全教会の課題としての地方伝道

 私たちは第5回日本伝道会議において、「地方伝道」プロジェクトで討議した内容を元に、伝道会議の全参加者および全国の諸教会とその牧師・信徒に向け、以下のように問題を提起しアピールします。


1.現状認識と打開への方向


  今回の伝道会議のテーマ「危機の時代における宣教協力」は、過疎化の進む地方において急務です。孤立しがちな地方教会こそ宣教協力を必要としています。格差社会といわれる人口や教育・雇用機会などの都市偏在と過疎地の衰退は、対人口比教会数や福音を聴く機会の格差となり教会とその伝道に課題を投げかけています。牧師不足が今後さらに深刻化すると予想される中で、無牧教会の増加や教会閉鎖の危機は地方・過疎地において特に顕著です。
 地方教会における恒常的な青年信徒の都市転出や教職・信徒の高齢化は、各個教会の自助努力の域を超えています。「苗床教会」と呼ばれる地方教会が、困難な中で地道な伝道と育成によって送り出した信徒を、都市教会に託さざるを得ない構造は否めません。地方教会の疲弊衰退は、都市教会にも無関係ではありません。地方伝道の問題は、日本の教会全体が共に負い合い取り組むべき課題です。


  過去の日本伝道会議においても、こうした地方伝道の課題に対し、1教団・教派の取り組みだけでは限界があることが再三指摘され、教派を超えた協力による国内宣教師の派遣などが提唱されてきました。宣教学者ラルフ・ウィンターは、宣教の使命達成にはモダリティー(教団のような縦型組織)のみならず、ソダリティー(教派を超えた横に広がる運動)が重要であることを強調しました。しかし現実には、いまだ有効な協力関係が構築されてはいません。そこで「地方伝道」プロジェクトでは、聖書的・神学的な考察に基づき、いくつかの観点から実行可能な提言をします。

 

2.「1教会1牧師」の見直し


 牧師不足の打開策として、効率のみに主眼を置いて教会閉鎖・合併が進むことを、私たちは懸念します。ある教会が閉鎖しても、通うことのできる別の教会が生活圏内に存在する都市部とは違い、移動手段に限りがある高齢者や子どもにとって、通える範囲に教会がないことは福音を聴く機会を失うことにつながりかねません。それを防ぐためには、1教会が自前の会堂を持ち、1人(家族)の牧師が常駐して牧会することを当然と考えてきた、従来の教会のあり方を再考することが迫られます。教会堂の有無にかかわらず、1牧会者が複数の群れを担当する「兼牧」、あるいは複数の牧会者が協力し合う「共同牧会」に、打開への可能性が見られます。


3.信徒伝道者の育成


  共同牧会に関連して、無牧教会の抱える問題を打開するには、信徒伝道者の育成と働きが不可欠です。現状を打破するためには、牧師は教え牧会する者、信徒は教えられ牧会される者という、従来の牧師・信徒関係の固定観念を打ち破り、互いを初代教会に見られるような「同労者」として位置付け直す必要があります。特に過疎地域にあって信徒伝道者は、必要に応じて説教や牧会をもつかさどる役割を担うことが期待されます。


4.自給・自活伝道の積極評価


  信徒伝道者の育成と共に、牧師が職業に従事しながら自活することに対しても、本プロジェクトではその意義を新しく評価し直すことを試みました。信徒数、とりわけ教会の財政を支える中堅層が少ない地方教会にあっては、牧師が働きながら伝道牧会することは避けられない現実があります。「牧師は信徒の献金だけで支えられ、フルタイムで伝道に専念するべき」との固定観念が捉え直され、地方伝道に携わる牧師が職業に従事しながら伝道する在り方や可能性がもっと積極的に評価されるべきではないでしょうか。そのために、パウロが自給自活精神を全うしたことを、聖書的・神学的に研究することが大切です。


5.神学教育のパラダイム転換


  従来の神学校教育は、こうした地方伝道の必要に対応できる献身者を生み出してきたかということが問われます。本プロジェクトでは、その欠けを補う試みのひとつとして、献身者を教室に集めて一定期間の教育訓練を施す伝統的な神学校教育のパラダイムを見直し、新約聖書に基づき主イエス・使徒・初代教会の手法に倣う「教会主体の神学教育・指導者育成」に取り組み始めた、仙台バプテスト神学校の実践から神学教育の新たな理念や在り方の一例を提示しました。また、農林漁業従事者など地域住民の職域にまで届く福音宣教の在り方を調査するなど、地方伝道の対象地域の人々の求めに向き合うことも、神学の重要な課題です。


6.互いに分かち合う共同体としての連帯


  教会は互いに重荷を負い合うキリストのからだです(Ⅰコリント12・26、エペソ1・23、ガラテヤ6・2)。地方教会の重荷に、都市教会が無関心であってはなりません。一方が他方を支援し・支援される関係という発想を転換し、都市と地方の教会は、主から託された恵みと福音宣教の機会、そして苦難と重荷を共に分かち合うべきです。地方の伝道はそれぞれの地域の教会が中心となって進められるべきですが、地方教会だけでは負いきれない面を都市教会が共に負うような連帯は、「恵みのわざ」への参与といえます(Ⅱコリント8)。パウロは、教会において分かち合いの精神が失われ兄弟たちの欠乏を顧みないことを、主イエスがないがしろにされキリストのからだが損なわれることと関連づけて警告しています(Ⅰコリント11)。都市教会に出席する地方教会出身者は、両者の架け橋となり得ます。彼らを通して、都市と地方の教会は互いの状況を知り、祈りに覚えることができます。教会籍の転籍の問題や献金などの面で、地方出身者の母教会への思いや重荷を尊重しつつ、出席教会での奉仕を励ますことができます。まず身近な交わりから、分かち合いの共同体を築き上げていこうではありませんか。

 

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