父の大きな喜び
- ルカ福音書15:11~32-
[インマヌエル 上巻.1-22]
[ルカ福音書15:7]「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」
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信仰生活をよくすることは、私たち人間の基準にはない。一生懸命努力し、善良で正しく生きることも重要である。しかし、それよりもっと重要なことは、神の関心と喜びがどこにあるのか、神が私に何を望んでおられるのかを知ることである。
1. 父を離れた次男
(1) ルカ福音書15:13~17 - 放蕩、大飢饉、困窮、飢え死にしそうになった。
[ルカ福音書15:13~17]「13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。」
* 神を離れた人間は、結局不幸になる。
+ ルカ福音書16:19~31 - 本当に大切なもの(神、魂、来世)を失う。
+ エペソ書2:3、マルコ福音書5:1~10 - 闇の勢力によって精神的な苦しみを受ける。
+ 使徒行伝8:4~8、マタイ福音書8:15~17 - 病気によって肉体的な苦しみを受ける。
+ Ⅱテモテ書3:1~5 - 神を離れた最後の世代は全てが虚しくなる。
2. 父の関心と大きな喜び
(1) ルカ福音書15:20 - 家を離れた息子が帰ってくるのを待っておられる。
[ルカ福音書15:20]「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
(2) ルカ福音書15:21~24 - 息子が悔い改め、戻ってきた時、父は喜ぶ。
* 息子が父のもとに戻った時、父はすべての地位をすべて回復させた。
[ルカ福音書15:21~24]「21 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」
* 神は罪人が悔い改め、戻ってくることを願っておられる。- ルカ福音書15:7 (本文)
+ ルカ福音書19:10 - 失われた者を見つけて救い出すために、ひとり子をこの地に送った。
+ ローマ書5:8 - ひとり子が罪人のために死なれたことで、人間への神の愛を確証された。
+ 1コリント書1:21 - 伝道の愚かさで信じる者たちを救うことを喜ばれた。
+ マタイ福音書28:16~20 - すべての民族に行き、弟子にしてほしいと願っておられた。
3. 長男の不平
(1) ルカ福音書15:25~28 - 父の心を理解できなかった。
[ルカ福音書15:25~28]「25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、26 しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 28 すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。」
(2) ルカ福音書15:29-30 - 真の愛を知らず、自分の欲に縛られていた。
[ルカ福音書15:29~30]「29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』」
(3) ルカ福音書15:31~32 - 父の楽しみに一緒に参加できなかった。
[ルカ福音書15:31~32]「31 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
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私たちの父なる神は、帰ってきた息子を喜んで迎える父よりも、罪人となった人生が悔い改め、救われることを長く忍耐して待っておられます(ヨハネ福音書3:16)。私たちはこの事実を深く知り、命を救うことに熱心に取り組まなければならない。