ソドムヘブライ語:סדום、英語:Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、旧約聖書の『創世記』19章に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。


ソドムの罪については、古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。他に『エゼキエル書』16章49-50節において、次のように書かれる。「お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。 彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。 」さらに16章53節から55節では、いずれソドムとその娘たちを復帰させることを、神が示唆している。「わたしは、捕らわれた彼女たちを帰らせる。すなわち、捕らわれたソドムとその娘たち、捕らわれたサマリアとその娘たち、および彼女たちと共に捕らわれたお前たちを帰らせる。 お前は自分の不名誉を負わねばならない。また、お前が彼女たちを慰める結果となったすべての行いのゆえに、不名誉を負わねばならない。 お前の妹であるソドムと、その娘たちは元の姿に帰り、サマリアとその娘たちも元の姿に帰り、また、お前と娘たちも元の姿に帰るであろう。」一方、旧約時代からの伝承を受け継いで編纂された新約聖書においても「ユダの手紙」において「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています 」との記載があり、ソドムやゴモラが「不自然な肉の欲」によって罰されたことを古代のユダヤ地方が伝承していたことが確認できる。クルアーンにも町の名前は出てこないが、ほぼ同じ物語が述べられており、預言者ルート(ロト)に従わなかったために、彼に従ったわずかな仲間を除き滅ぼされた。その際、神に滅ぼされた他の民(ノアの洪水で滅んだ民や、アード族サムード族英語版など)とは異なり、ルートの民(すなわちソドムの住民)は、偶像や他の神を崇拝する罪ではなく、男色などの風俗の乱れの罪により滅ぼされた。なお創世記19章と士には多くの共通点のあることが指摘されている。

地理

シディムの谷

ソドムとゴモラの廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられる。これは、「シディムの谷ヘブライ語: עמק השדים‎ 英語: Vale of Siddim)」と、シディムの谷の至る所にある「アスファルト」の穴に関する『創世記』の描写と、死海南部の状況が似通っていることなどから、一般にもそう信じられているが、その一方で、死海南岸付近に点在する遺跡と結びつけようとする研究者も存在する。

バブ・エ・ドゥラーとヌメイラ

ソドムを死海南東部に位置する前期青銅器時代(紀元前3150年-2200年)の都市遺跡バブ・エ・ドゥラーBab edh-Dhra)、ゴモラをこの遺跡に隣接する同時代の都市遺跡ヌメイラNumeira)と考える研究者もいる。いずれも現代のヨルダン・ハシミテ王国カラク県に位置する。なおこの都市遺跡の近隣には、天から降る硫黄と火からロトが逃げ込んだとされるロトの洞窟の遺跡(アラビア語: دير عين 'أباطةUNGEGN式: Deir 'Ain 'Abata デイル・アイン・アバタ)がある。ビザンティン(東ローマ)時代に、ロトの洞窟の伝説地の上に教会が建てられたが、この教会の遺跡が現在残されている。教会の左手には、ロトが逃げ込んだとされる洞窟が実在する。

モアブとアンモン

創世記によると、この洞窟でロトと二人の娘の間に生まれた男の子二人が、それぞれモアブアンモンの民族の祖先となったとされるが、ロトの洞窟を含む前述の遺跡すべてが、かつてモアブと呼ばれた地、現代のカラク県(ヨルダン王国)にあることは、ソドムとゴモラ、ロト、そしてモアブの伝承を考える上で興味深い。上記の考古遺跡から出土した考古資料は、現在ヨルダンのカラク考古博物館(カラク城内)やアンマン国立考古博物館で見ることができる。

セドム

イスラエル南部の干拓地にセドムと表記される都市がある。

ソドムのための執り成し

創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降(くだ)ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦(ゆる)すと言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けたが、19章でヤハウェは結局、ソドムとゴモラを滅ぼした。

創世記19章前半部「ソドムの滅亡」主な内容

ヤハウェの使い(天使)二人がソドムにあるロトの家へ訪れ、ロトは使いたちをもてなした。やがてソドムのたちがロトの家を囲み、「なぶりものにしてやるから」と言って使いたちを出すよう騒いだ。ロトは二人の使いたちを守るべく、かわりに自分の二人の処女の娘達を差し出そうとした。使いたちは、ヤハウェの使いとして町を滅ぼしに来たことをロトに明かし、狼狽するロトにとともに逃げるよう促し、町外れへ連れ出した。ロトがツォアルヘブライ語: צוער‎ 英語: Zoara)という町に避難すると、ヤハウェはソドムとゴモラを滅ぼした。ロトの妻ヘブライ語: אשת לוט‎)は禁を犯して後ろを振り向き、塩の柱(ヘブライ語: נציב מלח‎ ネツィヴ・メラー)に変えられた。ヤハウェはアブラハムに配慮して、ロトを救い出した。

科学的な調査

ニネベの遺跡で見つかったシュメール人の古代の天文学者粘土板に残した円形の星座板には、ふたご座木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されている。 

アランボンド教授の解析により、この天文事象は、惑星の配置が粘土板の星座盤の位置と一致したことから、紀元前3123年6月29日であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。衝突予想地点には、クレーターはなく、この小惑星はアルプス上空で空中爆発したであろうと推定されている。 アランボンド教授はこの日、直径1.25キロほどの小惑星がアルプス上空のコフェルス(エッツタールの一部(de))で空中爆発し、破片が軌道を逆戻りする形で地中海一帯に帯状にばら撒かれたであろうと説明し、これはソドムとゴモラの事象のことであろうという説を述べている。さらに南アルプス氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。


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