ハイデルベルク信仰問答 [問33~53]
*Shalom Mission シャローム宣教会:http://shmission.com/xe/shalom_jp
問33 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方は神の「独り子」と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、キリストだけが永遠の、本来の神の御子だからです。わたしたちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです。
問34 あなたはなぜこの方を「われらの主」と呼ぶのですか。
答 この方が、金や銀ではなく御自身の尊い血によって、わたしたちの罪と悪魔のすべての力から救い、わたしたちを身と魂もろとも贖って、御自身のものとしてくださったからです。
問35 「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。
答 永遠の神の御子、すなわちまことの永遠の神でありまたあり続けるお方が、聖霊のお働きによって、処女マリヤの肉と血からまことの人間性を身にまとわれた、ということです。それは、御自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪は別にしてはあらゆる点で兄弟たちと等しくなるためでした。
問36 キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。
答 この方がわたしたちの仲保者であられ、御自身の無罪性と完全なきよさとによって、母の胎にいる時からわたしの罪を神の御顔の前で覆ってくださる、ということです。
問37 「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。
答 キリストがその地上での御生涯のすべての時、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです。それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによってわたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした。
問38 なぜその方は、裁判官「ポンテオ・ピラトのもとに」苦しみを受けられたのですか。
答 それは、罪のないこの方が、この世の裁判官による刑罰をお受けになることによって、わたしたちに下されるはずの神の厳しい審判から、わたしたちを免れさせるためでした。
問39 その方が「十字架につけられ」たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。
答 あります。それによって、わたしは、この方がわたしの上にかかっていた呪いを御自身の上に引き受けてくださったことを、確信するのです。なぜなら、十字架の死は神に呪われたものだからです。
問40 なぜキリストは、「死」を苦しまなければならなかったのですか。
答 なぜなら、神の義と真実のゆえに、神の御子の死による以外には、わたしたちの罪を償うことができなかったからです。
問41 なぜこの方は、「葬られ」たのですか。
答 それによって、この方が本当に死なれたということを証しするためです。
問42 キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちがさらに死ななければならないのですか。
答 わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、むしろ罪の死滅であり、永遠の命への入口なのです。
問43 十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。
答 この方の御力によって、わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、ということです。それによって、肉の邪悪な欲望がもはやわたしたちを支配することなく、かえってわたしたちは自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ献げるようになるのです。
問44 なぜ「陰府にくだり」と続くのですか。
答 それは、わたしが最も激しい試みの時にも次のように確信するためです。すなわち、わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださったのだ、と。
問45 キリストの「よみがえり」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によってわたしたちのために獲得された義にわたしたちをあずからせてくださる、ということ。第二に、その御力によってわたしたちも今や新しい命に生き返らされている、ということ。第三に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりはわたしたちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということ。
問46 あなたは「天にのぼり」をどのように理解しますか。
答 キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださるということです。
問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。
答 キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊において片時もわたしたちから離れておられないのです・
問48 しかし、人間性が神性のある所どこにでもあるというわけではないのならば、キリストの二つの性質は互いに分離しているのではありませんか。
答 決してそうではありません。なぜなら、神性は捉えることができず、どこにでも臨在するのですから、同時に人間性の内にもあって、絶えず人間性と人格的に結合しているのです。
問49 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方が天において御父の面前でわたしたちの弁護者となっておられる、ということ。第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。それは、頭であるキリストがこの方の一部であるわたしたちを御自身のもとにまで引き上げてくださる一つの確かな保証である、ということです。第三に、この方がその保証のしるしとして御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。
問50 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。
答 なぜなら、キリストが天に昇られたのは、そこにおいて御自身がキリスト教会の頭であることをお示しになるためであり、この方によって御父は万物を統治なさるからです。
問51 わたしたちの頭であるキリストのこの栄光はわたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方が御自身の聖霊を通して、御自身の部分であるわたしたちのうちに天からの諸々の賜物を注ぎ込んでくださる、ということ。そうして次に、わたしたちをその御力によってすべての敵から守り支えてくださる、ということです。
問52 「生ける者と死ねる者とを審」かれるためのキリストの再臨は、あなたをどのように慰めるのですか。
答 わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも頭を上げて、かつてわたしのために神の裁きに自らを差し出しすべての呪いをわたしから取り去ってくださった。まさにその裁き主が天から来られることを待ち望むように、です。この方は、御自分とわたしの敵をことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、わたしを、すべての選ばれた者たちと共にその御許へ、すなわち、天の喜びと栄光の中へと迎え入れてくださるのです。
問53 「聖霊」についてあなたは何を信じていますか。
答 第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。第二に、この方はわたしたちに与えられたお方であり、まことの信仰によってキリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。
[Reference] : shmission, 「資料室 - ハイデルベルク信仰問答 [門1~129]」 http://shmission.com/xe/?document_srl=96146&mid=sh_jp_board_6.