松代大本営跡 - 地域情報動画サイト 街ログ



「松代大本営」

 松代大本営とは、アジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画された。

 松代大本営の地下壕には、宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)など、天皇制国家を支える中枢機関がまとめて移転する計画だった。

 この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていない。

地下壕工事が始まるまで 2006/11/15 Up
工事計画一覧表 2005/10/8 Up
工事に関わった組織系統 2003/1/19 Up
工事に動員された朝鮮人労働者 参考:現在のトンネル工事の流れ 2003/1/19 Up
工事に伴っておかれた「慰安所」 「慰安所」に使われた建物の経緯 2000/10/1 Up
工事による地元の被害 2003/1/18 Up
ロ地区立ち退きについての証言 2003/1/19 Up
「松代大本営」関連用語集 2000/1/8 Up
松代見学ガイド 2011/1/28 Up
松代への行き方ガイド 2006/10/23 Up
松代での昼食・宿泊・温泉ガイド 2007/5/20 Up
「もうひとつの歴史館・松代」展示室紹介 2011/1/28 Up
松代周辺地図 2005/4/3 Up
松代見学ガイドマップ 2010/7/11 Up
写真で見る松代 2005/10/10 Up
ガイドブック紹介 2004/12/20 Up

「松代大本営」工事に動員された朝鮮人労働者

 大本営の現場作業は、強制連行されたり、日本各地の工事現場から移された朝鮮人労働者や、勤労動員された日本人が当たった。固い岩盤を相手に発破(はっぱ)を使う、昼夜二交替の最も過酷な労働を強いられたのは朝鮮人労働者たちであった。その数は今だに定かではないが、7,000人以上ともいわれている。
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「もうひとつの歴史館・松代」が目指すもの

 アジア・太平洋戦争末期、敗色濃厚となった日本政府・軍部が、「本土決戦」と天皇制護持を目的に、強制連行した朝鮮の人々などを過酷な条件で働かせて作り上げた松代大本営。その工事現場の近くでは、朝鮮の女性たちが「慰安婦」とされ、「性」を蹂躙されていた(→松代の「慰安所」)。いわば松代大本営は、日本の近代史における矛盾や、朝鮮に対する植民地支配と民族差別、女性への暴力といった問題を同時に私たちに語りかける歴史の証言者としての意味を持っている。

 その地下壕跡を、全国から年間十万人近い人々が訪れている。しかし、わずかな範囲の公開や数枚の掲示板だけでは、「マツシロ」が持つ歴史的な意義を十分に伝えきれてはいない。そこで、地下壕の入り口近くに、松代町内でかつて「慰安所」として使われた建物を復元して、各種の資料展示のできる「歴史館」を作ることにより、松代大本営が語りかける意味を多くの人々に知ってもらい、「歴史」の教訓を踏まえてどのような未来を築いていったらいいか、ともに考えるきっかけを作っていく。

 現在、韓国・朝鮮、中国などアジア諸国の人々と私たち日本人が持つ歴史認識のギャップの大きさが交流の見えない壁になっていることもあり、こうした歴史館づくりを通して、アジアの人々との歴史認識の溝を縮め、相互理解を深めていく出発点にもしたい。

 なお、観覧対象者として想定するのは、全国や海外から集まる大本営の見学者(特に次代を担う若い人たち、中・高校生等)である。