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あなたの若い日に神を!
●「あなたの若い日に、あなたの創造者(神)を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)。
最近、考えさせられていることの一つは、現代の多くの若者たちに、「生きる意味が分からない。」「生きることに疲れた。・・・・」「明日への希望がない。」「この世から消えてしまいたい。」「死にたい。」などのことばが、ネット上でも氾濫していることであり、今の若者が直面している大きな問題は「生きる意味の不況」ではないではないだろうかと思うのです。
一部屋に一台テレビがあるような暮らし。
一家に何台も車があるような暮らし。インターネットや携帯電話で、世界の情報をリアルタイムで瞬時に得ることができる便利な社会。しかし、
それはこの地球上で一握りの人たちにのみ許された豊かさなのです。
そして、現代の文明と文化的な生活は、必ずしも彼らに幸福と満足を与えているわけではなく、それとはうら腹に彼らは生きることの空しさを感じているのです。
今、私たちの社会を襲っている問題の本質とは何なのでしょうか。それは「生きる意味」が見えないということではないということなのです。
今、日本の社会のいたるところで起こっているのは、「生きる意味」の雪崩れのような崩壊ではないでしょうか。なぜ自分が生きているのかが分からない。
生きることの豊かさ、何が幸せなのかが分からない。 その崩壊がまず目に見える形で現れているのが 若者の危機ではないでしょうか。
若者だから「夢」がある、若者だから「生きる活力」に満ちているといったイメージは 既に過去のものとなったとう人もいます。
現代の若者には覇気や意欲がなく、無気力になっています。いつも疲れているように見えます。「なぜ生きているのか、意味が分からない。」
そういった若者が日本中にあふれているのが現実なのです。
若者だけでなく、小学生のような児童も、言葉で表せない空しさと孤独を感じて、心で叫んでいます。学校で勉強する意味も、生きることの意味も分からず、疲れているのです。ある本の著者は、小学校二年の女の子の次のような遺書のことを紹介しています。「ママ、パパへ。わたしは いきていてもいみのない人げんです。わたしがいきていても みんながこまるだけです。
ママ、パパ。長いあいだおせわになりました。 なにもいわず、わたしをしなせてください。 ・・・・・・。」
私が住んでいる街でも、近年女子児童がいじめが原因で自殺しているのですが、親や学校の先生や友だちにも幾通もの遺書を書いて自殺したのですが、その遺書はとても痛々しいものです。その少女を大人が誰も助けることが出来なかったことを思うととても残念で悲しく思います。
自殺の増加と低年齢化に、世の中の大人たちも戸惑っているようです。科学や医学などは、確かに急速に進歩しているのですが、
人類の闇はますます深まっていると言えるのではないでしょうか。
「強く生きなさい。」と励ます本が相次いでベストセラーになっているそうですが、それらの本は「生きていても何の意味もない。」と考えている若者に対して、一体、どんな説明が用意されているのでしょうか。「強く行きなさい。」「しっかり生きなさい。」と連呼しても、
若者たちの耳には空しくこだまするだけではないでしょうか。殺人、自殺、暴力、虐待などは、 「一体、生きる意味はどこにあるのか。」
「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か。」 と必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが 生み出す悲劇ではないかと言う学者もいます。
人が生きて行くためには、多くの悩みがあり、苦しみがあり、幾多の逆境と試練を通らなければなりません。
これら諸問題の根底にある「人生の意味と目的」と「生命の尊厳」が明らかに示されない限り、どんなに対策を講じようとしても水面に描いた絵のように空しく感じられるのではないでしょうか。「人生に目的はあるのか。」「生きる意味は何なのか。」
だれも、その質問に答えることができないのです。教育の現場は荒れており、学校の先生でさえも、生きる意味を教えることができないで悩んでいます。これは、教育界における最大のテーマでもあるのです。学校で、生きる方法や術(すべ)を教えても、「人が生きる意味」を教えなければ、人生においてそれが何の意味があるというのでしょうか。
人類は、この問題の答えを見出さない限り、ますますこの深い闇の中に入って行く以外にないのです。では、政治の力によって、この「難問」に対する答えを与えることができるでしょうか。その答えは「NO!」です。児童や青少年の健全な成長や、青少年犯罪の防止のために、国でいろいろな法律を作って、多くの子供たちを十把一絡げにして道徳や生きる術(すべ)を教えようとしても、一人一人が「生きる意味と目的」が分からなければ、真の意味で、政治の力で「美しい国」を造ろうとするすべての策は徒労に終わるでしょう。これは、日本だけの問題ではなく、世界のどこの国でも直面している問題なのです。また、これは、若者だけの問題ではなく、老若男女、すべての年代の人たちが考えなければならない深刻な問題なのです。
「私は、何のために生まれて来たのか。」「生まれて来なければよかった。」「私がいるだけ、みんなに迷惑。」と思って日々、葛藤しながら生きている青少年がいっぱいいます。それだけ、いろんな悲しみや苦しみが世界にあふれています。現実は経済的に富める国の人も、貧しい国の人もそれぞれの苦しみをかかえて生きています。アメリカでは、他殺よりも自殺のほうが多く、殺人によって亡くなる人の1.7倍の人が自ら生命を絶っているそうです。世界保健機関によれば、2.000年には100万人が自殺しています。日本では、年間自殺者が3万人を越えています。現実にはその10倍とも言われる自殺未遂者がいるため、毎日1.000人からの日本人が自殺に追い込まれていることになるのです。交通事故の年間の死者数が6.000人台であることを考えると、これは異常な数字ではないでしょうか。
潜在的に自殺願望を持った人も多くいますが、昨日まで幸せの絶頂にいたと思われていた人が突然の不幸で、今日自殺することだって珍しいことではないのです。人生に「意味と目的」を見出せず、挫折したり、不幸な境遇にあうとその困難を乗り越えて生き続けることが出来なくなってしまうのです。自分だけはそういうことにはならないと言い切れるでしょうか。どんな逆境に遭遇しても、「生きるのはこのためだ!」という明確な目的を持っているでしょうか。あなたご自身も周りの人たちも、いよいよ追い込まれて、初めて生きる目的を探すのでは遅過ぎるのです。苦しみに耐え切れず自殺してしまう方が多いのです。「生きる目的」など、そこまで深刻に考えなくてもと思っておられる方も、肉体的にも精神的にもまだ元気な時に真剣に考えていただきたいのです。
●「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)。
●「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」(箴言1:7)。
●「神はこのように、人をご自身のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:27)。
人生の真の意味を問うこれらの問題の解決は、聖書の中にあります。「生きる意味は何か。」の深刻な問題の解決は、目先の表面的なことでは不可能なのです。この世の中のあらゆる問題の解決のためには、人間の原点に帰られなければならないのです。あなたが、もしワイシャツのボタンを掛け違えたならば、最初から掛けなおす必要があります。途中から、掛けなおしても問題は解決しません。聖書を読んで初めて、その人生の暗い闇の中に光明が差し込んで来るのを悟ることが出来ます。時計は時間を計るためにあり、椅子は人がそこに座って休むためにあり、家は人が住むために作られます。人は、学校で教える進化論のように、偶然に出来た産物ではなく、創造者(God)によって造られた存在なのです。造られた存在であれば、当然、そこに創造者が与えた意味があるのです。
「人生」とは、「人が生きる」と書きます。ですから、「人とは何か」「人間はどこから来たのか」というその人間の原点に立ち返らない限り、人生の意味も分からないことになります。人間は神によって造られ、生かされている存在です。しかし、人類の始祖アダムは神の掟を破ってしまったのです。でも、愛なる神は人類が今日まで神に反逆し、神に背を向けて自分勝手な道を歩んで滅びに向かっているのを哀れんでくださり、ご自分の御子イエス・キリストを救い主としてお遣わしくださいました。この御方が十字架で私たち罪人の身代わりに死んでくださったのです。この神の御子イエス・キリストを自分の救い主と信じる者は救われ、永遠のいのちを受けることができます。そして、いつくしみに満ちた神は疲れてきっている若者をも招いておられ、真の平安を与えてくださるのです。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
」(ヨハネの福音書3:16)。
●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28)
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