キリストの状態 

 

序論


  キリストのみわざは、彼の2つの状態、すなわち、彼の謙碑と高挙の状態である。ベルコフは、状態を、「生涯における人の立場(position)あるいは状態(status),


特に、人が律法との関係に立つところの法的関係(the forensic relationship)と定義している。他方、条件(a condition)は、人の存在の様式(the mode of existence)であり、特に、人生の環境によって決定される」(Berkhof,op.cit.p.331)。」 


 謙碑の状態は、受肉、受難(sufferings)、死、葬りを包含する。高挙は、復活、昇天、神の右に座すこと、わたしたちの主の再臨である。わたしたちは、キリストの人格とみわざの両方の下に、彼の謙碑の幾つかの局面をすでに考えた。わたしたちは、キリストのこれらの段階の各々の下に以前にカバーされなかったところの領域を吟味しよう。


 

1. キリストの謙卑


 


A.  受肉


 


福音の最も驚くべき事実の一つは、受肉である。すなわち、神御自身が人間性(human nature)と取ったことである。ホッジ(Hodge)は、それをこのように描く。「神の御子の受肉、御自身との人格的で永続的な結合 御自身の性質よりもより低い性質を無限に取るために、身をかがめることは、言い表すことができない謙孫の行為であり、それゆえ、その中に彼が身を低くしたところの特別なことで適切に包含されているのである」(op.cit.p.Ⅱ.p.611)。


ルター派の神学者たちは、受肉自体を謙碑の部分として包含することを望まない。何故なら、それは彼の現在の天的な状態においても続く(it continues in his present heavenly state)からである。しかしながら、フィリピの信徒への手紙2:7は、彼が御自身を人間となることにおいて虚しくしたという事実を語る。彼の人間性は天に高挙されたことは事実であるが、しかし、創造者(the Creator)が被造物の性質を取ることは、必然的に謙孫(condescension)あるいは謙卑(humiliation)の行為なのである。


 わたしたちがすでに見てきたように、旧約聖書は、神的でもあり人間的でもあるところのメシア(the Messiah)を予告していた。それは、このことが処女降誕(イザヤ7:14)を通して起こるであろうことを予告していたのである。


 神(the Godhead)の人格の一つの受肉についてのまさに理念は、幾つかの異なった難しい疑問を生じさせる。三位一体の正統教理を受けれ、キリストが本質的に神的であるという理念をもって、如何にして、人間性を取ることがこの神的人格に影響を与えるのか。あるいは、他の仕方で言えば、キリストの受肉と謙卑は何にあるのか。人間性を取ることは、彼の神性(the Godhead)に影響を与えるのか。神性の変容なしに、如何にして、神性と人間性の結合があり得るのか。受肉は、神的属性の所有を妨げないのか。神としての彼に属するところの大権と働きの停止はあるのか。これらの疑問は、教会の前に、最初からあったのである。これらは、教会が数世紀を通して葛藤したところの疑問であった。解決への企ては、ときどきは、異端的な逸脱に結果したのである。


 カルケドンに続く15世紀の間中、ケノーシス(神性放棄論)は、教会において定式化されなかった(not formulated)ことは、顕著である。ある神学者たちが、ケノーシス的な理念(the kenotic idea)に導くかもしれない用語を使用したことも本当であるが、しかし、受肉を説明するために、ケノーシス理念(the kenotic idea)をその期間に定式化した人はいなかったのである。その理由は明らかである。カトリック正統派は、彼の神的性質と神の内の関係(intra-divine relations)、属性、大権、働きにおけるロゴス(the Logos)の不変性(the immutability)を出発点として取ったからである。彼が僕のかたち(the form of servant)を取ったとき、それは神のかたち(the form of God)の減少(substraction)、停止(suspention)、放棄(surrender)がないことを一貫して主張したのである。彼は人間とされたが、人間性を神性に追加したことを包含する変化であり、如何なる方法でも彼の神性の完全な状態(the integrity)の減少(a reduction)ではなかった。これは、19世紀の第2半期までの正統派の立場であった。


 


1.19世紀の神性放棄論(kenosis theory)


 


 19世紀をもって、わたしたちは、受肉の扱いにおいて、新しい局面に入る。神性放棄論(the kenotic principle)は、神の御子が、人間になることにおいて、御自身から、御自身の神的属性、大権、働きをはぎとり、あるいは、彼の神の内の関係(his intra-divine relations)を停止し、あるいは、彼の神の内の関係(his intra-divine relations)の幾つかの局面を停止したとする。すなわち、ある程度まで、神的属性の剝脱(a denudation)があり、また、その結果、神的大権と働きの停止がある。彼は、一時、彼が以前にそうであったものを止め、彼が以前に所有していたところのあるものの所有を止め、彼が以前に行使していた行使を止めたのである。こうして、神性(the Deity)に関するケノーシス(:kenosis:虚しくする意:無にする意:emptying)の鍵の理念が、受肉において、廃棄の理念(abandonment)、自己剝脱(self-divestiture)、自己限定(self-restriction)となったのである。


 


a.  最も初期の形態


 


(1)エルランゲンのトマジスウス(Thomasius of Erlangen)は、「キリストの人格とみわざ」(The Person and the Work of Christ:1852-1861)という著作を書いた。その中で、彼は、キリストは、受肉において捨てたところの偏在、全能、全知などの相対的なあるいは形而上学的な属性を所有していたという見解を表明した。愛、真理、聖さなどは、奪うことのできないものであり、また、こうして、捨てることはできなかった。


 


(2)A.M.フェアバイルン(A.M.Fairbairn)は、「キリストと近代の神学」において、トマジウスと本質的に同じことを主張した。


 


b.W.F.ゲスとゴデー(W.F.Gess and Godet)


 


 これらの人々は、前の人たちよりも、もっと先に行った。彼らは、ケノーシス(the kenosis:神性放棄)は、相対的な属性と同様に絶対的な属性にも適用した。キリストは、彼の永遠の自己意識(his eternal self-consciousness)を消し去り、その結果、父から子への永遠の命の流入の停止、永遠に生まれることの停止があった。


 


b.  エルランゲンのエブラルト、デンマークのマルテンセン、ウィリアム・ニュートン、アメリカのコルゲート神学校のリベラル・バプテスト


 


これらの人々はさらに先に行った。彼らは、ケノーシス(the kenosis:神性放棄論)を、神的属性を捨てることとしては重く考えず。むしろ、神的属性の有限性への順応とした(an adaptation of the divine attributes to finitude)。形而上学的な属性が順応されたかたちにおいて(in an adapted form)維持されたのである。こうして、真に変容(really a metamorphosis)、変化(a transmutation)があり、その結果、神的属性が人間的属性のかたちの下に現れるのである。わたしたちは、キリストにおいて、裸の神(the naked God)を見るのであるが、しかし、神の充満は人間性の輪において形成される。神的属性は、人間の性質に具現されたのである。偏在の代わりに、わたしたちは、彼の祝福された臨在を見るのである。神的属性は、こうして、最早、神的属性ではないのである。


 


c.  イングランドのチャールズ・ゴロ(Charles Gore of England)


 


 これは、キリストは、人間の僕的な生涯の永続的な特色を取るために、御自身から神性を虚しくして、故意に、御自分の神的属性を否定した。彼は、神の御子であることに留まったが、彼は、人間的なものを取るために、ある神的大権を捨てたのである。


 


2. 聖書的教え


 


 ケノーシス理論(the kenotic theory:神性放棄論)についての古典的個所は、フィリピ2:6-8である。その主題についてお聖書的教えを決定するために、この章句の注意深い研究がされねばならない。


 


神のかたち(form of God:μορφηθεου:morphetheou:モルヘー セウウ)


 


 かたち(μορφηθεου:morphetheou:モルヘー セウウ)という用語は、あるものの本質的なかたちを留めていること(the abiding essential form of something)を示すところのギリシャ語の哲学の用語である。すなわち、それは、ものがものでなくなることなしに、ものの特別な特徴に言及する。それは、それであるところのものたらしめるそれらの特徴的資質の総体(the sum)である。それは、外側の外見に如何なる方法でも言及しない。それは、これとは関係がないが、しかし、むしろ、ものの特別な性質と関係する。こうして、キリストが、神のかたちと言われるとき、彼は、神を特に神たらしめているところの特徴ある資質の総体を所有していると言われる。パウロが、キリストがこれを所有していることを現在分詞で言及していることに注目することは興味深い。このことは、彼はこのかたちの本質に原初的に存在していることだけを意味するのではなく、かれは、その中に継続していることをも意味するのである。神のかたちにおける存在の状態(μορφη θεου:morphetheou huparchon:モルヘー セウウ ヒュパルコウン)、あるいは、条件は主動詞によって示されている行為によって終わっていることの示唆がないのである。現在分詞は、「神のかたちにある、また、あり続けるお方」を示唆している。このことだけが、その章句全体のケノーシス的解釈(the kenotic interpretation)に反対する強い前提を造り出しているのである。


 


b.「神と等しい者であること」


(being on on equally with God:το ειναι ίνα θεω


:to einai isa theo:ト エイナイ ヒナ セオウ)


 


 疑問は、この節が、前の表現の「神のかたち」(μορφη θεου:morphetheou:モルヘー セウウ)とその章句の主動詞に対して持つまさに関係である。ケノーシス理論(the kenotic theory:神性放棄論)への最も有能な反対者たちのある者たちは、神と等しいことのこの状態は、神の本質のかたち(the form-essence of God)であることとは異なっていることは、また、それは、彼が捨てたのは、尊厳と栄光における等しいことであることを主張した。E.H.ギフォード(E.H.Gifford)は、この節は、彼の神的尊厳に特有で適切な栄光と誉れの環境と状態と論じ、また、受肉の間、彼がそのような栄光と誉れの条件と環境を捨てたことを論じた。J.B.ライトフット(J.B.Lightfoot)は、神と等しいことは、尊厳のしるし(the insignia)であり、神の大権であり、それを御子は一時(for a time)捨てたのであると主張した(J.B.Lightfoot,Saint Paul’s Epistel to the Philipiians:Grand Rapids,


Zondervan Publishing House,1935,reprinted from London:Macmillan and Company,1913、p.112)。


 これらの両方の解釈者たちは、神と等しいことは、執拗に主張されるべき戦利品(a prize)ではなく、彼の謙卑の期間の間、彼が望んで辞めるところのものであると主張した。


 この立場に対して、神と等しいことは、これらの人々が考えた以上に神のかたちに、はるかにより重要に、また、分離できなく関係していることが断言されねばならない。それは、彼が神のかたちであることにおいて、彼に不可避的に属しているところの身分(the station)であり、地位(status)なのである。それゆえ、思想は、キリストは、彼は神のかたちであり、また、あり続けるが、そして、それゆえ、神と等しいことを奪うこと(robbery)あるいは掴むことが必要な戦利品(a prize)と考えずに、御自身を名声のない者(no reputation)としたのである。すなわち、神と等しくあることは、彼が神のかたちにゆえに確実なまた変わらないものとして考えられたものであったのである。あるいは、再び、彼が神と等しいことは、生来によって、変えられない権利と不変の所有によって、また、こうして、彼はそれを不安定な所有のもの(something of precarious tenure)と考えなかったのである。それは、それゆえ、最大の関心事(preoccupation)と関心についての彼の唯一の目的ではなかったのである。代わりに、彼は自分自身を考えなかったのである。何故なら、このことは、地位(a status)としては変りなく安全であったからである。彼が神のかたちであることの理由によって、彼は、それについて不安にいらいらする(fretful)必要がなかったのである。彼は、それを奪うこと(robbery)、あるいは、あたかもそれが不安定な性質であるかのように、しっかりつかまれることが必要な称賛(a prize)と考える必要がなかったのである。


 


c.「自分を無にして」(made himself of no reputation)(KJV)


(èαυτον εκένωσεν:heauton ekenosen:ヘアオウトン エケノウセン)


 


 κενόω:kenoo:ケンノウという動詞の文字通りの訳は、「無にされる」(emptied)である。一度、わたしたちがこの文字通りの訳を許すならば、そのとき、わたしたちは、何が彼を無にしたのかの疑問に直面する。κενόω:kenoo:ケノノウという動詞の新約聖書の優位は、文字通りの解釈は好ましくないものであることを示す。新約聖書の使用法は、キング・ジェームス・バージョン(King James Version)が「御自身を無にされる」(made himself of no reputation)に見い出されるように、その言葉の比喩的使用法を指し示す。ウォフィールド(Warfield)は、「キリストの人格とみわざ」(The Person and the Work of Christ)において、文字通りの解釈に反対して、最も効果的に整理された論拠を持つ。


 


(1)κενόω:kenoo:ケンノウという動詞は、新約聖書の他の個所で使われるときは、比喩的にみの意味を担う。ローマ4:14で「律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり(κεκένωται:kekenotai:ケケノウタイ)、約束は廃止されたことになります」。コリント1:17で「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものに(κενωθη


:kenothe:ケノウセイ)なってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」。コリント一9:15で「だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない(κενωσει:kenosei:ケノウセイ)」。コリント二9:3で「わたしが兄弟たちを派遣するのは、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りが、この点で無意味なものにならないためです(κενωθη:kenothe:ケノウセイ」。κέος:kenos:ケノスという形容詞形は、18回出てくるが、その12回あるいは13回は、比喩的な意味で使われている。κεως:kenos:ケノスという副詞は、ヤコブ4:5において1回使われている。「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ」。こうして、この言葉とその同族語の使用法の23回から、圧倒的な使用法は比喩的意味である。1回だけ形容詞的意味において、それは数回、「無にする」(empty)の文字通りの意味において使われている。新約聖書の優位な使用において、その言葉の文字通りの訳ではないことの採用がフリピ2章において好まれている。これは強制されている(enforced)。それが、文字通りの訳が起こるところの神学的な困難なしの訳に通じることが見い出される。比喩的訳が完全にた易い訳である。何が彼自身を無にしたのかに関して疑問が生じない。


すぐに続く動詞法の節は、不定過去分詞の両方で、如何にして、彼が無にされたかを定義し、「僕のかたちを取り、人間と同じ様になりました」(taking the form of a servant,being made in the likeness of men)(μορφην δούλου λαβων,έν όμοιώματι ανθρώπων γεγομενος:moorhen doulou labon,en homoiomati anthropon gegomenos)。主動詞へのこれら2つの節の密接な結合は、剥奪(divestiture)についての理念、あるいは、自己を無にすること(self-emptying)を語っているのではなく、むしろ、追加で語っている。それは、取ること(the assumption)、あるいは、僕の存在のかたちを神の存在のかたちに追加すること、人間と同じ様にされることを、彼を無にするところの神と等しいことへの追加なのである。このことは、それは追加によること、また、彼が「無にすること」(èαυτον εκένωσεν:heauton ekenosin:ヘアオウトン エケノウシン)は、生来によることではないのである。


 


(3)その句における「自分を」(èαυτον:heauton:ヘアウトン)の立場は、強調の立場である。それは、「自分自身」(himself)に注目させる。先行する節と「無にした」(emptied)と訳された動詞の間に差し込まれた彼自身を強調的に置くことは、わたしたちが、わたしたちの主が御自身を無にしたところのそれを探して後方に上ることができないところの上に障壁を建てるのである。わたしたちは、彼が御自身から何かを無にするものとして語るかもしれないが、しかし、御自身から御自身を無にするのではない。もし、わたしたちが、比喩的な意味において動詞を理解しようとするならば、他方、文字通りの言語を使って、そのとき、わたしたちは、彼は御自身を御自身から無にしたことを語ることができる。すなわち、彼は、御自身を考慮しなかったのである。このことは、その章句と一致する。他方、わたしたち自身を見ることをしないようにわたしたちを招き、わたしたち自身を最大の関心事として考えること(preoccupation)の独占的な対象にしないで、御自身を無にしたところのキリストの模範に従うように、招くのである。彼は、自己をあるいは御自身のものを御自分の最大の関心事の対象(the absorbing object)にはしなかったのである。彼は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのである。彼は、神と等しいことを、貪欲な目をもって、すべての関心と心配を要求することとして見なかったのである。彼は、彼自身の地位を思いの独占的な主題とせず、かえって、自己の代わりに、他の人々のニーズを考えたのである。わたしたちは、文字通りの意味において、御自身を無にすることを語ることはできない。それは、御自身について非人格化すること(depersonalization)を意味するであろうが、しかし、比喩的な意味が意味を与えるのであり、彼は御自身を考えなかったのである。


(4)比喩的な訳が文脈の思想に一致する。パウロは、フィリピの人々に利己的でないこと(4節)を促し、また、このことを強調するために、キリストの至高の模範を使う。捨てることと剥奪することで考察することは保証されない。「無にすること」(èαυτον εκένωσεν:heauton ekenosin:ヘアオウトン エケノウシン)の思想は、次のように例証される。イエスは、神と等しくあることに集中しなかったし、あるいは、切望しなかった。彼は、そのように嫉み深く(jealously)御自分に集中しなかったので、その結果、彼は、僕として最も謙孫な奉仕をすることを望まなかったのである。たとえば、2人の人を考えよ。両者とも、高くて尊厳を添えられ、近づきがたい立場を持っていて、そのうちの1人は、自分の立場にそのように没頭していて、他の人々のために、謙孫でつまらない奉仕のかたちに身をかがめることは、自分に地位と性格に一致しないと考えていた。他の者は、性格において、憐み深くて同情的であったので、その結果、彼は、最もいやでつまらない任務を果たすために身をかがめるために、備えていたのである。後者は、自分の尊厳を添えられた立場におけるそのような過大評価された業績を重んじないが(not set such an overrated  store in his dignified position)、しかし、彼は、最も謙孫な奉仕を果たすことができるし、また、果たすであろう。彼は自分の地位(his station)を考えないで、他の人々のニードを考える。彼が、他の人々のために、この任務を行うとき、この人は彼の尊厳を添えられた立場を捨てるであろうか。もっと安全に、彼が自分の立場にいて、また、彼の道徳的な性格において、もっと非の打ちどころのなく、もっと自由に、彼は最も謙孫な奉仕を果たすかもしれない。こうして、それがキリストの場合であった。彼は、彼が、御自身を考えることがない謙孫を控えるところのそのような集中する嫉み深さをもって(with such absorbing jealousy that he refrained from humiliation)、神と等しいことを自分の条件と考えなかったのである。こうして、「無にして」(empty)としての言葉の文字通りの訳は、比喩的な「無にした」(made himself of no reputation)と同様に、その章句の意味を伝えないのでる。


 


d.  7節における分詞の力:「取り」(λαβων:labon:taking)、「なられました」(γεγομενος:genomenes:and being made)


 


 これらの分詞は、「無にして」(εκενσεν:ekenesen:エケネセン)のすぐ後に来ている。それらの正確な力は何か。不定過去(aorist)の3つの種類がある。先行する行為、同一的なあるいは同時に起こる行為、結果的な行為である。疑問は、その不定過去が、主動詞に対して先行的行為か、同時的行為か、結果的行為かである。わたしたちは、各々の可能的な解釈を吟味しよう。


 


(1) 結果的行為


 


 これらの分詞は、それは、主動詞の行為の後に生じているが、結果的行為に言及し得るか。これは、表わされている概念に本来的にある考察について除外される。分詞は謙孫(condescension)のそのような行為を描き、また、こうして、主動詞に続いて起こらないのである。


(2) 先行的行為


 


 分詞の行為を主動詞に先行するとして考えることは、よい意味になるであろう。「僕のかたちを取り、人間の様にようになり、御自身を無にしました」(Having taken the form of a servant and having been made in the likeness of men he made no account of himself)。すなわち、受肉し、僕のかたちの存在を採り、彼はそのような謙孫の意味を遂行した。彼は御自身を無にした。その出来事において、主動詞は、彼が受肉の状態において行った、また、受肉を前提したところのころのことへの言及を持つ。もし、これが解釈として採られるならば、ケノーシス論(神性放棄論:the kenotic theory)に反対する最強の証拠を提供するであろう。何故なら、主動詞が受肉の結果に言及していて、受肉それ自身の行為と関わっているところのことに言及している。ケノーシス(Kenosis)は、そのとき、受肉の行為への結果としての行為にのみ適用するであろう。


 


(3) 同時的行為あるいは同一的行為


(coincident action or identical action)


 


 行意のこの理解についての論拠は、次の節に見い出されるところの平行主義(the parallelism)に見い出される。「彼は死に至るまで従順であった」(èταπείνωσεν èαυτον γεγομενος ύπήκοος μέχρι θανατου:etapeinosen heauton genomenos upekoos mechri thanatou:He humbled himself becoming obedient even unto death)。死に至るまでの従順は、主動詞に先行するものと見なされているが、しかし、むしろ、自己謙卑(self-humiliation)として見なされ得る。自己謙卑は、死に至るまでの従順にある。こうして、少なくともクライマックス的に、死に至るまでの従順において、自己謙卑が定義される。このことは、単に同時的行為ではなく、同一的行為である。一つが他にあり、また、他について定義的である。彼は従順によって自己謙孫をした。それは、彼の死においてクライマックスに達した。8節のこの平行主義の見解において、わたしたちは、7節を同じ方法で解釈することを期待する。すなわち、彼は、御自身に僕のかたちを取り、人間の様にされることと無にされることを考えなかった。換言すれば、主動詞は、「僕のかたちを取り」(taking the form of a servant)において定義される。それらは動詞法の節(modal clauses)であり、それはケノーシス(the Kenosis:放棄)を定義する。これは、7節と8節の類比によって支持されるだけでなく、その個所の全構文法(the whole syntax)と思想とも徹底して一致するのである。


 この個所で語られているケノーシス(the Kenosis:放棄)は、放棄(abandonment)によってではなく、あるいは、何かの剥奪(divestiture of anything)によって、理解されてはいない。彼は、形而上学的なあるいは倫理的な属性あるいは働きを捨てはしなかったし、また、彼は御自分の神的働きを人間的な働きに適用しもしなかったし、また、彼は、存在の神的様式の条件や境遇を捨てることもしなかった。むしろ、ケノーシス(the Kenosis:放棄)は、新しい本質のかたち、人間性の追加、神と彼が神と等しいことへの僕のかたちの存在の採用(the assumption of new form essence) において理解されるべきである。この章句のケノーシス(the Kenosis:放棄)は、存在の新しい様式に神の御子が入ること、先行的には彼のものではなかった新しい存在形式として理解されるべきである。受肉に先立ち、彼は唯一つの存在のかたち、存在の唯一の様式を持っていた。すなわち、神的なの(the divine)である。受肉の結果、彼は2つのかたち、存在の2つの様式を持つのである。この状態は、人間的な僕のかたちの追加の事実から生じた。人間のかたちと僕の性質は、神的属性を所有しなかったし、行使もしなかった。それを取ることは、これは人間性のリアリテーを否定するケースではない。人間性は有限であり、また、有限であり続ける。こうして、彼は人間性における変化を経験し、また、この性質における人間的限界に服したのである。彼は真に僕のかたちを取ったので、彼は真に僕になり、彼は御自身の御自身に服させ、また、謙孫、貧困、悲惨、恥の状態に父により服従させられたのである。それらは、そのようなものとして受肉に本質的ではなかったが、彼が果たすために来た特別な任務には本質的であったのである。謙孫の特殊な状態は、彼が果たすべき特別な任務から生じるが、彼の神的尊厳と威厳の特殊な栄光と威厳においては、現れ得なかった。彼にとって真の謙孫があった。こうして、彼の神的栄光は覆われたのである。彼は、すべての場合において、彼が、第2の来臨において与えるであろうそのような圧倒的な栄光と誉れの証明を与えることができたが、しかし、彼の任務の遂行のために必要な状態は、神的大権のこの証明を禁止したのである。彼は謙孫し、また、死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であったのである。 


 わたしたちは、その事柄の他の面をも忘れてはならない。彼の人間に関して、彼は、御自身を恥と貧困、苦しみと誉れの状態に御自身を服させたが、それは、他の存在のかたちにおいて、変わらずに彼のものであったし、彼は、神的威厳に適切なその大権と働き、境遇と状態を享受しなかったし、また、所有しなかったということが少しも続きはしないのである。存在の一つの様式における貧困と人間的な苦しみの忍耐は、神的かたちと存在の様式から、その性質に属している栄光の省略のない富を排除しないのである。コリント二8:9は、彼は貧しくなられたとき、豊かであることを止めたことを暗示してはいない。受肉を支配する同じ原理がここにも適用する。彼は、彼がそれであったところのものであることを止めなかった。2つの全体的で完全な性質が一つの分離できない人格にあったのである(注:この部分の材料は、ジョン・マーレー教授によって教えられたキリストの人格とみわざについてのコースのクラスのノートから多く生じている)。


 


B.  僕としてのキリスト


 


わたしたちは、キリストのみわざの下において、如何に彼の救いのみわざが従順のみわざであったかについて、すでに吟味してきた。わたしたちは、僕としてのメシアに関するイザヤに預言に注目した(イザヤ42:1、19、49:6、50:10、52:13-53:12)。イエスは、「正しいことを行う」(to fulfill the righteousness)べき従順の行為として洗礼者ヨハネに服した(マタイ3:15)。イエスは、父の御心を行うことによって御自分奉仕についても語った。「イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(ヨハネ4:34)。もちろん、これが、僕である理念の本質である。特に、御自分の死を父への従順において行われたものと見た。「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」(ヨハネ10:17-18)。これらの概念をキリストのみわざの下に扱ったので、これが、キリストの謙孫の状態の部分であることに注目すること以上に他に、ここでそれらを繰り返す必要はない。


 


C.  キリストの苦しみと死


 


ウェストミンスター大教理問答は、キリストの死における謙卑について描く。「キリストは、その死において、ユダに裏切られ・弟子たちに捨てられ・世から軽蔑され・ピラトによって罪に定められ・迫害者たちに虐待された後、また死の恐れや暗黒の力と戦い・神のみ怒りの重さを感じ耐えた後、罪のための供え物として、十字架の苦しい・恥ずかしい・のろわれた死を耐え忍んでその命を捨てたことによって、ご自身を低くされた」。


 


1. 自発的苦しみ


 


 わたしたちが、彼の苦しみと死を考察するとき、わたしたちは、それは思いがけずに来た、あるいは、彼はそれに望まず入ったと考えるべきではない。彼は言った。「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」(ルカ12:50)。エルサレムへの最後の旅を、彼は公然と行った。彼は、勝利において、ろばに乗り、エルサレムへ公的に入城した。それは、彼の敵たちの敵意を起こすであろうと、人は思ったであろう。彼が自発的に苦しんだことは、ゲツセマネにおける彼の行動において見られる。「イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、『だれを捜しているのか』と言われた。彼らが『ナザレのイエスだ』と答えると、イエスは『わたしである』と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが『わたしである』と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた」(ヨハネ18:4-6)。彼が支配下にあったことは明白であったし、また、もし、彼が自発的に御自分を彼らに渡さなければ、兵士たちは彼に対して何もできなかった。このことを、彼が行ったのである。


 


2. ユダによる裏切り


 


 彼が、彼自身のものたちの一人によって裏切られるという事実は、彼の苦しみに与えられた一人の奴隷の値段に値するものであった。それは、友人のふりをしたところの一人によって与えられた傷であった。


 


3. 弟子たちによる裏切り


 


 ユダがイエスを裏切っただけでなく、一度、彼が捕えられると、弟子たちすべてが彼を見捨てて逃げたのである(マタイ26:56)。このことは、彼がそれをすべてひとりで担うために、彼の苦しみにつけ加えられた。弟子たちによって捨てられることの一部は、ペトロの否定であった。彼は、呪いと否定をもってイエスを叱責した。


 


4. 世は彼を捨てた


 


 彼は、あたかも、彼は世よりも劣るかのように世の嘲りの的であった。詩編22:6-7は言う。「助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥」。彼は、彼の奉仕を貫いてこの非難と拒否を受けた。それは、彼を捕えた者たちが彼を嘲ったとき、彼に紫の服を着せて、彼の裁判と死においてクライマックスに来る。拒否の最後の調べは、イエスの代わりにバラバが釈放されることを求める叫びであった。ペトロは言った。「聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです」(使徒言行録3:14)。


 


5. ポンテオ・ピラトによって罪に定められ


 


 ポンテオ・ピラトによる定罪は、彼の苦しみの特別な段階を記す。ピラトは、彼自身の確信に反して行動した。彼は、祭司長たちがねたみからイエスを渡したことを知っていた。彼は、罪の彼の手を洗おうとし、また、このイエスという人物の血にいて自分は罪がないことを宣言した(マタイ27:24)。彼は、純粋に自分本位から行動した。もし、彼がイエスを罪に定めないならば、彼はカイザルの友人ではないというユダヤ人たちの叫びに耳を貸したのである。このすべてのことは、わたしたちの主の非難と苦しみを加えた。主は、こうして、世の不信仰の代表によって、不当にも、死に定罪されたのである。


 


 


6. 迫害者たちによって虐待され


 


 わたしたちの救い主は、彼の迫害者たちによって、鞭で打たれ、拳で殴られ、彼らの手の平で叩かれ、彼の頭を刺すところの茨の冠をかぶせられた。彼は、疲労困憊するまで、自分自身の十字架を担わねばならなかった。わたしたちは、御自分が十字架につけられることにまさに先行する時間を経験したところの迫害の結果のこのことを見るのである。「彼が十字架につけられる直前に、邪悪な人々から、反逆者のように、すべての人間性をはく奪され、これらのことを、彼は耐え忍んだのである」(Thomas Ridgley,op.cit.p.305)。


 


 


 


7. 神のみ怒りの重さを負った


 


 彼の死は、罪人の誰の死よりも、ある事柄において忌むべきものであった。すべての罪人は、自分たちの罪に対するまさに報酬としての死である。イエスは、聖く、義しく、汚れなく、そして、とはいえ、わたしたちの罪が彼に上に置かれ、彼は、価しないところのものに苦しまねばならなかった。大教理問答は、彼の苦しみにおいて包含されている暗黒の力について語る。


 「暗闇の力」(the powers of darkness)が、目の前に、罪にふさわしい神の怒りの恐怖を置く大きな力を持っていることは、よりあり得る。そして、それに服する者たち以上に、それをよりよく行い得る者は誰もいないのである(which none are better able to do,than they who are the subjects thereof)。それゆえ、彼が死と暗黒の力の恐怖と戦うことが、この答えにおいて考察されるのである。悪魔(the devil)は、ときどき、『死の力を持つ者』(the power of death)と言われている。すなわち、もし、神の御霊が彼の慰めの臨在をもって入ってきてくれないならば、サタン(Satan)は、恐怖で魂を満たすことができるところのことをする(Satan be suffered to do what he can do to fill the soul with horror)。彼は、確かに、死を、法外に、恐ろしくする力を持っていた。彼のここでの意図は、わたしたちの救い主に関して、彼を自暴自棄に追いやるか、彼を世にやって来たところのことを彼が遂行することを後悔させるかなのである」(Idem.)。


 


8. 苦しい・恥ずかしい十字架の死


 


 十字架につけられることは、それは野蛮なことであったが、ローマの死刑執行で、人間によって考え出された最も苦しい死であった。パウロは、彼が「十字架の死に至るまで」と語る(フィリピ2:8)。ときどき、ローマ人たちは、人を十字架上に固定するためにロープを用いた。イエスの場合には、彼らは彼を十字架で釘づけにした。わたしたちは、これがイエスの場合であったことを、後に、イエスがトマスに釘の跡を示したことによって、知るのである(ヨハネ20:27)。わたしたちの救い主は、彼の痛みを消したであろうところの乳香を混ぜたぶどう酒の助けさえもなしで、この全てを担ったのである。


 十字架につけられることは、「恥ずべき」(shameful)と呼ばれた。このことは、部分的には、十字架につけられた者は裸にされ、十字架に架けられたという事実にもよる。より重要なことは、わたしたちの主にとって、十字架につけられることは、最も下劣な犯罪を罪を犯した者に対してのみ、また、奴隷に対してのみ課せられたのである。


 十字架の死は、呪いの死として示された。パウロは、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです」(ガラテヤ3:13、申命記21:22―23)と書かれているようにキリストは、わたしたちのために呪いとなられた事実を語る。人を木にかけることに含まれる理念は、神と人の両者から捨てられたことの理念である。それは、そのように木にかけられた個人に対する神の裁きのしるしであった。わたしたちの主は、神と人からのどちらからもそのような扱いに如何なる仕方でも価しなかったのであるが、聖書が言うように「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(コリント二5:21)のである。すなわち、わたしたちの罪が彼に転嫁されたのであり、また、それゆえ、彼は、わたしたちにふさわしい十分な怒りと呪いの下に倒れたのである。


 彼が、わたしたちの悲しみを担い、また、御自身の魂をわたしたちの罪のための犠牲として献げた後で、それから、彼は、御自身がみわざを終わっことを宣言するために、暗黒から出て来た(came from the darkness)。彼は、実際に、御自身の命を捨てたのである。彼は単純に「わたしの霊を御手にゆだねます」と宣言した。彼は霊をゆだねたのである。こうして、彼は、死そのものの代価を支払い、文字通り罪の報酬を満たしたのである。


 


9. 罪のための供え物


 


 彼が十字架上において行ったところのことを適切に理解するために、わたしたちは、聖書に戻らなければならない。彼において、罪を犯した一人の人の大きな実例を見る人々がいたし、また、それが罪のための犠牲であることを否定する人々もいた。わたしたちは、キリストのみわざを「第7章:キリストのみわざ」(the Work of Christ)の下に犠牲としてすでに扱ったので、この時点においてはこれを繰り返さない。


 


B.葬り


 


 イエスの葬りは、謙卑の一部であった。葬り謙卑が終わるところの死から復活するまでであった。わたしたちは知っている 彼の魂あるいは霊は、彼の死のとき、主と共にあることに行くが、しかし、彼の体は墓に葬られた。こうして、彼は、体と魂の分離の間接的な状態の謙卑に服した。彼が死の力の下にいる限り、この状態は続いたのである。


 葬りは、彼が真に死んだことを証明するために仕える。彼が死んでそのように休息したことを、聖書はそれについて疑いを残していない。彼は、頭を垂れ、霊を委ねたと言われている(ヨハネ19:39)。彼の敵たちは、彼の死を確信し、その結果、彼らは死に至らせるために彼の足を折ることをしなかった。もし、彼がすでに死んでいなければ、脇腹を槍で刺したことは、彼を殺したのである。ピラトは、彼の死を確認した。彼は「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた」(マルコ15:44)。


 


E.陰府くだり(the desent to hell)


 


  キリストは、彼の死と葬りの後、どこに行ったのか。使徒信条は、彼の謙卑のこの段階を描くのに、「陰府にくだり」(he descented into the hell)の句を用いている。この叙述は、多くの論争を引き起こした叙述である。ある教会は、今日、使徒信条を朗誦するとき無視する。わたしたちが、使徒信条におけるその場所を決定することができるために、この句の適切な理解を持つことは重要である。


 使徒信条は、古ローマの洗礼形式(the Old Roman baptismal formula)にその起源を見い出し、それに後の版が追加されたのである。論争される個条は、紀元390年のルフィヌス(Rufinus)による使徒信条についての注解に最初に見い出される。彼は、その個条が使徒信条のローマ版にもギリシャ版にも見い出されないと述べている(W.G.T.SheddのDogmatic Theology:New York:Scribners,Vol.Ⅱ.p.604頁による引用。アクイレイアン信条(the Aquileian Creed)は、こうして、「葬られ」(was beried)を省略し、代わりに「陰府にくだり」(he descented into the hell)を使った。こうして、この最も初期の使用法においては、それは葬りに等しかったのである。


 その句は、再び、430年のいわゆるアタナシウス信条(the Atnanasian Creed)に現れ、そして、それから、再び、570年のヴェナンティウス フォルツナツス信条(the Creed of Venantius Fortunatus)に現れたのである。この後者の信条はルフィヌス(Rufinus)の注解に依拠して現れたものである。それは、700年頃、信条に定着したのであり、それはブリッグス(Briggs)によれば、ローマにおいて公的に改定されたのである(ChalesBriggs,TheologicalSymbolics:NewYork: Cheles Scribners’s Son,1902、pp.192)。


 この句の意味については、与えられてきたところの多様な見解がある。最も古い解釈は、初期の教会人たちへの言及が証言するように、確かに、キリストは彼の死と復活の間に、ハデス(Hades:陰府)の下界に降ったという概念である(Ronald E.Otto,Descendit in Inferrma:a Reformed Review of a Creedal Conundrum,WTJ,52、1990、p.145。この論文は、この主題についての非常に役に立ち、それは上記の議論において理解されている)。オットー(Otto)は、この句の解釈は2つの範疇に落ちる解釈を指摘している。最初の解釈は、ペトロ一3:18-20に依存し、降ることは、旧約期のすべての信者たちへか、あるいは、邪悪な死者たちへの福音の最後の宣教を含むという理解である。「旧約時代の聖徒たちへの宣教という理解は表面的である(superflous)と断言できることで、ここでは十分としよう。何故なら、彼らはすでに福音を信じ、また、こうして、義とされていたからである」(ローマ4:3、ガラテヤ3:6-9)。さらに、悔い改めないで死んだ人たちへの宣教は、聖書全体の趣旨に反するであろう。それは、死後の審判(ヘブライ9:27)、と邪悪な人々への定罪を再吟味なしで語っているからである。たとえば、金持ちとラザロのたとえが示しているようにである」(ルカ16:19-31)。


 その句の他の解釈の線は、それは、西方教会において多くの人々によって主張されるように、降ることは、サタンの敗北の部分(part of the defeat of Satan)についてである。これがルター派の見解である。「和協信条」(the Formula of Concord)は言う。「わたしたちは、キリストが、地獄(hell)に降ったことは、彼がすべての信者たちのために地獄を滅ぼし、また、わたしたちが、彼を通して、死とサタンの力から、永遠の滅びから、そして、地獄の入り口からさえも解放されたとことを知ることで十分とすべきである」。ここに、わたしたちは、ルター派教会によって教えられているように、地獄に対する勝利の調べを見るのである。


 カルヴァンは、他方、それをキリストの苦しみについての記述であると主張した。彼は、信条においてその個条が含まれていることについて、こうして論じる。「しかし、『陰府くだり』を省くことは正しくない。それは、贖いの達成に向かって小さくない重要性を持つ。・・・もし、キリストが、単に体だけで死んだならば、それによって何の目的も果たされなかったであろう。彼が、神の怒りを宥めるために、また、神の義を満たすために、神の復讐の激しさを感じることが不可欠であった。それゆえ、彼が地獄の力と永遠の死の恐怖と戦うことが必要であった。わたしたちは、すでに預言者から述べた。『わたしたちの平和の懲らしめは彼の上にあった』、また、『彼は、わたしたちの背きのために傷つけられ、わたしたちの不義のため打ち砕かれた』のである。その意味は、彼が罪人たちのための身代わりと保証人とされ、また、犯罪者自身のように扱われ、罪人に課せられるはずであったすべての罰を受けることであった。『彼は死の苦痛につながれるべきではなかった』というこの例外を持つのである。それゆえ、彼が陰府に降ったと言われることは不思議ではなかった。何故なら、彼は罪人たちに課せられる神の怒りである死を受けたからである。・・・というのは、キリストのそれらの苦しみは、それは人間に見えるものであるが、彼が神の御手から受けたところの目に見えず、比較できない復讐であるものに非常に適切に続くのである。キリストの体がわたしたちの贖いのために与えられただけでなく、他のより大きな、よりすぐれた身代金が与えられたことをわたしたちに確証するためであった。何故なら、彼は魂において、定罪され失われた人間の恐ろしい苦痛を受けたからである」(John Calvin,Insritutes of the Christian Religion,BookⅡ-16-10)。


 ハイデルベルク信仰問答は、カルヴァンと一致している。問44は問うている。「なぜ、『陰府にくだり』と続くのですか。答 それは、わたしたちが最も激しい試みの時にも 次のように確信するためです。すなわち、わたしたちの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難き不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みから わたしたちを解放してくださったのだ、と」。


 ウェストミンスター大教理問答は、「地獄」(hell)を「陰府」(hades)あるいは死者の場所(the place of the dead)と見ている。問50は次のように読む。「キリストの死後の低い状態は、どの点にあったのか。答 キリストの死後の低い状態は、彼が葬られたこと、三日目まで死者の世界にあって死の力の下にとどまっていたこと、すなわち、『陰府に下った』という言葉で従来表明されていたことであった」。


 こうして、改革派教会によっては、この句の解釈の歴史においては、わたしたちは、2つの異なった見解を持つのである。大教理問答が、使徒信条における個条の順序によりよく適合し、また、その句の最も初期の理解に一致している。このことは、カルヴァンがキリストの苦しみについて語っていることを少しも否定することではなく、彼は地獄それ自身の苦悩を受けたに違いないが、しかし、このことは、使徒信条のこの句の教えではないことを言うことなのである。


 


Ⅱ.キリストの高挙


 


A.  キリストの復活


 


チャールズ・ホッジは復活について言う。「キリストの復活は、聖書において断言されているだけでなく、福音の根本的な真理であると宣言されている。「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(コリント一15:14)。「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(コリント一15:17)。彼はさらに復活の重要性を示す。それは、「彼のすべての主張、彼のみわざの成功は、彼が再び死者から復活した」という事実から生じる(Ibid,p.626)。第2に、御霊の使命(the mission)は、キリストの復活に依拠する。第3に、キリストは彼の民の頭また代表として死んだので、彼の復活は彼らのものを確保し(secures)、模範として例証する(illustrates)。


 


1. 聖書の提示


 


a.旧約聖書は、メシアは罪とその結果を克服するであろうお方であることを予告した(創世紀3:15、22:17)。死そのものが、罪の結果の一つである。それゆえ、メシアが死をも克服するであろうことが期待された。こうして、復活は、来るべきメシアの一般的な預言に含まれていたのである。


 


b.メシアの復活は、特に、詩編16:10に予告されていた。「あなたはわたしの魂を陰府(Sheol:Hell)に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」。ペトロは、ペンテコステのとき聖霊の霊感の下に、これが復活の預言であったことを言う。「ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました」。(使徒言行録2:30-31)。キリストは、彼が「栄光に入る」(enter into glory)ことを証明するためにモーセから旧約聖書を引用した(ルカ24:26-27)。


 


a.  キリストは、御自身の復活を予告した


 


「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する』」」(マタイ20:17-19)。彼の伝道の初期から、彼は彼の復活につい覆われた予告を与えてきた。「イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2:19)。再び、同じ福音書において、彼は次のように言うことが記録されている。「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」(ヨハネ10:17-18)。


 


b.  福音書の4つすべてが、十字架後の3日目の空の墓の事実を表明している。すべてが、キリストの復活による空の墓を説明している。墓についての偽りの理論の吟味は、それを説明するためそれらの効果のなさを証明している。


 


(1) 虚偽説


 


 この理論は、弟子たちがイエスの体を盗んで、彼が復活したと宣言したことを示唆する。これは、見張りたちが流布するように金を支払われたという話である(マタイ18:11-15)。見張りたちによって与えられた説明は、明らかに虚偽それ自身である。というのは、それは、彼らが寝ている間に起こったことの説明だからである。空の墓の説明は、弟子たちにおいて起こった変化を説明しない。彼らは、キリストの裁判のときに逃げたり、あるいは、遠くからのみついて行ったのである。さらに、これらの弟子たちは。彼らの使信のために死ぬことを喜んでいた。もし、それが、人をかつぐこと(a hoax)ならば、理屈に合わないところの事実であろう。「復活の事実のみが、弟子たちがキリストの復活の証言において表わした不屈の勇気と力を説明することができるのである」(Berkhof,SystematicTheology,op.cit.


p.348)。


 


(2) 気絶説(the swoon theory)


 


この理論は、イエスは真に死んだのではなく、気を失っていただけであることを示唆する。涼しい墓が彼に意識を取り戻させたのである。聖書は、彼の死についてきわめて明らかである。兵士は彼を殺すために、彼の足を折らなかった。というのは、彼はイエスがすでに死んだのを見たからである(ヨハネ19:33-34)。もし、その事に何かの疑いがあれば、刺された槍が確実に彼を終わりにしたであろう。さらに、彼は、彼がなお生きていることを望んだかもしれない友人たちによって扱われたとき、彼らはイエスの死を確信したのである。もし、彼が、単純に気絶から意識を取り戻し、そして、彼の弟子たちが彼は真に死者から復活したことを信じることを許したのであれば、イエスは人をかつぐことの罪に問われるであろう。さらに、彼は完全な健康にあったし、また、3日間で半分死んだような病人のようではなかった。彼はエマオまで歩けたのである。この理論は、真剣には取り上られない多くの困難を持っている。


 


(3) 幻覚説(the vision theory)


 


むしろ、この人気のある理論については2つの違いがある。最初のものは、弟子たちは、キリストのことをそのように強く思っていたので、キリストについての主観的な幻覚を見て、彼は復活したことを確信するようになったのである。その見解に対しては、弟子たちは、復活を期待していなかったのが事実である。さらに、もし、このことが妥当性を持つ理論ならば、イエスが現れた方法は、人が期待するところのものではなかったであろう。彼は、彼の死のまさに以前のように現れたか、あるいは、栄光の後光(halo of glory)のある仕方においてか現れた。どちらも実際の現れの場合ではなかった。最後には、如何にして、主観的な幻覚が同時に数人に起こり得るのか。その理論の第2の形態は、神が弟子たちのために見える客観的な幻覚(some objective vision)を与えたというものである。これは、最初の形態のある困難に答えるように思えるが、しかし、なお困難に満ちている。最初に、もし、超自然的なものが必要とされるならば、何故、まさに幻覚なのか。より困難なのは、イエスが復活させられたという思いに弟子たちをだまして入れるそのような客観的な幻覚を神が与えるであろうという理念である。そのとき、弟子たちは出て行って、そのような嘘を説教し、使徒言行録は、彼らが、そうすることにおいて神に祝福されたものとして表わしている。これは、神の性格に一致しない。


 


(4) 神秘説(the mythical theory)


 


 この見解は、復活の理念は、種々の神話に見られるように、古代の文化の部分であるという理念を示唆する。教会は単純に、これらの神話的な理念を彼らの思いに入れたとする。この見解は、新約聖書において与えられている復活の事実の説明を考慮しない。空の墓の発見を伴った出来事の不思議な転回によって(by the strange turn of events)完全な驚きの表現(the representation)があったのである。それは、キリストの復活の説教に基礎を置くものとしての教会の実際の始まりを説明することに失敗する。この理論は、わたしたちが虚偽説について注目したところの同じ弱さを持つ。というのは、それは、使徒たちは、自分たちが神話としてだけ知っているところの教理を教えたことを示唆するからである。


 


e.パウロは、コリント一15章において、キリストの現われの一覧表を与えているし、また、それゆえ、復活のための論拠も与えている。彼は、もし、キリストがよみがえらなければ、福音はないが、しかし、今や、彼は復活して生きているのである。


 


f.聖書の終末論は、キリストがよみがえっただけでなく、昇天したのと同じ体で戻ってくることも提示している(使徒言行録1:11)。これは、体をもった復活である。


 


2. 復活の性質


 


 彼が復活した体と死んだ体の同一性が、聖書において明白に教えられている。彼は、手と足に釘跡を持ち、彼の脇腹に槍の跡を持っていた(ヨハネ20:27)。他方、彼は、復活がた易くは認められなかった。マグダラのマリアは、イエスが語るまで、イエスを認めることに失敗した(ヨハネ20:15)。エマオへの人々は、イエスが彼らの前でパンを裂くまで知らなかった(ルカ24:31)。彼が岸に立っていたとき、奇跡的な多くの魚の証拠が見られるまでは、弟子たちはイエスを認識しなかった(ヨハネ21:7)。この復活した体の違いは、戸が閉められていたにもかかわらず、閉じられていた部屋に単純に入る能力において見られる(ルカ24:36、ヨハネ20:19)。パウロは、復活において、わたしたちが期待するところの変化のあることを描いた(コリント一15:42-44)、また、キリストも彼の体に同様の変化を経験したことが前提されており、その結果、他方においては、それは同じ体であるが、しかし、他方においては、変化した体なのである。


 


3. 復活の作者


 


 復活は、種々に神に一般的に帰される、あるいは、より特別には、父に帰される(ローマ6:4)。キリストは、御自身で御自身の命を再び得るであろうことを主張した(ヨハネ10:18)、また、御自身が復活であり、命であることを主張した(イハネ11:25)。大祭司として、彼が犠牲の行為から復活することは適切であり、また、至聖所において血を流すことを表すことは適切であった。聖霊も復活に関わる(ヨハネ2:19-21)。こうして、わたしたちは、三位一体の神がキリストのみわざのこの冠的なみわざにおいてすべて3つの位格において活動的であることを見るのである。


 


4. 復活の意義


 


a.キリストにとって、復活は彼の謙卑の状態から高挙の状態への移行をしるしづける。それゆえ、それは、彼の苦しみと贖いの実際のみわざを締めくくるもの(the conclusion)である。それは、彼が死者から復活するという彼自身の主張の擁護である。もし、彼が復活しなかたならば、そのとき、彼の教えは偽りになるであろうし、また、彼は最終的に死と死の力の下での犠牲であったろう。復活によって、彼は罪と死を克服したのであり、こうして、十字架上における彼のみわざに冠をかぶせるのである。


 


b.わたしたちに対するイエスの主張を擁護することによって、復活はわたしたちに対する彼の神性を擁護するのであり、また、彼の神性の宣言となったのである。


 


c.キリストの復活の事実は、わたしたちに、贖いの完成を証明し、また、父による受け入れを証明する。それは、こうして、わたしたちの義認(ローマ4:25)、再生(エフェソ1:19-20)、最後の復活(ローマ5:10、フィリピ3:10、ペトロ一1:3)の冠的な根拠(the crowning basis)となった。


 


B.  キリストの昇天


 


 キリストが天に戻ることは、復活の必然的な完成であった。それは、聖書において、復活と同様には、十分にまた頻繁に証明されていないが、記録は明らかに十分である((ルカ24:50-53、使徒言行録1)6-11、ヨハネ6:62、14:2、12、16:5、10、17、28、17:5、20:17、エフェソ1:20、4:8-10、ヘブライ1:3、4:14、9:24)。


 昇天は、イエスの人間性におけるキリストの人格の目に見える昇天を包含する。そのようなものとして、一つの場所から他の場所への移行の理念が教えられている。それは、至聖所に御自身の血を携えて入るというキリストの祭司のみわざの部分として必要であった(ヘブライ9:23-24)。この関連において、彼はわたしたちのための場所を用意しに行くのであり、また、わたしたちがその場所に来る道を供えるために行くのである(ヨハネ14:2-3、6)。わたしたちの人間性を取って神の御座に行くことは、彼がわたしたちに、わたしたちも彼の犠牲を通して神のまさに臨在に入るにふさわしくされるという大きな確信を与えるのである。さらに、わたしたちが聖霊の賜物において、今、受けている祝福はイエスが昇天することに依存しているのである(ヨハネ16:7)。こうして、彼が十字架上で贖いを達成することが必要であっただけでなく、彼がその贖いを、聖霊を通してわたしたちに適用することが必要でもあった。その聖霊を、キリストは、彼が昇天した後で、神の御座から遣わしたのである。


 


C.  神の右に座すこと


 


聖書は、神の右にキリストが座すことを語る。キリストは、そのことをペトロに予告した(マタイ26:64)。ペトロは、そのことを自分の説教において語った(使徒言録2:33-36、5:31。他の個所も彼のみわざのこの局面に言及している(エフェソ1:20、ヘブライ1:3、10:12、ペトロ一3:22、黙示録3:21)。他の個所も、王としてのキリストの支配を語る。ローマ14:9、コリント一15:24-28、ヘブライ2:7-8。


 座すことの意義は、栄光化、また、神人(the God-man)としての王的職務への就任の意義である。それは、詩編110:1で預言されていた。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」。わたしたちはすでに示したように、彼は彼の神性のゆえに主(the Lord)であるが、しかし、仲保者としての王であること(the Kingship)が、十字架上の彼の完成したみわざに対する報い(reward)として来るものなのである。神の右に座すことの言及は、彼は最早、わたしたちの仲保者として活動的でないことを意味すると取られるべきではない。聖書は、活動の種々の形態において彼を表明しており、神の右に座しているし(ローマ8:34、ペトロ一3:22、ステファノの死のとき、イエスは御自分の最初の殉教者を助けるかのように立っているのが見えたのである)、また、蜀台の間を歩いているのである(黙示録1:12-20)。


 彼がそこで果たすところのみわざは、わたしたちがすでに考察したように、わたしたちの仲保者として彼が行っているところの3つの職務、すなわち、預言者的、祭司的、王的職務を包含するのである。預言者として彼は御自分の教会をあらゆる真理に導くために聖霊を遣わすのである(ヨハネ14:26、16:7-15)。彼は、聖書を聖霊により与えたのである。祭司として、彼は彼御自身の犠牲の血を献げ、また、わたしたちのために絶えず執り成しをするのである(ゼカリヤ6:13、ヘブライ4:14、7:24-25、8:1-6、9:11、24-26、10:19-22、ヨハネ一2:29)。王として、彼は、世界を秩序あるものとするために、世界のすべてを支配し、また、すべてのものを御自分に服従させるのである(ペトロ一3:22、詩編2編、45:72、110編、イザヤ9:67、ダニエル8:24、ヘブライ1:13)。


 


D.  キリストの再臨


 


わたしたちは、終末論の見出しの下にキリストの再臨をより十分にカバーするであろうが、わたしたちは、これは高挙の部分であるという事実を注目すべきである。ホッジ(Hodge)は、この主題についての聖書の明白な教えを要約している。


1. キリストは再び来られる


2. それは、人格的であり、目に見える栄光の到来である


3. 彼は、世界の審判者として来る


4. 審判はすべての人を含み、この世において行われた行いに基づき、基準は神の御言葉である。審判の判決は、最終的であり、関するすべての人の永遠の運命を決めるものである(C.Hodge,SystematicTheology,op.cit.Vol.Ⅱ.p.638)。


 


解説


 


「第28章:キリストの状態」の紹介が終わったので、7点の解説をする。まず第1点は、キリストの二状態は、律法との関係から観たキリストの状態のことであることを、スミスは述べる。スミスは、すでに恵みの契約の仲保者として、キリストの人格、キリストのみわざについて扱ったので、今度はキリストの二状態について扱う。キリストの二状態とは、律法との関係から観たキリストの状態のことで、律法の下にあるゆえにキリストの神性が隠れる部分がある受肉、受難、死、葬りをキリストの謙卑の状態と呼び、律法を超えて、キリストの神性が十分現れている復活、昇天、神の右に座すこと、再臨をキリストの高挙と呼ぶ。キリストの謙卑と高挙の二状態論は、ルター派から改革派に入った。ルター派は、フィリピ2:5-11を根拠にして、教理化したが、改革派も受け入れ、改革派神学においても定着した教理である。ただし、ルター派と改革派では、謙卑と高挙の区分が異なるところがあるが、恵みの契約の仲保者の生涯を理解するのに非常に有用な教理である。


 第2点は、早速であるがキリスト謙卑の状態の最初の受肉についてである。三位一体の第二人格の永遠の神の御子、父と共に万物創造をした神の御子が、被造物の性質を取ることは、必然的に謙孫、謙卑の行為である。旧約聖書は、神的でもあり人間的でもあるところのメシアを予告し、このことは処女降誕(イザヤ7:14)を通して起こるであろうと予告した。神であるお方が人間性を取ることには、幾つもの疑問を生ぜしめ、歴史において、様々な異端を引き起こしたが、451年のカルドン信条においてキリストの二性一人格が確定したのであり、神の御子は神性を少しも減じることなく、罪のない人間性を御自身に追加したのである。


第3点は、ケノーシス論(神性放棄論)の流行である。19世紀になると、神学的状況は変わり、フィリピの信徒への手紙2:6-8の「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして(èαυτον  έκενωσεν:ヘアウトン エケノウセン)、僕の身分になり、人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」を根拠にして、ケノーシス論を主張する神学者たちが次々と現われ、彼らは、神の御子は、一時、彼が以前にそうであったものを止め、彼が以前に所有していたところのあるものの所有を止め、彼が以前に行使していた行使を止めたと主張した。こうして、神性は、受肉において、廃棄、自己剝脱、自己限定となった。ケノーシス論を主張した神学者たちは、エルランゲンのトマジスウス、A.M.フェアバイルン、W.F.ゲス、ゴデー、エルランゲンのエブラルト、デンマークのマルテンセン、ウィリアム・ニュートン、アメリカのコルゲート神学校のリベラル・バプテスト、イングランドのチャールズ・ゴロなどである。わたしは、ゴデーの注解書を読んだことがあるが、彼がケノーシス論者であることを初めて知った。ゴデー(1812-1900)はフレデリック・ルイ・ゴデ(Frédéric Louis Godet)が正式な名でスイスのプロテスタントの神学者であり、聖書の注解者としての方がよく知られている。現在でも、ゴデーの聖書注解書は入手できるほど読まれている。わたしはケノーシス論を主張した人がこんなに多くいるとは知らなかった。


 第4点は、ケノーシス論の根拠となったフィリピ2:6-8の正しい意味についてである。ケノーシス論者たちは、この個所の正しい解釈をせずに、キリストの神放棄論を展開した。そこで、スミスは、この個所の正しい解釈を詳しく示す。この個所の詳しい解釈は、スミスの本文を読んでいただけばと思うので、わたしは気がついたことだけを記す。「神のかたち」とは、神を特に神たらしめているところの特徴ある資質の総体を所有していることを意味する。また、この神のかたちを所有していることが現在分詞で語られていることは、神のかたちにある、また、神のかたちにあり続けるお方を示唆している。


「神と等しい者であること固執しようと思わず」は、キリストは、彼は神のかたちであり、また、あり続けるが、しかし、神と等しいことを奪うことと考えずに、御自身を名声のない者としたことを意味する。「自分を無にして、僕の身分となり、人間と同じ者になりました」は、神性を無くして無にするという文字通りの意味に取ると、神性放棄論(ケノーシス論)の誤りになるので、この場合は、比喩的意味に取るべきことを、スミスは、聖書の他の個所での「無にする」という言葉とその同族語の使い方を詳しく述べて、比喩的意味に取るべきことを繰り返し強調している。すなわち、「無にする」は、剥奪や自己を無くすことを語っているのではなく、僕のかたちの追加、僕の存在のかたちを神の存在のかたちに追加して、人間と同じようになることを意味している。キリストの神性は無くならず、変わらずに残っているのであり、また、少しも減じたりも、停止したりもしないのである。「僕の身分となり、人間と同じ者となられました。人間の姿で現れ」は、受肉の結果、彼は2つのかたち、存在の2つの様式を持つようになったことを意味する。キリストは人間性における変化を経験し、また、この性質における人間的限界に服したのである。彼は真に僕のかたちを取ったので、彼は真に僕になり、彼は御自身を御自身に服させ、また、謙孫、貧困、悲惨、恥の状態に父により服従させられたのである。最後には、苦しみと恥と呪いの十字架の死に至るまで従順に父に従ったのである。


第5点は、キリストの謙卑の具体的内容についである。謙卑の始まりは、受肉であるが、受肉に始まるキリストの地上生涯全体が、律法の下に置かれたゆえに謙卑を表す。そして、特にキリストの謙卑は、キリストの苦しみを死において現れるが、スミスはウェストミンスター大教理問答の問49を解説する仕方で説明していく。


大教理問答の問49には、「死の恐れや暗黒の力と戦い」とあるが、スミスは、「暗黒の力」を「罪にふさわしい神の怒りの恐怖」と説明している。なお、その証拠聖句として、大教理問答の問49は、ルカ22:44(ゲツセマネの苦悶の祈り)とマタイ27:46(十字架上で神に捨てられたこと)を挙げている。


 また、スミスは、特に、使徒信条で「陰府(よみ)に下り」については、理解が分かれるので詳しく論じる。使徒信条の土台となった古ローマ洗礼公式には、「陰府(よみ)に下り」の句は無く、後に入ったいきさつについては、スミスの詳しい本文を読んでいただければと思うが、「陰府(よみ)に下り」についての教会の最初の解釈は、ペトロ一3:18-20に依存し、陰府(よみ)に降ることは、旧約時代のすべての信者たちへか、あるいは、邪悪な死者たちへの福音の最後の宣教を含むという理解であると、スミスは言う。すなわち、キリストは、旧約時代の信者たちが閉じ込められている族長領域(limbus partum:リムブス パトロム)に下っていて、彼らをそこから解放したとカトリックは理解するが、スミスは、旧約時代の信者たちは、信仰によって神を信じて義とされて救われていたので(ローマ4:3、ガラテヤ3:6-9)、カトリックのこの理解はおかしいと言う。また、キリストは、邪悪な死者たちへの福音の最後の宣教をしに死者の世界に下ったという理解もあったが、スミスは、悔い改めないで死んだ人たちへの宣教は、金持ちとラザロのたとえ(ルカ16:19-31)にもあるように、聖書全体の教えに反するのでこれもおかしいと言う。なお、現代でも、信じないで死んだ人たちも最後に福音を聞く機会が、なおあると考える人たちもいるかもしれない。


 ルター派は、「陰府(よみ)に下り」はキリストの高挙の最初の段階とし、キリストがサタンと死の力に勝利したことを宣言するためにキリストが地獄(陰府)に下ったと理解する。では、改革派はどうか。すると、スミスは、2つの理解があると言う。一つは、カルヴァンやのハイデルベルク信仰問答の理解で、「陰府(よみ)に下り」は、キリストが魂において、神の怒りにより定罪され失われた人間の恐ろしい苦痛を受けたことを表すという理解であるこことを語る。具体的には、ゲツセマネの園と十字上で神に捨てられるという地獄の苦しみを霊魂において受けたことを意味しているという理解である。もう一つの理解は、ウェストミンスター大教理問答の問50で、キリストの死後の低い状態は・・・3日目まで死者の状態にあって死の力の下にととまっていたこと」という理解であり、スミスは、このウェストミンスター大教理問答の理解が、使徒信条の「陰府(よみ)に下り」の理解についてはふさわしいと語る。


第6点は、キリストの高挙についてである。具体的には、復活、昇天、神の右に座して万物を支配すること、世の終わりの再臨であるが、個々については、スミスの本文を読んでいただければと思う。気がついたこととして、復活については、昔から復活を否定するために、いろいろな解釈や説明が出てきたが、虚偽説について、スミスは興味深いことを言っている。マタイ28:11-15に記されているように、祭司長たちは、イエスの墓の番をしていたローマ兵たちに金を払って、自分たちが眠っていたときに、弟子たちが来て、イエスの体を盗んでいった。それゆえ、墓が空になったと虚偽を語るように言われたが、スミスは、番をしていたローマ兵たちが眠っている間に盗まれたことが、眠っていたのにどうしてわかるのか、これはおかしいと言っているが、真にこの説は、これでもう破綻している。


第7点は、スミスは、特に述べていないが、バルトのキリストの神性の謙卑と人間性の高挙についてである。改革派神学は、キリストの救いのみわざは、二つの状態、すなわち、キリストの謙卑に状態とキリストの高挙の状態で遂行されたと考える。すなわち、キリストの謙卑は、馬子屋での誕生から律法の下に置かれたこと、苦しみを受けたこと、死んだこと、墓に葬られたことを、死の下の留まられたことにあると考えてきた。高挙は、復活、昇天、父なる神の右に着座して万物を支配していること、再臨することにあると考えてきた。したがって、改革派神学は、キリストにおける救い、和解を時間の秩序で、二つの状態で考えた。


 しかし、バルトは違う。バルトは、キリストの謙卑は、キリストの神性がへりくだって低くされたこと、キリストの高挙は、キリストの人間性が恵みによって神のそばにある人間性として高められたことにあると考える。したがって、キリストの謙卑と高挙は、いつも同時に、キリストにおいて生じているものと主張する。すなわち、バルトにおいては、キリストの謙卑と高挙は、誕生から埋葬されて死の下に留まるのが謙卑、そして、その後、復活してから再臨までが高挙というのでなくて、イエス・キリストは、神であるのにへりくだって苦しみ、死に、復活したことにおいて、低くされているので謙卑であり、また同時に、イエス・キリストは人間であるのに、恵みによって、神のそばにある人間として高くされているのが、高挙であるという意味である。こうして、キリストが神であるのに低くなっていることが謙卑、キリストは人間なのに恵みによって、高くされていることが高挙ということで、同時的に成り立つ概念に変化させた。そして、これで、バルトは、キリストにある神性のへりくだりと、キリストの人間性の高挙によって、救い、和解は成り立つと考えた。これで、もう、客観的に、神と人間の和解は成り立ってしまう。人間の救いは、客観的にすでに成立していることになる。そして、この和解は、客観的で、誰も取り消すことができない。すなわち、人が、これを信じようが、信じまいが、無関係のキャンセル不可能の客観的な出来事であり、神と人間との和解なのである。


 しかし、これは聖書の教えではない。聖書の教えは、フィルピ2:5-11に基づいて、謙卑が先に来て、高挙が後に来る時間的な概念を含む教理である。そして、二性一人格の恵みの契約の仲保者のイエス・キリストが謙卑と高挙のこの二つの状態において救いの道、和解の道を備えてくださり、その後は、教会の宣教する福音を聞いて、聖霊の働きによって有効召命され、一人ひとりがキリストを自分の救い主と信仰することによって、キリストによる救いが一人ひとりにあてはめられ、適用され、実際に、このときはじめて人は救われ、このとき神と和解されるのである。世界的改革派神学者のベルクーワは、バルトには、聖霊による救いの適用が欠ける。一人ひとりがキリストを積極的に信仰するというダイナミックな面が欠ける。何でも、すでに、客観的に、イエス・キリストにおいて恵みが勝利しているという図式であると、批判している。キリストの謙卑と高挙はバルトが主張するように同時的概念ではなく、フィルピ2:5-11の正しい解釈に基づいて、謙卑が先に来て、高挙が後に来る時間的な概念を含む教理であり、改革派はこの教理に立つ。この点については、拙著「G.C.ベルクーワ:カール・バルト神学における恩恵の勝利-その紹介と解説-」の「第5章 和解の勝利」を参照のこと。 


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