ハイデルベルク信仰問答 [問1~32]
*Shalom Mission シャローム宣教会:http://shmission.com/xe/shalom_jp
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。 そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜びまたそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。
問2 この慰めの中で喜びに満ちて生きまた死ぬために、あなたはどれだけのことを知る必要がありますか。
答 三つのことです。第一に、どれほどわたしの罪と悲惨が大きいか。第二に、どうすればあらゆる罪と悲惨から救われるか、第三に、どのようにこの救いに対して神に感謝すべきか、ということです。
問3 何によってあなたは自分の悲惨さに気づきますか。
答 神の律法によってです。
問4 神の律法はわたしたちに何を求めていますか。
答 それについてキリストは、マタイによる福音書二二章で次のように要約して教えておられます。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
問5 あなたはこれらすべてのことを完全に行うことができますか。
答 できません。なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです。
問6 それでは、神は人をそのように悪い邪悪なものに創造なさったのですか。
答 いいえ。むしろ神は人をよいものに、また御自身のかたちに似せて、すなわち、まことの義と聖とのうちに創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちに神と共に生き、そうして神をほめ歌い賛美するためでした。
問7 それでは、人のこのような堕落した性質は何に由来するのですか。
答 わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆罪のうちにはらまれて、生まれてくるのです。
問8 それでは、どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。
答 そうです。わたしたちが神の御霊によって再生されない限りは。
問9 御自身の律法において人ができないようなことを人に求めるとは、神は人に対して不正を犯しているのではありませんか。
答 そうではありません。なぜなら、神は人がそれを行えるように、人を創造されたからです。にもかかわらず、人が悪魔にそそのかされ、故意の不従順によって自分自身とそのすべての子孫からそれらの賜物を奪い去ったのです。
問10 神はそのような不従順と背反とを罰せずに見逃されるのですか。
答 断じてそうではありません。それどころか、神は生まれながらの罪についても実際に犯した罪についても、激しく怒っておられ、それらをただしいさばきによって、この世においても永遠にわたっても罰しようとまさるのです。それは、「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守り行わない者は皆、呪われている」と神がお語りになったとおりです。
問11 しかし、神はあわれみ深い方でもあるのではありませんか。
答 確かに神はあわれみ深い方ですが、またただしい方でもあられます。ですから、神の義は、神の究極の権威にそむいて犯される罪が同じく究極の、すなわち永遠の刑罰をもって身と魂とにおいて罰せられることを要求するのです。
問12 わたしたちが神のただしいさばきによってこの世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるにはどうすればよいのですか。
答 神は、御自身の義が満足されることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して自分自身によってかあるいは他のものによって、完全な償いをしなければなりません。
問13 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるのですか。
答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。
問14 しかし、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。
答 いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷を担い、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。
問15 それでは、わたしたちはどのような仲保者または救い主を求めるべきなのですか。
答 まことのただしい人間あると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわちまことの神でもあられるお方です。
問16 なぜその方は、まことのただしい人間でなければならないのですか。
答 なぜなら、神の義は罪を犯した人間自身がその罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできないからです。
問17 なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。
答 その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性に担われ、わたしたちのために義と命を獲得し、再びそれをわたしたちに与えてくださるためです。
問18 それではまことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったい誰ですか。
答 わたしたちの主イエス・キリストのことです。この方は、完全な救いと義のためにわたしたちに与えられているお方なのです。
問19 あなたはこのことを何によって知るのですか。
答 聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。
問20 それでは、すべての人が、アダムを通して堕落したのと同様に、キリストを通して救われるのですか。
答 いいえ、まことの信仰によってこの方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。
問21 まことの信仰とは何ですか。
答 それは、神が御言葉においてわたしたちに啓示されたことのすべてをわたしが真実であると確信する、その確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる心からの信頼のことでもあります。それによって、他の人々のみならずこのわたしにも、罪の赦しと永遠の義と救いとが神から与えられるのです。それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです。
問22 それでは、キリスト者が信じるべきことは何ですか。
答 福音においてわたしたちに約束されていることすべてです。わたしたちの公同的な、確固たるキリスト教信仰箇条がそれを要約して教えています。
問23 それはどのようなものですか。
答 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。
問24 これらの箇条はどのように分けられますか。
答 三つに分けられます。第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、第二に、子なる神と、わたしたちの救いについて、第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです。
問25 ただ一人の神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。
答 それは、神が御自身についてそのように、すなわち、これら三つの位格が唯一のまことの永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです。
問26 「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか。
答 天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらをその永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。わたしはこの方により頼んでいるので、この方が身と魂に必要なもの一切をわたしに備えてくださること、また、たとえこの悲しみの谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、わたしは疑わないのです。なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。
問27 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。
答 全能かつ現実の、神の御力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によってわたしたちにもたらされるのです。
問28 神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちはどのような恵みを受けますか。
答 わたしたちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来についてはわたしたちの真実な父なる神をかたく信じ、どのような被造物もこの方の愛からわたしたちを引き離すことはないと確信できるようになる、ということです。なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも動かされることもできないからです。
問29 なぜ神の御子は「イエス」すなわち「救済者」と呼ばれるのですか。
答 それは、この方がわたしたちをわたしたちの罪から救ってくださるからであり、他の誰かに救いを求めたり、ましてやそれを見出すことなどできないからです。
問30 それでは、自分の幸福や救いを聖人や自分自身や他のどこかに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか。
答 いいえ。たとえ彼らがこの方を誇っていたとしてもその行いにおいて、彼らは唯一の救済者または救い主であられるイエスを否定しているのです。なぜなら、イエスが完全な救い主ではないとするか、そうでなければ、この救い主を真実な信仰をもって受け入れて、自分の救いに必要なことのすべてをこの方のうちに持たねばならないか、どちらかだからです。
問31 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、この方は父なる神かから次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの救いに関する神の隠された熟慮と御意志とを余すところなくわたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によってわたしたちを救い、御父の御前でわたしたちのために絶えずとりなし、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊によってわたしたちを治め、獲得した救いによってわたしたちを守り保ってくださる、ということです。
問32 しかし、なぜあなたが「キリスト者」と呼ばれているのですか。
答 なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。それは、わたしもまた、この方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心えおもって罪や悪魔と戦い、ついにはこの方と共に全被造物を永遠に支配するためです。