聖書にそう書かれていますか
あなたは曲解していませんか
出処:http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/061seishoni.htm


 聖書は、世界のベストセラーです。
 聖書は他のどんな本よりも、世界中の多くの人に多大な影響を及ぼしてきました。
 しかし聖書が読まれ、聖書の思想や教えが人々に語り継がれていった過程で、その内容が、必ずしも正しく言い伝えられてきたとは限りません。
 なかには、聖書に対する曲解のために、聖書にない言説であるにもかかわらず、聖書に由来していると、誤って言い伝えられてきたものもあります。
 それらの言説には、例えばどのようなものがあるでしょうか。

聖書にはこう書かれていますか?
「太陽は地球のまわりを回っている」

 

 聖書は、「地球が止まっていて、太陽が地球のまわりを回っている」という天動説を唱えていると、誤って理解している人は少なくありません。しかし実際は、聖書の中に、天動説的な言葉は一切ありません。
 聖書の創世記一章の記述は、主に地球に視点を置いて書かれていますが、それは聖書が、宇宙の中心は地球であると述べているということではありません。
 私たちも日常生活の中で、
 「太陽が東から上り、西に沈んだ」
 というような表現をします。だからと言って私たちは、もちろん地球が止まっていて、太陽がそのまわりを回っているとは考えていません。
 私たちがそのような表現をするのは、私たちの生活の座が地球にあり、地球という見地から物事を表現するからです。同様に聖書にも、
 「日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように」(詩篇一一三・三)
 というような言葉がありますが、これも地球という見地から、物事を表現しているからにほかなりません。
 聖書の中には、"地球は止まっていて太陽がそのまわりをまわっている"と主張する天動説的な言葉は、どこにもないのです。
 また、そのことに加え、地動説を最初に唱え最初に科学的に裏づけた人々が、聖書を信じるクリスチャンの科学者たちであったという事実に、私たちは目を向けるべきです。
 天動説は中世においては、権威ある立派な科学上の学説として見られていました。それは二世紀の天文学者プトレマイオスによって体系化されて以来、約一四〇〇年もの間、人々を支配していました。
 彼の天動説は、非常に精巧な理論で、長い間正統的な理論として受け入れられていました。
 しかしこの複雑な理論では、観測される運動を説明するのに八〇もの「周天円」を必要とし、それでも完全には説明できないことに着目したのが、コペルニクスでした。
 フラウエンブルク聖堂の司教でありクリスチャンであったコペルニクスは、聖堂の天文台で観測を続けました。彼は、
 「すべてを完全になしうる神が、そんな不細工な宇宙を造るなどとは考えられなかった」(岩波新書『近代科学の歩み」二九頁)
 のです。こうして、天動説の間違いを知った彼は、地動説を提唱し、その考えは後に、ガリレイやケプラーへ引き継がれました。
 ガリレイが望遠鏡を発明して、地動説の正しさを裏付けたとき、当時のカトリック教会が彼を迫害したことは有名です。
 しかしそのために、聖書は天動説であると思っている人は多いようですが、これは当時の教会がプトレマイオスの天動説を鵜呑みにしていたからで、天動説は決して聖書の主張していることではありませんでした。
 ですからガリレイ自身も、決して聖書の教えそれ自体に反対したわけではありません。事実彼は、大公妃クリスティナと友人カステリ宛てに、自分の地動説が聖書の教えに矛盾しないことを説明する手紙を送っています。
 また地動説に基づき、惑星公転の法則を発見したケプラーは、その法則を発見したとき、創造者の偉大さに触れた思いがして、感きわまり、ひざまずいて神を讃えたと伝えられています。
 このように地動説は、聖書を信じるクリスチャンたちの手によって確立されたのです。
 彼らは、自分たちの地動説が聖書に矛盾しないと考えました。むしろ地動説は、様々の科学的証拠、および聖書の記述の双方に合致するものであることを、知っていたのです。
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