やるべき事はすぐにやろう

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大学時代の私の指導教授は海軍兵学校を卒業され、敗戦後、大学で政治学を学び、政治学者として数十年にわたって、それこそ天に召されるまで教壇に立ち続けられた方でした。激動の昭和を生きた方ですから、講義の中でも、論文の中でも「激動」という言葉をよく使われていたのを思い出します。

激動の時代であった昭和から平成になり、少しずつ先送りにしていた問題が露呈し始めました。そして今日、それらの問題は一斉に火を吹いて、国民生活を圧迫しています。

これらの問題を解決しなければならない政治家たちは好んで「棚上げ」という言葉を使っていますね。ですがこれは問題の先送りに過ぎず、責任の放棄と言われても仕方ありません。責任の所在がはっきりしないので、誰も責任を取ろうとしません。玉虫色の言葉で巧妙に国民を欺く遣り口は、戦前も戦後も変わっていないのです。

最近、過去の歴史をどう評価するかがイシューの一つになっています。歴史の清算や見直しは必要な事です。であるならば、過去から現在に至るまで共通の問題事項である権利義務関係や責任の所在のはっきりしない統治原理を正すところからしっかりやるべきではないでしょうか。国民が国に求めているのはそういうことなはずです。もう激動の時代のどさくさに紛れて一部の団体に有利になるような権力の濫用はやめて欲しいのです。

聖書でも次のように戒めています。

「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」(ヤコブ書4:17)

政治の世界だけではありません。私たちも問題の先送りが多いのではないでしょうか。為さねばならぬ事を知りつつもそれを為さぬは罪ということを忘れないようにいたしましょう。やらねばならぬ事に気付いたらいつやるのか。答えは簡単です。「今でしょ!」。

やらなければばらない事を放棄する無責任な人間になる事がないよいに神が導いて下さいますように。
 
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