ハイデルベルク信仰問答 [問1~129]
*Shalom Mission シャローム宣教会:http://shmission.com/xe/shalom_jp
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。 そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜びまたそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。
問2 この慰めの中で喜びに満ちて生きまた死ぬために、あなたはどれだけのことを知る必要がありますか。
答 三つのことです。第一に、どれほどわたしの罪と悲惨が大きいか。第二に、どうすればあらゆる罪と悲惨から救われるか、第三に、どのようにこの救いに対して神に感謝すべきか、ということです。
問3 何によってあなたは自分の悲惨さに気づきますか。
答 神の律法によってです。
問4 神の律法はわたしたちに何を求めていますか。
答 それについてキリストは、マタイによる福音書二二章で次のように要約して教えておられます。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
問5 あなたはこれらすべてのことを完全に行うことができますか。
答 できません。なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです。
問6 それでは、神は人をそのように悪い邪悪なものに創造なさったのですか。
答 いいえ。むしろ神は人をよいものに、また御自身のかたちに似せて、すなわち、まことの義と聖とのうちに創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちに神と共に生き、そうして神をほめ歌い賛美するためでした。
問7 それでは、人のこのような堕落した性質は何に由来するのですか。
答 わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆罪のうちにはらまれて、生まれてくるのです。
問8 それでは、どのような善に対しても全く無能であらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。
答 そうです。わたしたちが神の御霊によって再生されない限りは。
問9 御自身の律法において人ができないようなことを人に求めるとは、神は人に対して不正を犯しているのではありませんか。
答 そうではありません。なぜなら、神は人がそれを行えるように、人を創造されたからです。にもかかわらず、人が悪魔にそそのかされ、故意の不従順によって自分自身とそのすべての子孫からそれらの賜物を奪い去ったのです。
問10 神はそのような不従順と背反とを罰せずに見逃されるのですか。
答 断じてそうではありません。それどころか、神は生まれながらの罪についても実際に犯した罪についても、激しく怒っておられ、それらをただしいさばきによって、この世においても永遠にわたっても罰しようとまさるのです。それは、「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守り行わない者は皆、呪われている」と神がお語りになったとおりです。
問11 しかし、神はあわれみ深い方でもあるのではありませんか。
答 確かに神はあわれみ深い方ですが、またただしい方でもあられます。ですから、神の義は、神の究極の権威にそむいて犯される罪が同じく究極の、すなわち永遠の刑罰をもって身と魂とにおいて罰せられることを要求するのです。
問12 わたしたちが神のただしいさばきによってこの世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるにはどうすればよいのですか。
答 神は、御自身の義が満足されることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して自分自身によってかあるいは他のものによって、完全な償いをしなければなりません。
問13 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるのですか。
答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。
問14 しかし、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。
答 いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷を担い、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。
問15 それでは、わたしたちはどのような仲保者または救い主を求めるべきなのですか。
答 まことのただしい人間あると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわちまことの神でもあられるお方です。
問16 なぜその方は、まことのただしい人間でなければならないのですか。
答 なぜなら、神の義は罪を犯した人間自身がその罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできないからです。
問17 なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。
答 その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性に担われ、わたしたちのために義と命を獲得し、再びそれをわたしたちに与えてくださるためです。
問18 それではまことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったい誰ですか。
答 わたしたちの主イエス・キリストのことです。この方は、完全な救いと義のためにわたしたちに与えられているお方なのです。
問19 あなたはこのことを何によって知るのですか。
答 聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式を通して予型し御自身の愛する御子を通してついに成就なさいました。
問20 それでは、すべての人が、アダムを通して堕落したのと同様に、キリストを通して救われるのですか。
答 いいえ、まことの信仰によってこの方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。
問21 まことの信仰とは何ですか。
答 それは、神が御言葉においてわたしたちに啓示されたことのすべてをわたしが真実であると確信する、その確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる心からの信頼のことでもあります。それによって、他の人々のみならずこのわたしにも、罪の赦しと永遠の義と救いとが神から与えられるのです。それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです。
問22 それでは、キリスト者が信じるべきことは何ですか。
答 福音においてわたしたちに約束されていることすべてです。わたしたちの公同的な、確固たるキリスト教信仰箇条がそれを要約して教えています。
問23 それはどのようなものですか。
答 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。
問24 これらの箇条はどのように分けられますか。
答 三つに分けられます。第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、第二に、子なる神と、わたしたちの救いについて、第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです。
問25 ただ一人の神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。
答 それは、神が御自身についてそのように、すなわち、これら三つの位格が唯一のまことの永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです。
問26 「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか。
答 天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらをその永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。わたしはこの方により頼んでいるので、この方が身と魂に必要なもの一切をわたしに備えてくださること、また、たとえこの悲しみの谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、わたしは疑わないのです。なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。
問27 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。
答 全能かつ現実の、神の御力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によってわたしたちにもたらされるのです。
問28 神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちはどのような恵みを受けますか。
答 わたしたちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来についてはわたしたちの真実な父なる神をかたく信じ、どのような被造物もこの方の愛からわたしたちを引き離すことはないと確信できるようになる、ということです。なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも動かされることもできないからです。
問29 なぜ神の御子は「イエス」すなわち「救済者」と呼ばれるのですか。
答 それは、この方がわたしたちをわたしたちの罪から救ってくださるからであり、他の誰かに救いを求めたり、ましてやそれを見出すことなどできないからです。
問30 それでは、自分の幸福や救いを聖人や自分自身や他のどこかに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか。
答 いいえ。たとえ彼らがこの方を誇っていたとしてもその行いにおいて、彼らは唯一の救済者または救い主であられるイエスを否定しているのです。なぜなら、イエスが完全な救い主ではないとするか、そうでなければ、この救い主を真実な信仰をもって受け入れて、自分の救いに必要なことのすべてをこの方のうちに持たねばならないか、どちらかだからです。
問31 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、この方は父なる神かから次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの救いに関する神の隠された熟慮と御意志とを余すところなくわたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によってわたしたちを救い、御父の御前でわたしたちのために絶えずとりなし、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊によってわたしたちを治め、獲得した救いによってわたしたちを守り保ってくださる、ということです。
問32 しかし、なぜあなたが「キリスト者」と呼ばれているのですか。
答 なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。それは、わたしもまた、この方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心えおもって罪や悪魔と戦い、ついにはこの方と共に全被造物を永遠に支配するためです。
問33 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方は神の「独り子」と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、キリストだけが永遠の、本来の神の御子だからです。わたしたちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです。
問34 あなたはなぜこの方を「われらの主」と呼ぶのですか。
答 この方が、金や銀ではなく御自身の尊い血によって、わたしたちの罪と悪魔のすべての力から救い、わたしたちを身と魂もろとも贖って、御自身のものとしてくださったからです。
問35 「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。
答 永遠の神の御子、すなわちまことの永遠の神でありまたあり続けるお方が、聖霊のお働きによって、処女マリヤの肉と血からまことの人間性を身にまとわれた、ということです。それは、御自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪は別にしてはあらゆる点で兄弟たちと等しくなるためでした。
問36 キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。
答 この方がわたしたちの仲保者であられ、御自身の無罪性と完全なきよさとによって、母の胎にいる時からわたしの罪を神の御顔の前で覆ってくださる、ということです。
問37 「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。
答 キリストがその地上での御生涯のすべての時、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです。それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによってわたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした。
問38 なぜその方は、裁判官「ポンテオ・ピラトのもとに」苦しみを受けられたのですか。
答 それは、罪のないこの方が、この世の裁判官による刑罰をお受けになることによって、わたしたちに下されるはずの神の厳しい審判から、わたしたちを免れさせるためでした。
問39 その方が「十字架につけられ」たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。
答 あります。それによって、わたしは、この方がわたしの上にかかっていた呪いを御自身の上に引き受けてくださったことを、確信するのです。なぜなら、十字架の死は神に呪われたものだからです。
問40 なぜキリストは、「死」を苦しまなければならなかったのですか。
答 なぜなら、神の義と真実のゆえに、神の御子の死による以外には、わたしたちの罪を償うことができなかったからです。
問41 なぜこの方は、「葬られ」たのですか。
答 それによって、この方が本当に死なれたということを証しするためです。
問42 キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちがさらに死ななければならないのですか。
答 わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、むしろ罪の死滅であり、永遠の命への入口なのです。
問43 十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。
答 この方の御力によって、わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、ということです。それによって、肉の邪悪な欲望がもはやわたしたちを支配することなく、かえってわたしたちは自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ献げるようになるのです。
問44 なぜ「陰府にくだり」と続くのですか。
答 それは、わたしが最も激しい試みの時にも次のように確信するためです。すなわち、わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださったのだ、と。
問45 キリストの「よみがえり」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によってわたしたちのために獲得された義にわたしたちをあずからせてくださる、ということ。第二に、その御力によってわたしたちも今や新しい命に生き返らされている、ということ。第三に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりはわたしたちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということ。
問46 あなたは「天にのぼり」をどのように理解しますか。
答 キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださるということです。
問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。
答 キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊において片時もわたしたちから離れておられないのです・
問48 しかし、人間性が神性のある所どこにでもあるというわけではないのならば、キリストの二つの性質は互いに分離しているのではありませんか。
答 決してそうではありません。なぜなら、神性は捉えることができず、どこにでも臨在するのですから、同時に人間性の内にもあって、絶えず人間性と人格的に結合しているのです。
問49 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方が天において御父の面前でわたしたちの弁護者となっておられる、ということ。第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。それは、頭であるキリストがこの方の一部であるわたしたちを御自身のもとにまで引き上げてくださる一つの確かな保証である、ということです。第三に、この方がその保証のしるしとして御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。
問50 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。
答 なぜなら、キリストが天に昇られたのは、そこにおいて御自身がキリスト教会の頭であることをお示しになるためであり、この方によって御父は万物を統治なさるからです。
問51 わたしたちの頭であるキリストのこの栄光はわたしたちにどのような益をもたらしますか。
答 第一に、この方が御自身の聖霊を通して、御自身の部分であるわたしたちのうちに天からの諸々の賜物を注ぎ込んでくださる、ということ。そうして次に、わたしたちをその御力によってすべての敵から守り支えてくださる、ということです。
問52 「生ける者と死ねる者とを審」かれるためのキリストの再臨は、あなたをどのように慰めるのですか。
答 わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも頭を上げて、かつてわたしのために神の裁きに自らを差し出しすべての呪いをわたしから取り去ってくださった。まさにその裁き主が天から来られることを待ち望むように、です。この方は、御自分とわたしの敵をことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、わたしを、すべての選ばれた者たちと共にその御許へ、すなわち、天の喜びと栄光の中へと迎え入れてくださるのです。
問53 「聖霊」についてあなたは何を信じていますか。
答 第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。第二に、この方はわたしたちに与えられたお方であり、まことの信仰によってキリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。
問54 「聖なる公同の教会」について、あなたは何を信じていますか。
答 神の御子が、全人類の中から、御自身のために永遠の命へと選ばれた一つの群れを御自分の御霊と御言葉により、まことの信仰の一致において、世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、ということ。そしてまた、わたしがその群れの生きた部分であり、永遠にそうあり続ける、ということです。
問55 「聖徒の交わり」について、あなたは何を理解していますか。
答 第一に、信徒は誰であれ、群れの一部として、主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかっている、ということ。第二に、各自は自分の賜物を、他の部分の益と救いのために、自発的に喜んで用いる責任があることをわきまえなければならない、ということです。
問56 「罪のゆるし」について、あなたは何を信じていますか。
答 神が、キリストの償いのゆえに、わたしのすべての罪と、さらにわたしが生涯戦わなければならない罪深い性質をも、もはや覚えようはなさらず、それどころか、恵みにより、キリストの義をわたしに与えて、わたしがもはや決して裁きにあうことのないようにしてくださる、ということです。
問57 「身体のよみがえり」は、あなたにどのような慰めを与えますか。
答 わたしの魂が、この生涯の後直ちに、頭なるキリストのもとへ迎え入れられる、というだけではなく、やがてわたしもこの体もまた、キリストの御力によって引き起こされ、再びわたしの魂と結び合わされて、キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、ということです。
問58 「永遠の命」という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。
答 わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。
問59 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとって今どのような助けになりますか。
答 わたしが、キリストにあって神の御前で義とされ、永遠の命の相続人となる。ということです。
問60 どのようにしてあなたは、神の御前で義とされるのですか。
答 ただイエス・キリストを信じる、まことの信仰によってのみです。すなわち、たとえわたしの良心がわたしに向かって、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と責め立てたとしても神は、わたしのいかなる功績にもよらずただ恵みによって、キリストの完全な償いと義と聖とをわたしに与え、わたしのものとし、あたかもわたしが何一つ罪を犯したことも罪人であったこともなく、キリストがわたしに代わって果たされた服従をすべてわたし自身が成し遂げたかのようにみなしてくださいます。そして、そうなるのはただ、わたしがこのような恩恵を信仰の心で受け入れる時だけなのです。
問61 なぜあなたは信仰によってのみ義とされる、と言うのですか。
答 それは、わたしが自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが神の御前におけるわたしの義なのであり、 わたしは、ただ信仰による以外に、それを受け取ることも自分のものにすることもできないからです。
問62 しかしなぜ、わたしたちの善い行いは、神の御前で義またはその一部にすらなることができないのですか。
答 なぜなら、神の裁きに耐えうる義とは、あらゆる点で完全であり、神の律法に全く一致するものでなければなりませんが、この世におけるわたしたちの最善の行いですら、ことごとく不完全であり、罪に汚れているからです。
問63 しかし、わたしたちの善い行いは、神がこの世と後の世でそれに報いてくださるというのに、それでも何の値打ちもないのですか。
答 その報酬は、功績によるのではなく、恵みによるのです。
問64 この教えは、無分別で放縦な人々を作るのではありませんか。
答 いいえ。なぜなら、まことの信仰によってキリストに接木された人々が、感謝の実を結ばないことなど、ありえないからです。
問65 ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。
答 聖霊が、わたしたちの心に聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです。
問66 礼典とは何ですか。
答 それは、神によって制定された、目に見える聖なるしるしまた封印であって、神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたち理解させ、封印なさるのです。その約束とは、十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とをわたしたちに注いでくださる、ということです。
問67 それでは、御言葉と礼典というこれらの二つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である十字架上のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。
答 そのとおりです。なぜなら、聖霊が福音において教え聖礼典を通して確証しておられることは、わたしたちのために十字架上でなされたキリストの唯一の犠牲に、わたしたちの救い全体がかかっている、ということだからです。
問68 新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。
答 二つです。聖なる洗礼と聖晩餐です。
問69 あなたは、聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益となることを、どのように思い起こしまた確信させられるのですか。
答 次のようにです。キリストがこの外的な水の洗いを制定された時約束なさったことは、わたしたちがわたしの魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪を、この方の血と霊とによって確実に洗っていただける、ということ。そして、それは、日頃体の汚れを落としているその水で、わたしが外的に洗われるのと同じくらい確実である、ということです。
問70 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。
答 それは、十字架上での犠牲においてわたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みよって、神からの赦しを得る、ということです。さらに、聖霊によって新しくされ、キリストの一部分として聖別される、ということでもあります。それは、わたしたちが次第次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩むためなのです。
問71 わたしたちが洗礼の水によるのと同じく、この方の血と霊とによって確実に洗っていただけるということを、キリストはどこで約束されましたか。
答 洗礼の制定の箇所に、次のように記されています。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」、(「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣言を受ける」。)この約束は、聖霊が洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでいる箇所でも繰り返されています。
問72 それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。
答 いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです。
問73 それではなぜ、聖霊は洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでおられるのですか。
答 神は何の理由もなくそう語っておられるのではありません。すなわち、ちょうど体の汚れが水によって除き去られるように、わたしたちの罪がキリストの血と聖霊とによって除き去られるということを、この方はわたしたちに教えようとしておられるのです。そればかりか、わたしたちが現実の水で洗われるように、わたしたちの罪から霊的に洗われることもまた現実であるということを、