日本文化の特徴

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  私たちはすでに、クリスチャンになるために自分の文化を放棄して、外国の文化を受け入れる必要はないということを学びました。ではその原則を日本の実情に適応すると、どういうことになるでしょうか。これは単純な問題ではありません。実際、日本文化の全てを悪と断定して放棄してしまうほうが、単純な作業です。しかし、それでは宣教は失敗に帰してしまいます。
 ひとくちで日本文化といっても、大変複雑で奥深いものですから、とても学びつくせるものではありません。ここではきわめて特徴的で、福音宣教に直接かかわりがある、二つの面を取り上げてみます。ただし、これが特徴的だというのは、他の国にそのようなものがないというのではなく、むしろ他のアジアなどの国々と非常に類似していながら、日本的な特徴を作り上げているということです。

1.偶像文化

 日本文化に顕著な特徴に、複雑な偶像文化が挙げられます。偶像文化それ自体は、どこにでも見ることができますが、やはり日本的な特徴を備えています。日本の宗教は基本的には、神道・仏教・儒教の3つのシンクレティズムです。このシンクレティズムが、「キリスト教的」欧米の学者から見ると不思議らしいのですが、別に珍しいことではなく、複数の宗教がぶつかっているところでは、どこでも大なり小なり起こっていることに過ぎません。ただ、このシンクレティズムの様相が、非常に日本的な特徴を持っているのです。

 日本人の生活を見ると、不信仰、無神論を標榜している人々の生活でさえ、深い宗教的感覚を持ち、宗教的習慣、行事を認容し、それに関わり、影響されています。たとえ、個人としては宗教を否定していたとしても、社会の中で宗教の存在価値は喜んで認め、そのために働いたりさえします。宗教的なものから全く身を引いては、日本で生活していくことはできません。

2.共同体文化

 日本人の生活は、個人の生活ではなく、共同体の一員としての生活です。どこの民族、どこの国家にも共同体意識は存在します。しかし日本の共同体意識は非常に強力で、多くの国家の指導者がそれをうらやみ、何とか自分の国の人々もそのような共同体意識を持てるようにと願い、いろいろ努力をしているほどであるにもかかわらず、とうの日本人はほとんど気づいていない無意識のままだという事です。

 多くの国々では、バラバラの国民感情を1つにするために愛国心が叫ばれ、民族意識の昂揚も利用されています。ところがなかなか上手くいきません。確かに戦時中の一時期日本でもそのようなことがあり、軍国主義一辺倒になりました。以前から共通を善とし、共通の中に入ろうとし、共通の中にいると居心地が良いという日本人の感覚が軍国主義化をいとも簡単に許してしまいました。そして軍国主義が過ぎ去り、愛国心という言葉も日常会話から消えてしまい、君が代も相撲の歌となり、日の丸を見ることも稀になった今も、この共通を求める意識は全く変わっていないのです。

 日本人独特の共同体感覚は、荒海に囲まれた島国で、外国人との接触が非常に少なかったということに原因の大部分があります。島国というだけならば他にも例がありますが、日本ほど隔離された状態で、長い間小さな国土の中で定住生活を営み、均一の生活環境と感覚を育ててきた国はありません。ほとんどの民族や国家は、他の民族・国家と陸続きで、国境線というものも、有事の時にはなきに等しくなりました。他民族が大挙して押し寄せ、略奪と破壊を繰り返し、異文化の支配と強制が情け容赦なく行われた一方、略奪し支配した国でも、新しい文化に接しそれを吸収していったのです。また平和な時代においても、経済的交流が盛んに行われ、それがそのまま文化交流ともなっていきました。日本に比べると同じ島国といわれるイギリスなどは、泳いで渡れる海峡に隔てられているだけで、ヨーロッパ大陸の一部と変わりませんでした。

 しかも日本という国土は、適当に小さくて、世界の多様性に比べると、ほとんど共通ともいえる温和な自然条件に恵まれ、共通の生活環境を提供し、人々の交流も相当に行われていたため、共通の感覚、共通の情緒、共通の生活習慣が生み出されたのは当然の結果でした。これが外国の侵略に邪魔されず、2千年以上も途絶えることなく面々と育まれてきたのです。それは深く日本人の中に染み込み、ちょっとやそっとで拭い去ることのできないものになったのは当然のことです。もちろん日本が国家として統一される前、例えば戦国時代には戦いが続き、侵略が繰り返されましたが、これなどは、あくまで共通民族・共通文化の中での争いで、世界的に見れば、あるいは民族という観点、文化という観点からすると、「たらいの中の嵐」に過ぎません。

 実際日本は一度も外国の侵略を受けていません。外国文化の強制が、国家レベル・民族レベルで行われたことがないのです。2度にわたる蒙古の来週は、神風によって撃退されましたし、明治維新、第二次世界大戦の敗戦も、それなりの文化の押し付けはあったにしても、民族レベル・国家レベルの文化的侵略とはとてもいえません。かえって、日本は歴史を通して、自分が学びたい、習得したいと思うものは、自分の方から外国まで出向いて学び取ろうとしています。仏教文化を初めとして、中国、朝鮮からの文化の吸収、あるいは明治維新の欧米からの文化の吸収、大戦後のアメリカ文化の吸収などに、それが良く表れています。

 こうして日本は、大戦後の天皇の人間宣言、平和憲法、財閥解体、農地改革などの一連の出来事以外は、誰にも強制されることなく、自分の学びたいことを取捨選択して、好きなように学び、自分に都合の良いものだけを吸収することができたのです。大戦後に押し付けられた一連のものにしても、それらが、もともと日本人の心情に共通していたために定着したのだと言えます。自分に都合の良いものだけを吸収することができたという事実は、自分が好きでないもの、自分に益にならないものを、敏感に嗅ぎ分け、穀然と拒絶する態度を作り上げることにもなりました。

 このような共同体文化で最も大切にされたものは、共同体内部の人間相互の「和」です。「和を以て貴しと為す」といわれるとおりです。長い間培われた、そのような共通の感覚、情緒、習慣、生活様式が、「和」、即ち調和、平和、そして「なごみ」を作り出すものとして大切にされ、そのような共通の理解をもった国が「大和」の国なのです。「阿吽の呼吸」だとか、「腹芸」が通じ、みんなが思いやりを持って「察して」くれるため、遠慮して何も言わなくても「わかってもらえる」社会、口に出して論じる必要のない文化、黙ったままニコニコして悪意のないことを示せば、後は「声なき声も聞いてもらえ」、「悪いようにはしないで」、「良きに計らって」もらえる社会、これが日本です。レストランに入って「適当に見繕って」などと注文できるのは、世界広しといえども日本だけではないでしょうか。一を聞いて十を悟ることが期待される国。「何も言わなくて良いのよ。みんなちゃーんと分かっているんだから」と慰められて、何も言わないで黙ったまま分かってもらえたような気分になれる国、これが日本です。

 したがって、このような居心地の良い文化の中で最も悪いことは、和を乱すこと、和を破壊することです。個人の特色が強すぎるもの、刷新的なもの、改革的なものは疎まれ、「出る釘は打たれる」ということになり、和になじむこと、長いものには巻かれ、臭いものには蓋をすることが、最も美徳とされるのです。日本人は小さい時から、「他人(人)が見ているわよ」、「恥ずかしくないの」と育てられ、「どんなことをしても良いが、人様の迷惑になることだけはするな」と、訓戒されて成長するのです。

 これは自分たちと同質なものに対する親しみと受容を生み出す一方、異質なもの、自分たちの共通感覚でもっては理解できないものに対する強烈な拒絶と憎しみになり、残虐行為に至ります。村八分、外国人に対する態度、日本人の戦争犯罪などに、これらの例を見ることができます。ある調査によると、外国で生活する日本人は、全く現地の生活に溶け込んでしまい、日本人であるかどうか判らないほどにまでなってしまうか、全く現地に折り合いがつかず、現地に対して非常な悪感情を持って、早々にして帰国したいと泣き出すか、二つに一つだそうです。自分の日本人としての自覚と生活態度を保ちながら、現地の生活態度を認めて共存できることができるものは、非常に少ないと言うことですが、ここにもそれが現れています。

3.異教文化と和

 先に述べたように、日本古来の宗教は神道です。この神道と和の精神は、両者の発展に互いに深く関わってきました。祠、社の発展に地域社会がありましたし、地域社会は鎮守、氏神、あるいは産土神によって強められてきました。このような中に仏教が伝来した時、当然そこには争いが起こりました。曽我と物部の抗争は、宗教よりも政治的に理解しなければなりませんが、仏教は仏教として、すんなり受け入れられたのではありません。けっきょくのところ、日本化、すなわち「和化」していき、ついには神仏一体化にまでなっていったのです。儒教にしても、むしろ日本的な「和」を理論的にも実践においても補強するような形で入ってきました。けっきょく、日本人にとって宗教とは、最も大切な「和」に仕えるもの、社会の共通の益になるべきものであって、日本人の共同体生活に、新しい指針とか生き方とか様式などを持ち込み、和を乱すものであってはならないのです。日本人は宗教においても上手に、自分たちの共同体の益になる部分、害にならない部分だけを取り入れてきたのです。そこには独創性にこそ欠けていたかもしれませんが、大変な刷新力、再生力がありました。こうして日本人独特のシンクレティズムが出来上がったのです。

 神道は日本の和の社会で、氏神さまに代表されるように、主に地域社会、居住地共同体に関わってきました。農耕地域では、それは農業的な装いを持ち、漁業地域では、漁業的な装いを持ちましたが、基本的にはそこの住民を対象とした行事・祭りが行われたものです。これが意図的に巨大化されて、国家神道にもなりました。一方仏教は、主に血縁、すなわちイエと家という共同体に関わって力を保ってきました。仏壇は多くの場合、信仰の象徴あるいは対象というより、イエと家の共同体の「かなめ」としての象徴と機能を持ったのです。そして儒教の場合は、「お家」、「家元」、それから親子という共同体を強める役割を負っていました。「お家」は、近代では会社・職場に変わって行きました。

4.相対の社会

  神道の汎神論的宗教観と和の概念は、相対的な世界観という背景を持っています。日本人には「絶対」という感覚・概念はありません。もしあるとすれば、「絶対」などというものは、絶対にありえないというのが、絶対に正しいという感覚です。西欧哲学・宗教に見られるユダヤ教的、キリスト教的、イスラム教的な絶対の神、絶対の善、それに対峙する絶対の悪の存在などは、日本には見られないものです。日本にあるのは、そのような超越的存在ではなく、極めて人間的な神々です。事実、日本では簡単に神が人間になり、人間がこれまた神になります。神と人間の間の境界線が無限に薄い社会なのです。

 したがって、日本人の物事の判断には、絶対的なものがなく、ことごとく相対的なのです。大切なのは、何が正しく、何が悪なのかという絶対的な感覚による判断ではなく、何が地域社会に益になるかということです。西欧的な感覚ではどんなに正しいことであっても、自分たちの社会にとって益のない者、地域社会の和を破壊するものであれば、決定的に悪なのです。反対に「絶対」の感覚では悪であっても、「毒をもって毒を制す」ことを善しとする日本では、それが世間にとって益をもたらすものならば決定的に善なのです。この意味において日本人は、たぶん世界のどの民族よりもプラグマティック(実利主義)ではないかと思われます。日本人の実利主義的性格は、何も実学に始まったのではなく、以前から存在していたものが、実学によって強められたに過ぎないのです。
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