信頼する信仰
- イザヤ書12:1~6 -
[インマヌエル 下巻.6-27]
[イザヤ書12:1~3] 「1 その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」 2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」
*** 生きていると、少年ダビデの前に無敵の敵将ゴリアテが立ちはだかるように、絶望的な環境に直面することがしばしばある。しかしキリスト者は、その時絶望する代わりに、神に信頼する信仰によって、そのすべての困難を克服することができる。
[第一コリント10:13] 「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
1. 全能の神を信頼しよう。
- ダビデは神を信頼する信仰によって、ゴリアテという障壁を打ち破り、勝利した人物となった。いかなる状況においても決して挫折したり落胆したりしてはならない。
(1) どんな失敗や逆境に直面しても、その問題よりもまず神を信頼しなければならない。
「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」(イザヤ書12:2、本文)<詩篇121編>
(2) 心臓が止まりそうな衝撃的な出来事に遭っても、すぐに心を主に向けなければならない。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41:10)
(3) いかなる危機的状況においても、すぐに神を見上げ、頼らなければならない。
<例話>:紙切れは非常に弱く、小指でさえ裂け、水に浸せば溶けるが、鉄板や木板に貼り付ければ、拳でたたいても裂けない。
2. 神の恵みを信仰をもって待ち望もう。
- 神は愛し祝福する者に極度の試練を与えられる。ゆえに最後まで耐え忍ぶ信仰がなければ、大いなることを成し遂げる祝福を受けることはできない。
(1) 神は恵みを与える前に、願いながら待つようにされる。
「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」(イザヤ書30:18)<ヤコブ書:7~11>
(2) 待ち望むことと信頼する信仰がなければ、試練に打ち勝つことはできない。
「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、」(詩篇40:1)<黙示録13:10>
「人が英雄となるのは、他人より勇敢だからではなく、他人より10分長く耐える勇気があるからだ。」 (エマーソンの言葉)
3. 神に叫びながら祈ろう。
- 力を尽くして切に祈らなければ試練を乗り越えることはできない。それゆえ、真に良い信仰を持つキリスト者は熱心に祈るようになる。
(1) 信仰の人は絶望せざるを得ない患難に遭う時、神に向かって叫び助けを求めるようになる。
「4 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。5 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。6 私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。」 (詩篇18:4~6)
(2) 神にはできないことはない。祈りの応答にも不可能はない。<エステル4:16~17>
- 切なる信仰の祈りはあらゆる試練を克服させる。<列王記下20:1~10、イザヤ書38:1~9>
*** 私たちはさまざまな試練に遭うとき、心配したり落胆したりせず、全能の神を信頼しよう。神の恵みを信仰をもって待ち望もう。神に叫びながら祈ろう。私たちの父なる神が解決できないことは一つもない。
[エステル記4:16~17] 「16 行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」 17 そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。」