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問: 律法違反の罪は、みな同じ重さですか。
答: ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目に重罪です。
罪の重さの相違
問83は、私たちが犯す罪について、重さに相違があることを教えています。
罪の重さの相違は二つの点から出てきます。
(1) 罪自体の相違: 十戒の禁じる罪の内、貪りより盗みが、盗みよりも殺人が、重い罪である事は明らかです。罪自体の重さに相違があります。
(2)加重の有無: 富んでいる者が貧しい者から盗むのと、貧しい者が飢えたあげくに盗むのとでは、同じ盗みでも重さが違います。あるいは、悪であることを承知で人を中傷する人は、分別のあいまいな子供が中傷するよりも重い罪を犯しています。罪が犯される事情や罪を犯す人の状況によって、罪の重さには相違があります。
罪の重さの相違が指摘される意義
罪の重さに相違があるとの指摘には、次のような意義があります。
(1) 日々、罪と戦い、聖化を目指すため。
すべての人は日ごとに罪を犯します(問82)。しかし、「人はどうせ罪人なのだから」という理由で、神と人を愛する努力(道徳的努力)を放棄すべきではありません。なぜなら、罪の重さには相違があるからです。重い罪を特に悲しみつつ、罪と戦い、神の御心を行なう努力へと信仰者は招かれています。
(2) 互いに忠告しあうために。
信仰者は、「同じ罪人同志だから」という理由で、人からの忠告を拒んだり、人への忠告を差し控えたりすべきではありません。罪人同士であっても、重い罪に対しては当然、忠告が行なわれるべきです。
(3) 教会の戒規が行われるために。
戒規とは、重い罪を犯した人に教会が与える教育的罰で、除名、陪餐停止、訓戒などがあります。「誰でも罪人だから、兄弟姉妹を裁く資格はない」という理由で戒規を差し控えるべきではありません。教会は、悔い改める者を赦して下さる主に頼り、当人の悔い改めを願いつつ、重い罪に対しては罰を課する事が出来ますし、そうするべきなのです。