マタイ福音書6:31~32] 「31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」
*** ノーベル医学賞を受賞したアレクシス・カレル博士は「心配と戦う方法を知らない事業家は早く死ぬ」と言った。昔のことわざに、神は父のようで、自然は母のようだという言葉がある。母の懐にいると安らぎがあるように、自然とともにあると安らぎがあるという意味である。
イエスは空を飛ぶ鳥や野に咲く一輪の花を用いて、私たちに人生の大きな真理を教えながら、平安に生きるよう導いている。
1. 心配とはどのようなものか?
(1) 心配は取るに足らないものである。(マタイ福音書6:25)
+ 天下よりも尊い命と体を持つ人間が、取るに足らないものに心を奪われてはならないということである。
(2) 心配は不自然なものである。(マタイ福音書6:26, 28~29)
+ 自然の万物が心配せずに生きているのに、ましてや人間が心配するのは自然ではないということである。
(3) 心配は無益である。(マタイ福音書6:27、30)
+ 聖書には「心配するな」という言葉が実に500回も記されている。それほど心配は無益である。
+ 誰が心配することで過去を解決でき、未来を解決できるだろうか?過去の後悔と未来の心配は、人間を病ませる恐ろしい二つの悪である。
(4) 心配は不信仰的である。(マタイ福音書6:31~32)
+ キリスト者は自らを顧みてくださる父なる神を仰いでいるため、心配する資格も理由もない。
+ 心配は神の摂理を信じられないことから生じる不信仰的なものである。
(5) 心配は健康を損なう。(箴言17:22)
「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」(箴言17:22)
+ ある医学部教授によれば、医師のもとに来る患者の20%は、彼らの憂いや恐れから解放されさえすれば、自ら病を癒やせる人々だという。
2. 心配を神に委ねなさい。
[第一ペトロ5:7] 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
(1) 神を父として信じなければならない。
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイ福音書6:26)
「こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」 (マタイ福音書6:32)
+ 神が私たちに最も尊い命を与えてくださったなら、その命を維持する食物を与えてくださると信頼することである。私たちの体を与えてくださったなら、着る衣を与えてくださるということである。
(2) まず神に求めなければならない。そして神の応答に従順でなければならない。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 (マタイ福音書6:33)
+ 蜜蜂には心配する暇がないと言われる。神の御心と計画に関心を持ち、熱心に奉仕する者は、悩みや心配事が消えるだろう。<ピリピ4:6>
(3) 考える内容と方向を変えるべきである。
「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」 (マタイ福音書6:34)
+ 将来のあらゆる問題、生きることも死ぬことも、神の御手に委ねなければならない。思いが自分に固執している限り、心配や憂いは去らない。
+ 常に与えることを好む泉は、絶えず流れ続け生き生きとしているが、たまった溝の水は腐って悪臭を放ち、何の益もなく有害なものとなる。
*** 心配に関するイエスの教えは、マタイ福音書6:25-34とルカ福音書12:22-34に繰り返されている。イエスは聴衆に、野の草を覆い、鳥をも養われる神にとって彼らが大切な存在であることを思い起こさせた。
私たちはため息をついたり心配したりせず、私たちの父なる神にイエスの御名によって祈ろう。そして考える内容と方向を変えるようにしよう。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」 (ピりピ書4:6)
* フランク・ループ博士は23年間も関節炎に苦しんだ。彼は病床に臥せる他の障害者たちに励ましの手紙を送った。ベッドに横たわりながら、毎年1万4千通以上の手紙を書き、放送と執筆を通じて数千人の病人を慰めた。