富に関する聖書の約束


「富」に関して、聖書には次の三つの約束がある。


) 主の御教えに従って歩むなら、あなたには富を築く力が与えられる

 聖書はこう記している。
 「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日の通りに果たされるためである」(申命八・一八)
 これは、もともとイスラエル民族に与えられた約束だが、同時に「霊のイスラエル」であるクリスチャンたちに対する約束でもある。
 私たちが天地の造り主なる神を、しっかり心に据え、その御教えを尊びながら歩むなら、神は私たちに「富を築き上げる力を与えられる」と約束された。
 これは、神が人との間に結ばれた「契約」である。その契約内容は、もし人間が神の御教えに従って歩むなら、神はその人を祝福し、物質的にも精神的にも繁栄させる、というものである。
 神は真実なかたであって、この契約を破られることは、決してない。あなたが主の御教えを心にたくわえ、主に従って歩むなら、あなたには「富を築き上げる力が与えられる」。
 ところが、多くの人々はこの「富を築き上げる力」を与えられながら、それを充分に用いてはいない。これは残念なことだ。
 そうした人々は、多くの場合、「富を持つことは悪いことだ」と誤解している。富を罪悪視しているのである。
 しかし、富自体が悪いのではない。あなたが、もし「富におる道(ピリ四・一二)さえしっかり心得ておれば、富はあなたに対する神の祝福なのである。


) 富の中で主を忘れるなら、あなたは必ず滅びる

 富に関する聖書の第二の約束は、次のものである。
 「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。・・・
 あなたが万一、あなたの神、主を忘れ、ほかの神々に従い、これらに仕え、これらを拝むようなことがあれば、きょう、私はあなたがたに警告する。
 あなたがたは必ず滅びる。・・・あなたがたが、あなたがたの神、主の御声に聞き従わないからである」(申命八・一七~二〇)
 つまり富の中で、主を忘れることがあれば、その人は必ず滅びる。富を得たとき、もし、
 「これは私の力が築き上げたものだ」
 と言うようになれば、その人は自分を滅びに定めているのである。
 天から与えられることなしに、だれも、何も得ることはできない。すべては神からの恵みなのである。
 あなたが幸いにも富むことがあれば、あなたはそれを主から与えられたもの、また主から託されたもの、と考えなければならない。私たちは、神に栄光を帰すことを忘れてはならない。
 さらに、もう一つ注意しなければならないことがある。あなたは富を得たとき、くれぐれも「富に仕え」(マタ六・二四)ないよう気をつけなければならない。
 もしあなたが、自分の快楽のために富を浪費し、ぜいたくのために使い、貧しい人々をかえりみないことがあれば、すでにあなたは「富の奴隷」になっている。あなたは富の奴隷であり、富があなたの主人なのである。
 くれぐれも、富に仕えたり、富のための人生を送ってはいけない。富をあなたの偶像としたり、あなたの神としてはいけない。
 もしそのようなことがあれば、あなたは必ず滅びる。そのような人が天国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが、ずっとやさしいのである。


) 富を神と隣人のために用いるなら、あなたは後の世まで豊かに祝福される

 富に関する聖書のもう一つの約束は、次のものである。
 「与えなさい。そうすれば与えられます(ルカ六・三八)
 もしあなたに富が与えられたなら、あなたはその富の運用を「託された」のだ、と考えなければならない。
 あなたは、たまたまその富の管財人、または富の運用をまかされた者となったのである。あなたはその富を、神の御用と、隣人への奉仕に役立てなければならない。
 あなたは、富に生きることなく、富を生かさなければならない。富に仕えることなく、富を支配しなければならない。それには、神の豊かな祝福という報いが用意されている。
 「与えなさい。そうすれば与えられます」
 という約束は本当である。神は、富を役立てる者に対して、豊かに報いてくださる。この世で、また来たるべき世で、神はあなたを豊かに祝福し、あなたの名を尊ばれる。
 富を、神の御用である伝道と、隣人への慈善に有効に用いた人々は、来たるべき最後の審判の時、主イエスから次のようなお褒めの言葉をいただくであろう。
 「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
 あなたがたは、私が空腹であったとき私に食べる物を与え、私が渇いていたとき私に飲ませ、私が旅人であったとき私に宿を貸し、私が裸のとき私に着る物を与え、私が病気をしたとき私を見舞い、私が牢にいたとき私をたずねてくれたからです。・・・
 あなたが、これらの私の兄弟たち(不幸な状況にある人々をさす)しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです(マタ二五・三四~四〇)
 こうして富を活用した人々は、神からの豊かなご褒美を受けるのである。