信仰による来世の祝福
つぎに、信仰は来世においても、永遠に続く祝福をもたらします。
聖書は、あなたにはキリストによって「永遠のいのち」が与えられている、と述べています。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ロマ六・二三)。
また、キリストは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わしたかた(神)を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハ五・二四)。
あなたは「永遠のいのち」を、いつ持つのでしょうか。未来においてでしょうか。そうではありません。キリストは、あなたは今すでに永遠のいのちを持っている、と言われるのです。それは信じるあなたの内に、キリストが宿っておられるからです。
あなたは、信仰に入ったその日から、永遠のいのちに生きる者とされました。あなたはもはや、滅びへの途上にはありません。永遠のいのちの道を歩んでいるのです。
あなたは「永遠のいのちを持ち、(もはや)さばきに会うことがなく、(すでに)死(滅び)から、いのち(永遠の命)に移っているのです」。あなたは、永遠のいのちに生まれ変わりました。あなたがキリストを信じた日、それがあなたの第二の誕生日です。
あなたは、やがて自分の肉体に死が訪れるとき、どこで目覚めるのでしょうか。
神のみもと、天国で目覚めるのです。それはキリストの義のおかげで、あなたが神の御前に義と認められたからです。
天国は、生まれながらの罪人のままでは入ることができません。この世の中でも、ある国ではマラリヤの予防接種をしていない人は、入国を許可してもらえません。神の国――天国は清い国ですから、罪に汚れた者は入ることができないのです。
しかし、キリストを救い主と仰ぐ人々は、キリストの義により、神の前に義――すなわち正しいと認められ、天国に入ることができます。
私たちは、自分自身の義によって、神の前に義と認められるのではありません。キリストの義によるのです。私たちの内には、義と呼べるような義はないからです。
天国は、至福と安息の国です。苦労の多いこの世を旅した神の子どもたちのために、神はそうした場所を、死後に用意しておられるのです。
死は決して、無の世界ではありません。それはキリスト者にとっては、神のみもと天国へ行くことなのです。永遠の生命の大海に入ることなのです。
永遠の生命は、この世にあっては、信者の魂の中を川のように流れています。しかし、川はやがて海に至ります。キリスト者は肉体の束縛から解放されると、永遠の生命の大海に入るのです。永遠の命はまた、この世では、種のように信者の中に宿っています。それは来世において、やがて豊かな花実をつけるのです。
このように信仰は、この世において、また来たるべき世において、永遠に続く祝福をもたらすのです。